思い出
山中の軽自動車は雨実村から続く県道を抜け
青月村へ入った
車窓の外には山々が連なっている
「思ったより近いですね」
助手席の菫が言った
「そうでしょう」
山中は笑う
「雨実村と青月村は昔から行き来が
ありましたから」
ほどなくして小さな集落が見えてきた
村役場
診療所
簡易郵便局
農協支所
どれも決して新しくはない
だが人の暮らしの匂いがした
役場前のバス停には数人の高齢者が
腰を掛けている
「こんにちは」
山中が窓を開けて声をかける
「あら 幸一ちゃんか」
「かえってきたんか」
自然なやり取りだった
菫は少し驚いた
雨実村では役場職員の山中しか知らない
しかしここでは
山中は村の子供だったのだ
役場を過ぎると統合学校が見えてきた
「青月小中統合学校です」
「思ったより立派ですね」
「数年前に統合したんですよ」
校庭には子供の姿はない
夏休みだからだろう
さらに車を進める
駐在所
消防団車庫
そしてシャッターのしまった古い商店
山中が少しだけ視線を向けた
「昔はここで駄菓子を買ってました」
短い言葉だった
菫も何も言わなかった
代わりにその建物をじっと見つめた
やがて道は川沿いへと下っていく
水の流れる音が聞こえてきた
「そろそろ青月神社です」
山中が言った
朱塗りの鳥居 その奥へ続く石段
さらにその向こうには白い飛沫を上げる
滝が見えていた
「綺麗……」
思わず菫の口から言葉があふれる
「青月滝です」
「村の名前の由来にもなっています」
滝の脇には神社
そして神社の参道前には木造の食事処が
建っていた
川へ張り出すように設けられた川床
清流の上に板張りの席が並んでいる
夏の風が心地よい
「昼には少し早いですが寄りましょうか」
山中が言った
「ぜひ」
二人は車を降りた
川床へ向かう 足元を流れる透明な水
岩の間を泳ぐ小魚
そして店先に置かれた丸い卓
丸いテーブルの上に水が流れ
その上を素麵が回っている
「流しそうめんですか」
「青月村の夏の名物ですよ」
山中が笑う
その時だった 菫の足が止まった
丸い卓を見つめたまま動かない
「菫さん?」
山中が不思議そうに声をかける
しかし菫は答えなかった
何かが胸の奥に引っかかっていた
流れる水の音 滝の響き
木の香り 丸い卓
そして夏の空気 どこかで見たことがある
いや 見たことがあるどころではない
知っている
「……あれ?」
小さく呟いた
遠い記憶がゆっくり浮かびあがる
まだ小学生だったころ
父と母 そして妹の葵
夏休み 車で山の方へ出かけた
冷たい川 流しそうめん
滝 神社
笑ってる家族
その光景が断片的によみがえる
菫は思わず顔を上げた
「私……」
「はい?」
「私 子供のころ
ここへ来たことがあります」
山中が驚いた顔をした
「本当ですか」
「多分間違いありません」
菫は川床を見回した
確信があった
「家族で来たんです」
「妹も一緒でした」
そういった瞬間
幼い葵が素麺を取ろうとして失敗し
家族みんなで笑った記憶まで蘇った
思わず菫も笑う
「思い出しました」
「懐かしい……」
山中は静かに川の流れを見つめた
「そういう人 多いんですよ」
「え?」
「青月村で暮らしたことはなくても」
「子供のころに遊びにきたことがある人」
「意外といるんです」
菫はもう一度滝を見上げた
研究会の資料には載っていなかった景色
人口三百人という数字の向こう側
そこには確かに人の思い出があった
川のせせらぎが静かに流れている
菫は少しだけ嬉しい気持ちになりながら
山中と共に川床の席へ向かった




