第29話
呆然と目を見開く光太郎。
目に映る涙に顏を濡らした美守をじっと見つめる。
そして目を凝らすとはっとしたように眉を寄せた。
「美守……そっか、ごめん。そう言う可能性もあったんだね」
こくりと頷く。
「フローディアの記憶を見たんだね……?」
「……うん」
後で険しい顏をしているクラウを見て、光太郎は儚げな笑みを浮かべた。
「……場所を、移そうか」
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光太郎の自室へと移動した三人。
光太郎はまっすぐ、割れたグラスに近づき破片を一欠片つまみ上げる。
くっと自重気味に笑い、独り言のように話し始めた。
「俺は、この割れたガラスの欠片なんだ」
光太郎の手からガラスが床に落ちた。
「……俺は、もういらない……ゴミだ」
床に落ちたガラスの欠片を踏みつぶした。
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フローディアも元は神様などではなく、天使だった。
「知ってた? 天使って高慢なんだ」
神と違い、天使には羽根がある。
それは何故か?
神と違い、天使には自我があるからだ。
自我があると身体が重くて飛べないのである。
神には自我がないから身体が軽くて天に浮く。
天使は羽根が付いているだけで人間とほぼ変わらない存在なのだ。
しかし高慢な天使はそれを認めない。
天使は神に近しいモノだと思い込み、神に近づこうとする。
……つまり、”自我”を減らしていくのだ。
まずは一番重い”欲”を。
次に”衝動”を。
”過去”を。
”道徳観””良心””理想””倫理観”…………。
そして、最後に”感情”を捨てた。
「つまり、自分の身体からいらない部分を切り離し、捨てるんだ」
そうして自我を失った天使は神となる。
フローディアもそうして神となった。
では切り離した自我……部分はどうなるのだろうか?
天から落とされ、堕天した部分……人間。
「もう、わかるだろ? ……その中の一人が、俺」
神子とは、まさに神の子供とも言える存在かもしれない。
……なにしろ元が同じ一つのモノなのだから。
お互いが求め合うのも、自然なことである。
元の状態に戻ろうとするのは自然の摂理。
神になったはずのフローディアは感情をなくした瞬間、空っぽになった。
ただ世界を静観する、本物の神に、フローディアはなったのである。
ある日。
それは本当に、あり得ないほどの偶然。
ただ世界を見ていたフローディアの目に、一人の人間が目に留まる。
後に神子と呼ばれる存在。
……自分と同じ魂をもった人間。
同じ魂をもった、ある意味”運命の人”は同じ時代や世界にはまず現れない。
均衡を望む世界が同じ人間を何人も受け入れることは決してない。
なのに、フローディアの目の前に、神子が現れた。
自我を失ったフローディアにはそれが何か分からなかった。
ただ、引き寄せられる。
フローディアは、禁忌を犯した。
自分が捨てたモノを吸収してしまったのだ。
しかも、初めに取り戻したのは……”欲”。
もっと、もっと欲しい。
フローディアは、”自分”を回収していく。
まだ足りない。
まだある。
どこにあるのだろう?
神子達はフローディアに吸収されていったのだ。
ある者は、親が迎えに来てくれたかのように歓喜し。
ある者は、これから自身が人間で無くなることに畏怖し。
ある者は、これも運命かと諦め。
ある者は、消えて無くなるのは嫌だと憎悪した。
しかし、惹かれ合う魂は逃げられない。
自我を取り戻していったフローディアはどんどん高慢に、我が侭になっていく。
しかし、決してやめる事はない。
なぜなら。
「俺が、最後に捨てられたフローディアの”感情”だから」
考える事ができなかったのだ。
自分が何をしているかわからない。
今のフローディアは、幼児と変わらない。
自我に芽生え、大人になろうとしているのだ。
「これで、最後にできると思ったんだ」
フローディアと繋がったことで光太郎は記憶として、事実を思い出した。
光太郎が感じたのは”憤り”。
こんなものに、吸収されてたまるかと反撥した。
しかし、引き寄せられるのも事実。
そんな身の内で鬩ぎあう感情が傾いたのは、フローディアの力を吸収した瞬間。
「この力を全て吸収すれば、俺が神になれるのではないか? そう思った」
力を吸収していくうちに、フローディアの過去が覗けるようになり「愛している」と言う免罪符を切っ掛けに、相手を吸収できる事がわかった。
「俺が、俺である為に、俺が神になる」
光太郎は手をかざし、割れたグラス……ゴミを燃やした。
そして美守を振り返る。
「……残りを全て、吸収する」
美守に手をかざす。
美守は悲しそうに顏を歪めている。
「……駄目だよ、こぉちゃん。こぉちゃんは、自分でいる為にって言ってるけど違うってこと分かってるでしょ……?」
「……そうかもしれないね」
「今だって、もうこぉちゃんじゃなくなりそう。……やめて。フローディアが怯えてる」
「へぇ? 自分の中にいるフローディアの感情がわかるの?」
美守には手に取るようにわかった。
消えるのは嫌だと。
……フローディアは怯えている。
「美守。それ渡してくれるかな? 自分だけ消えたくないなんて勝手もいいところだよ。……ゴミみたいに捨てられた俺たちにだって人生があったんだ」
初めてかもしれない。
光太郎が、美守の前で怒気を露にすることなど。
美守は何故か安心して、笑ってしまった。
「……やっぱり駄目。私はこぉちゃんが大切だから。こぉちゃんの為に、フローディアは渡さない」
「……何笑って」
美守は光太郎に優しい笑みを向けた。
「これは私のわがまま」
光太郎に、人間でいてほしいから。
美守は自分の胸をとん、と人差し指でついた。
「フローディアは、私がもらうね」