山の向こうの村
瀬河地域将来研究会から数日語
午後五時を過ぎたふるさと振興課は
静かだった
住民対応も一段落し
職員たちも帰り支度を始めている
窓の外では蝉の声がまだ続いていた
課の奥の打ち合わせスペース
古川村長 新田 菫の三人だけが残っていた
机の上には研究会で配布された資料が
広げられている
人口推計
財政状況
医療体制
消防体制
公共交通
どれも簡単な話ではなかった
「青月村は思った以上に厳しいですね」
最初に口を開いたのは菫だった
古川村長が静かに頷く
「わしもそう思った」
「人口三百人という数字は
知っていましたが……
実際の推計を見ると重みが違います」
言葉は続かなかった
研究会で見たグラフが頭から離れない
二十年後
さらに減少する人口
新田が資料を閉じた
「数字だけでは分からない部分もあります」
「そうですね」
「実際の暮らしは現場を見ないとわからない」
新田はそういった
暫く沈黙する
その時
「山中さんなら
何か知っているかもしれません」
菫が呟いた
青月村
山中の故郷だった
菫の言葉に古川村長も頷く
「青月村の出身だったな 聞いてみるか」
「はい」
菫はスマートフォンを取り出した
呼出し音が数回鳴る
「もしもし」
聞きなれた声だった
「お疲れ様です 山中さん」
「菫さん?珍しいですね」
「少しお聞きしたいことがあって」
電話の向こうで山中が笑った
「研究会の件ですか?」
菫は少し驚いた
「やっぱり わかります?」
「なんとなく」
返事はあまりにも自然で短いものだった
「いずれくる話だと思っていましたから」
その言葉に部屋の空気が少し変わる
「やっぱりそうなんですか」
「はい 覚悟はしていました」
山中の声は落ち着いていた
「正直 青月村は昔から厳しかったです」
「私が子供の頃よりは
商店ももう少しありました」
「同級生も今より多かった」
一つ一つ思い出すように話している
「でも少しずつ減っていったんです」
窓の外では蝉が鳴いている
誰も口を挟まなかった
「だから研究会が始まったと聞いても
驚きませんでした」
そこで少しだけ間が空く
「むしろ とうとう来たかと思いました」
その言葉は重かった
菫は思わず尋ねる
「山中さんはどう思っているんですか」
電話の向こうが静かになる
数秒の沈黙後
「難しいですね」
苦笑いするような声だった
「故郷ですから」
「残ってほしい気持ちはあります」
「でも現実もわかります」
菫は黙って聞いていた
「それに」
山中は続ける
「少し残念なんです」
「残念?」
「今の私は直接かかわれる立場じゃ
ありません」
海の駅事業
沿岸部での仕事
青月村の将来を左右する場にはいない
「そこは少し残念ですね」
珍しく本音だった
「故郷の話なのに
外から見ているしかない」
その言葉に菫は胸の奥が少し痛んだ
山中は雨実村のために走り回っていた
自分の故郷には手を伸ばせない
山中にとって青月村は仕事ではない
故郷なのだ
「もし今も雨実村にいたら」
山中は小さく笑った
「たぶん研究会にでていたでしょうね」
古川村長も思わず苦笑いする
「間違いないな」
菫の口元にも笑みが浮かんだ
だが電話の向こうの山中は続ける
「ただ」
山中の声が少し明るくなる
「もし雨実村が関わるなら」
「数字だけで判断しないで
人の暮らしも見てください」
「青月村にはまだ人がいます
そこで暮らしている人たちがいます」
「不便でも
残りたいと思っている人がいます」
短い言葉だった
「それだけは忘れないでほしいんです」
菫の心に強く残った
「わかりました」
「お願いします」
そこで山中が少し考えるように言った
「そうだ」
「はい?」
「私 お盆に青月に帰る予定なんです」
「ご実家ですか?」
「ええ 両親もいます
墓参りもしないといけませんから」
山中は少し笑った
「もし 本当に青月村を見てみたいなら
一緒に来ますか」
「えっ?」
「研究会の資料よりは
分かりやすいと思いますよ」
「良いところもありますし
不便なところもあります」
「私の故郷ですから
少し贔屓目も入るかもしれませんけど」
電話の向こうで照れたような笑い声が
聞こえた」
菫も思わず笑う
「考えてみます」
「無理にとはいいません」
「ただ数字だけでは見えないものが
ありますから」
「はい」
「それではまた」
通話は切れた
菫はスマートフォンを机の上に置いた
新田が
「行ってみたらどうですか」
村長が
「実際に見るのも勉強だ地域を知るために
見学するのは良いことだと思う」
近くて遠い意識の外にある
青月村
人口三百人の村
数字の向こう側にある景色を
少し見てみたい気がした




