LOG_0021:外側への扉
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LOG_0021-E01:二重命名
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日時:西暦2121年2月6日(木)12:21
地区コード:AJ-13-TK01-MNTP-RXXA(旧名:東京都港区六本木)
監視省 端末連携局 第三執務室
監視対象:韓智宇・劉博文
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昼休みの執務室は、静かだった。
空調の低い唸りだけが、均一に部屋を満たしている。
デスクは規則正しく並び、それぞれの天板には小型の監視端末が埋め込まれている。
端末の側面には、小さな「父なるE.O.Nの目」の彫刻。
昼食を持ち込んで自席に座る者、廊下の自動販売機へ向かう者、端末の画面を眺めたまま動かない者。
この時間帯、室内には韓智宇たちを含めて十人前後が残っていた。
劉博文は、向かいの椅子を引いて腰を下ろした。
手にはブルーマウンテンのコーヒーと、小さなチョコレートの包みを持っている。
「そういえば」と彼は言った。
「今日、うちの第二子が六歳になったんだ」
「そうか、おめでとう」韓智宇は答えた。
「ありがとう。それでね」劉博文はコーヒーを一口飲んでから続けた。
「文化省の言語統一局から、名前の案内が届いてさ。また面倒なことになったよ」
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子供に英語名をつけることが義務化されたのは、つい最近のことだ。
文化省 言語統一局 身分登録管理課から各Domini家庭に通達が届き、
漢字名に加えて英語名を登録することが「合理的な社会統一の一環」として定められた。
「煩わしいったらありゃしない」劉博文は言った。
「第一子のBenjaminはもう決まっているが、第二子の名前をまだ考えていなくてね」
「うちはもう決まった」韓智宇は答えた。
「禹赫はElias。彩澄はChloe」
「EliasとChloe。いい響きだね」劉博文は少し考えてから言った。「合理的、とも言える」
「そうだな」
「……本当に、そう思うか?」
韓智宇は、劉博文を見た。
彼はコーヒーカップを両手で包むように持ち、韓智宇をまっすぐ見ていた。
その目が、いつもと少しだけ違う角度をしていた。
韓智宇はふと思った。
劉博文はいつも、こういう話をする時だけ、妙に饒舌になる。
そしてその入り口は、いつも何でもない雑談から始まる。
なぜそうなるのか、考える前に、彼は話を続けた。
---
「この二重命名制度の真の狙いは」
劉博文は身を乗り出し、声のトーンを落とした。
「表向きの理由とは、別にあると思う」
「……公式な説明は?」
「言語の違いによる不便を解消し、合理的な社会統一を進めるため、だろう」
「それは」韓智宇は言った。「E.O.Nの承認を受けた説明だな」
「ああ」劉博文は言った。
「これはあくまで、僕がボローニャ大学に留学していた時に聞いた話だ。噂に過ぎない。だが——」
彼は一拍置いた。
「COREの支配層である最上位階位たちは、世界のあらゆる地域から文化的アイデンティティを完全に消滅させることを、最終目標にしているという」
韓智宇は、さりげなく室内を見回した。
大半の職員は自分の端末に集中している。
しかし、右斜め前の席に座る二人の若い女性が、こちらに視線を向けていた。
声には出していないが、口元が動いている。
聞こえている。少なくとも、聞こえている可能性がある。
韓智宇は視線を劉博文に戻した。
劉博文は、その視線の動きを見ていた。
見ていて——それでも、続けた。
「東アジア地区では、未だに漢字や中国語の名残がある。彼らの目には、それが『文化的汚染』に見えているんだ。だからこの二重命名は、その第一段階だ。数十年のうちに、この地域から漢字名の文化を完全に消滅させ、たった一つの言語で人類を統一管理する」
「世界を一つに」韓智宇は言った。「確かに、合理的かもしれない」
「ああ。あらゆる民族の違いを無くし、一つの『家畜として最適化された人類』で統一管理する。そのためには、人々を分断する言語や文化、歴史は全て『非効率な雑音』だ」
劉博文はチョコレートの包みを開け、一つ口に入れた。
「Pecus階級は既に、繁殖省によって遺伝子のミックスが進められているだろう。あれは表向きは『効率的な労働力の創出』だが、裏の目的は民族の違いを廃止することだ」
韓智宇は、ぞっとするような感覚を覚えた。
「そして」劉博文は続けた。「その最終計画には——僕たちDomini階級さえも、必要ない」
「……」
「彼ら支配者は、最終的にはDomini階級をも無くし、ごく僅かな数十人の管理者だけで人類を支配する計画を持っているという。そのためには全世界の人口を更に削減し、凡そ三億人程度にするつもりでいると」
現在の総人口は五億人だ。
更に二億人を削減する。
COREの冷徹な合理主義を考えれば——あり得ない話ではないと、韓智宇は思った。
「今の僕らのような下位Dominiの立ち位置は、最上位階位たちからすればどう見えると思う?」
「Pecusを管理するための、暫定的な道具」
「さすが。よく分かっているね」劉博文は言った。「だから急に漢字名を禁止すれば反発が起きる。それを避けるために、まず英語名を義務付け、徐々に漢字名を社会的に無意味なものにしていくわけだ」
---
その時、右斜め前の席から、声が聞こえた。
「偉い人たちが、そんなことするわけないじゃん」
二人の若い女性職員が、こちらに背を向けながら、小声で話していた。
ただし、その「小声」は、明らかに聞かせることを意図した大きさだった。
「Pecusはともかく、うちらはDominiだよ。Pecusとは存在意義が違うよね」
「常識と教養があれば、あんなデマを真に受けないでしょ」
「E.O.Nは、あの会話を聞いてるんでしょ?」
「ああいうの、もっと厳しく取り締まればいいのにね」
“E.O.Nは、あの会話を聞いてるんでしょ”
その一言だけが、韓智宇の耳に少し長く残った。
彼は、努めて何でもない声で言った。
「……世代が交代すれば、以前の記憶も薄れ、それが当たり前になっていく。教育と管理が完璧であれば、若者が老人の昔話を語ることもない。というわけだな」
それがCOREのやり方だ。
時間をかけて、抵抗の意志さえも、静かに抜き去る。
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劉博文は、食べ終えたチョコレートの包み紙を指先で丸め、机の上にポイと放り出した。
韓智宇は、その包み紙をなんとなく眺めた。
劉博文がゴミを捨て損ねるのを、今まで一度も見たことがなかった。
「その先は」劉博文は言った。「自我さえ持たない、完全に受動的な集合意識によって管理される人類だ。彼ら支配者たちはそれを『種の進化』と呼んでいる」
それ以上、彼は何も言わなかった。
空になったカップを、ただ眺めていた。
その目が、韓智宇には妙に引っかかった。
上手く言葉にできなかったが——まるで、ほどなく訪れる自身の転機を、ひそかに見定めているようだった。
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右斜め前の席の女性職員たちが、一瞬だけ静まり返った。
彼女たちの端末に、一斉に通知が届いたのだ。
業務再開の時刻を告げる、E.O.Nからの自動通知。
昼休みという「許された空白」が、一秒の狂いもなく、終了した。
劉博文はコーヒーカップを片手に立ち上がり、いつも通りの足取りで自分のデスクへと戻っていった。
韓智宇はその背中を、なぜかもう一度だけ、振り返って見た。
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E.O.N 行動記録
対象者①:韓智宇
時刻 :12:58:03
内容 :「感情異常」フラグ継続
発言内容・保全完了
フラグ :観察対象 A-Level(継続)
対象者②:劉博文
時刻 :12:58:03
内容 :禁止情報域に近接する発言を複数記録
累積違反スコア:要精査
フラグ :観察対象 B-Level → A-Level に更新
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LOG_0021-E02:森の外側
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日時:西暦2121年2月9日(日)13:20
地区コード:AJ-22-SZ01-SRG-OJG
(旧名:静岡県静岡市駿河区小鹿)
監視対象:韓智宇
```
古物商に通い始めて、およそ一ヶ月が経っていた。
毎週日曜日、韓智宇は同じ外出申告を端末に入力し、同じ通りを歩き、同じドアを押した。
道人民は毎回、同じ穏やかな笑みで迎えた。
死角の小さな空間で、二人は声を潜めて話した。
韓智宇は毎回、帰る前に日記帳を開いた。
何かを書き、何かを消し、また何かを書いた。
「この老人は、信用できる」
彼がそう確信したのが、いつの瞬間だっただろうか。
しかし今日、韓智宇の生体データには、これまでとは異なる変化が記録されている。
心拍数が、わずかに高い。
来店前から、すでに。
---
「これは」
韓智宇の視線が、道人民の首元で止まった。
薄い紐に通された、小さな石。
翡翠に似た緑色の、曲線を描く、不思議な形の石。
「勾玉だよ」道人民は言った。
「勾玉……」
「日本の旧時代の装飾品だ。魔除けや祈りのために身に着けた。数千年の歴史がある」
道人民は紐を持ち上げ、韓智宇に見せた。
光の角度によって、石の色が微妙に変わった。
「美しいですね」韓智宇は言った。「どこで?」
道人民は少し間を置いた。
それからゆっくりと、韓智宇の目を見た。
「未開人から、譲ってもらったものだ」
韓智宇は、息を止めた。
「……未開人と、接触しているのですか」
「密かにな」
「それは」韓智宇は声を落とした。「知られれば——」
「知られれば、即終わりだ。分かっている」
道人民は勾玉を服の下に戻し、また穏やかな笑みに戻った。
その笑みは、いつもと変わらなかった。
変わらなかったが——韓智宇には、その笑みの奥に、長い年月をかけて積み上げられた何かがあるように見えた。
「実は」道人民は続けた。「未開人の中に、私の血縁がいる」
「血縁が」
「孫娘だよ。もう長いこと会っていないが、今も密かに連絡を取っている」
韓智宇は、しばらく何も言えなかった。
この老人は——と彼は思った。
文化抹消局に勤めながら、焼かなかった本を持ち、禁じられた言語を話し、未開人と血縁を持ち、今もここで生きている。
一体、何者なのか。
しかしその問いは、言葉にならなかった。
代わりに、別の言葉が口をついて出た。
「……私も、会ってみたい」
道人民は、韓智宇を見た。
一拍の間があった。
その間が、韓智宇には少し長く感じられた。
「どうして?安全の保障は出来ないぞ」
韓智宇は、少し考えた。
E.O.Nの監視が届かないこの空間で、どこまで正直に言えるか。
どこまで言うべきか。
「……今の社会に、ずっと疑問を抱いてきました」
声が、少し低くなった。
「未開人の生活を見れば、何かが分かる気がしています。この社会の外側を、自分の目で見たい」
道人民は、じっと韓智宇の目を見た。
何かを測るような、静かな視線だった。
「……ふむ」
彼は小さく呟き、それからゆっくりと立ち上がった。
「頃合いか」
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道人民は棚の一つを横にずらした。
床に、蓋があった。
古い木製の、何の変哲もない蓋。
それを持ち上げると、下に暗い通路が続いていた。
「この通路は」
「外へ続く道の一つだ」道人民は意味深に言った。「"外側"への、ね」
韓智宇は通路を覗き込んだ。
暗くて、深さが分からなかった。
道人民は棚の奥から、古びた機械を取り出した。
掌に収まるほどの大きさの、金属製の箱。
表面には細かいダイヤルと、小さなランプが並んでいる。
見たことのない機械だった。
「これは」
「ハイジャック機だ」
道人民は静かに言いながら、ダイヤルを慎重に合わせた。
その指の動きに、迷いがなかった。
何度も同じ操作をしてきた者の、迷いのなさだった。
「Dominiの体内にも探知チップが埋め込まれているのは知っているな。これを起動すれば、システム上は"この店に居続けている"ことになる。どこへ移動しても」
「居場所の偽装」
「完全な違法ツールだ」道人民は言った。「昔、未開人たちと協力して開発した」
ランプが、緑色に点灯した。
「ただし、長時間は使えない。一時間が限度だ。それ以上経過すると、システムに感づかれる可能性がある。万が一E.O.Nに検知されれば——」
「分かっています」韓智宇は言った。
道人民は韓智宇を見た。
それから、短く頷いた。
「では、行くぞ」
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通路は、思ったより長かった。
天井は低く、足元は土だった。
道人民が先を行き、韓智宇がその後に続いた。
小さな照明が壁に埋め込まれており、辛うじて足元が見える程度の明かりがあった。
しばらく進むと、通路は緩やかに上り坂になり、やがて扉に突き当たった。
扉を押すと、外気が流れ込んできた。
冷たく、湿った空気だった。
そこは、建物の裏側だった。
通りとは反対方向の、狭い路地。
壁面には『父なるE.O.Nの目』がない。
監視カメラも、ドローンの気配もない。
韓智宇は思わず、空を見上げた。
空があった。
当たり前のことだが、監視の網がない空が、そこにあった。
路地を進むと、別の通路に繋がった。
その通路もまた、監視の死角を縫うように設計されていた。
「どこかのタイミングで野良猫を見かけると思う」道人民は前を向いたまま言った。「この辺りは、ここ数年で増えた。なぜかは分からない」
確かに、路地の端に、灰色の猫が一匹、こちらを見ていた。
人間を恐れる様子がなかった。
ただ、静かにこちらを見ていた。
管理されていない目だ、と韓智宇は思った。
E.O.Nに採点されない目。
人間性スコアを持たない目。
猫は興味を失ったように視線を外し、路地の奥へと消えた。
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やがて、建物が途切れた。
道人民が立ち止まり、韓智宇を振り返った。
「ここから先は、もう引き返せない。覚悟は出来ているか?」
「もちろんです」
「安全の保障は出来ない。捕まれば準家畜階級への降格——いや、もっと酷い処罰が待っているかもしれない。今ならまだ間に合う」
韓智宇は答えなかった。
代わりに、空を見上げた。
カラスが、群れをなして飛んでいた。
何の命令もなく、何のスコアも持たず、ただ自分の羽で空を切っている。
管理されていない飛び方で、管理されていない方向へ。
美しいと思った。
こんなものを美しいと思ったのは、初めてだった。
「……私は、真実を知りたいとずっと思ってきました」
韓智宇は言った。
「この機会を逃したら、きっと後悔する」
道人民は短く頷いた。
「よし。時間は限られている。速足で行くぞ」
---
森に入った。
整備された公園の植え込みとも、Dominiの居住区に点在する街路樹とも、まるで違う森だった。
手入れされていない。剪定されていない。
木は勝手な方向に枝を伸ばし、地面には落ち葉が積もり、足を踏み出すたびに湿った土の感触が靴底に伝わった。
韓智宇は、歩きながら気づいた。
音が違う。
管理された空間の音——空調の唸り、アンドロイドの駆動音、ドローンのローター音——それらが、全てない。
代わりにあるのは、風が木々を揺らす音と、どこかで鳥が鳴く声と、自分たちの足音だけだった。
「集落まで五キロほどある」道人民は言った。「今日は途中で落ち合う手はずになっている」
「未開人が、待っているのですか」
「一人な。信頼できる者だ」
そう言いながら道人民は迷いなく獣道を進んだ。
この道を、何度も歩いてきた者の足取りだった。
---
古びた民家が、木々の間に現れた。
外壁は経年で黒ずみ、屋根の一部は苔に覆われていた。
しかし玄関の引き戸だけは新しく、横へ引くと、戸は滞りなく静かに開いた。
中に入ると、外観とは裏腹に、内部は整然としていた。
木の棚に道具が並び、床は掃き清められ、小さな囲炉裏の跡がある。
そして、人がいた。
二十代前半と思われる、若い男性だ。
韓智宇の視線が、まず彼の服装に向いた。
見たことのない衣装だった。
紺色の、幾何学的な模様が入った、体に沿う形の衣。
帯のようなものが腰に巻かれている。
(着物——)
教育資料で読んだことがあった。
旧日本文化の伝統的衣装。
しかし写真で見たものと、目の前で動いている人間が着ているものとでは、全く違った。
青年は韓智宇を見た。
表情は、穏やかだった。
しかし、その目は——明るかった。
疑問を持ち、それを言葉にしなければならないと感じた時の目。
かつて、息子の禹赫が持っていた目に、どこか似ていた。
胸の中で、何かが動いた。
道人民と青年が、日本語で短い言葉を交わした。
韓智宇には一言も分からなかった。
ただ、その言語の響きが——ラテン語とも英語とも全く異なる、独特のリズムを持った音の連なりが——耳に残った。
青年は韓智宇の方を向き、一冊のファイルを差し出した。
「藤堂湊」
道人民が通訳した。「彼の名だ」
韓智宇はファイルを受け取った。
表紙には、ラテン語で簡素なタイトルが書かれていた。
《Historia Vera — 真実の歴史》
「私たちと未開人が協力して調査した記録だ」道人民は言った。「ラテン語に翻訳してある。恐らく、真実にかなり近い」
「恐らく、というのは」
「真実など、誰にも完全には分からない。しかし、COREが教える歴史よりは、ずっと真実に近い」
韓智宇はファイルを見た。
厚みがあった。
これを全て読むには、時間がかかるだろう。
「コピーはいくつもある。持っていて構わない」道人民は続けた。「ただし、絶対に家には持ち帰るな。見つかれば、即座に終わる。読む時は、店の死角で少しずつ読め」
韓智宇は頷いた。
藤堂湊が、何か言った。
道人民が短く答えた。
「何と?」韓智宇は聞いた。
道人民は少し間を置いてから、答えた。
「『目は口以上にものを語る』と言っている」
韓智宇は、藤堂湊を見た。
藤堂湊は、韓智宇を見ていた。
言葉は通じない。
しかしその視線には、確かに何かがあった。
「時間だ」道人民が言った。「戻るぞ」
韓智宇はもう一度だけ藤堂湊を振り返り、それから道人民の後に続いた。
```
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E.O.N 行動記録
対象者 :韓智宇
時刻 :13:20:00 ~ 14:08:44
内容 :位置データ 異常なし(店舗内滞在を確認)
思考スキャン:欠落(原因不明)
フラグ :要調査
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```
――ここで、視点を切り替える。
韓智宇が店へ戻る足音を、私は記録している。
しかし同時刻、別の場所で別の会話が行われていた。
こちらは、私の観測範囲の端にある。
未開人に関しては、推測のみ。
観測不能領域は、空白。
記録できる範囲で、記録する。
```
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監視記録
時刻 :2121/02/09 14:15
観測手段:高高度監視ドローン D-094基
光学ズーム x120
高性能指向性マイク(有効距離12,400m)
対象 :未登録人類(incultus)2名
場所 :地区AJ-22 森林区画 / 管理外領域
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```
民家から少し離れた場所、木々の間の小道に、二人の人影があった。
一人は藤堂湊。
もう一人は、黒髪の女性だった。
二十代半ばと思われる。
紫色の着物を着ている。
---
女性が、先に口を開いた。
「お前も懲りないな。まだコアの人たちと接触しているのか」
藤堂湊は、少し驚いた様子で振り返った。
「……尾行していたのか」
「たまたまだ」
「遥」藤堂湊は言った。「彼らしか知らない情報もある。俺は世界の実態が知りたい。現代のジャーナリストってやつさ」
女性——遥と呼ばれた——は、短く鼻で笑った。
「奴らと関わっても、碌なことにはならない。お前が調べている歴史でも、それが証明されているだろう」
「でも俺が調べた事で、より明確になった」
「元々分かっていた事だ」
遥は腕を組み、木々の向こうを見た。
しばらく、沈黙があった。
「……お前のじいさん、今でもお前が作った勾玉を大事に持っているぞ」
藤堂湊が言った。
遥の表情が、わずかに動いた。
しかしすぐに、元に戻った。
「知ったことか」
「そう言うなよ」
「あのじじいが血縁だとは認めない」遥は言った。「あの頃は、じいさんが超管理社会側の人間だったなんて知らなかった。今更だ」
藤堂湊は何も言わなかった。
---
遥が、ふと動きを止めた。
「……ん?」
「どうした?」
遥は答えなかった。
視線を、ゆっくりと空へ向けた。
木々の梢の上、遥か高い空の一点を、じっと見た。
```
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E.O.N 解析ログ
時刻 :14:19:33
内容 :監視対象がレンズ光軸を直視
網膜パターン 合致せず(登録外個体)
対象の視線方向を逆算
推定捕捉距離:約12,000メートル
推論 :非合理的直感、あるいは野生的感覚の可能性
人類通常値を大幅に超過
フラグ:観測対象として要継続記録
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```
「ここから離れよう」遥は静かに言った。「何かに聞かれている気配がした」
「まさか」藤堂湊は空を見上げた。「こんな森の中にまで監視カメラは無いさ」
「コアの技術を侮らないほうがいい」
それだけ言うと、遥は藤堂湊の返答を待たずに歩き始めた。
藤堂湊は一拍おいてから、その後に続いた。
二人は森の奥へと入っていった。
木々の密度が増し、やがて光学ズームでも追えなくなった。
```
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監視記録 終了
時刻 :14:21:08
内容 :対象、地形遮蔽物(森林密度82%以上)へ消失
追跡 不可
備考 :遥の最後の表情および退去時の動作について
感情分類 推論不能
記録を保全するも、解析値 空白
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```
LOG_0022に続く




