第29話 諏訪湖が揺れる日
-side 山本亜梨紗-
諏訪湖スタジアム。
完成したのは1990年。当時は最新鋭だった球場は今となってはプロ野球リーグの中でも一番古い球場になってしまった。
一応辛うじてスコア表は電光掲示板になっており、大きな液晶モニターも付いてはいるものの、やはり他の球場に比べると設備は大きく見劣りする。
座席は木のベンチだし、背もたれだってもうボロボロで色だって随分変わってしまっている。選手控室のロッカーもいい加減買い換えて欲しいと何度も思った。しかもここは信濃。9月も下旬になると結構寒い。諏訪湖の湖畔に建っているせいか風もそれなりに強く、その風に泣かされたことも救われたことも今まで何度もあった。
他球団の選手やファンからはオンボロ球場と馬鹿にされる球場。それでも私はここが大好きだった。実家が近所で今まで何度もこの球場に足を運んではスズメーズを応援した。私が野球を始め、そしてプロの選手になるのは必然のことだった。
でもプロの壁は厚く、ただひたすら容赦がなかった。もちろん努力は欠かさない。でもそんなのは皆同じ。自慢にも何にもならない。やる気や根性だけでどうにかできるような世界ではなかった。
今日もまだ2回なのに6点も取られてしまった。ピッチャーが少ないウチのチームではこの回に交代することもできない。歯を食いしばって耐えるしかない。泣きたいくらいに悔しいが、泣き言言っても何も変わらない。
お金を払って観に来てくれているファンに申し訳なかった。今期も7勝101敗。情けない。プロ未満と言われ、それでもファンは応援してくれている。報いたいと何度も思った。でもどうすることもできなかった。
渾身の一球を投げる。
なんとか三振を奪うと一息ついた。
次のバッターを見る。今日早くも2安打されている選手だった。ランナーは1塁2塁。これ以上点をやるわけにはいかない。・・・いやウチの打線では6点取られた時点でもうかなり無理なんだけど。
「・・・・・?」
バッターに集中しているとスタジアムの様子がおかしいことに気が付いた。観客席がざわついており、それが波のように伝搬していく。何か異常事態でもあったのだろうか?いかんバッターに集中しなければ。集中力を切らして抑えられるようなバッターではない。相手も個人成績がかかっている。手を緩めてくれることなんてない。
一塁ランナーを見る。走ってくることはないだろうが、牽制で刺せてしまえばこの回は終わる。一度牽制を・・・
「・・・・・・・え」
そこまで考えて慌てて一塁ランナーを見た。いや正確にはその先、一塁側の観客席にいる人間を見た。
男だ。そこには確かに男がいた。馬鹿なあり得ない。女が大量に群がるスタジアムに男が来るなんて聞いたこともない。男装か?いやとてもそうは見えない。体格、顔付き、その何もかもが私の良く知る女とは異なる生物であると伝えてくる。耳を澄ます。彼の声が聞こえてきた。
「やったれー!とりあえずこの回抑えよう!2アウトだぞ2アウト!」
彼は私を応援してくれていた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
生きていて良かった。初めて野球をしていて報われた気がした。まさか男性に応援をされる日が来るなんて想像すらしたことがなかった。ありがとうございます幸姫様。私の頑張りを、努力を、苦悩を。アナタは見守っていてくださったのですね。諏訪を愛する一人の子供として、これほどの喜びはなかった。私は天を仰ぐ。
ポンポン
すると誰かに肩を叩かれる。誰だ。私が幸姫様に感謝を捧げているというのに。無粋なヤツもいるものだ。私は目の前を見た。そこには球審が立っていた。
「何しとん」
怒られた。
―――――――――――――――
-side 拓真-
なんだろうあのピッチャー。俺と目が合ったと思ったら天を仰いで泣き出した挙句に審判に怒られている。
あ、試合が始まった。ピッチャーが投げる。しかし球はヘロヘロ。そんな球当然打たれ・・・ることもなく見逃された。ストライク。不思議に思ったが、バッターが俺のことをガン見している。集中しろ。あ、三振になった。三塁側に帰っていくが、俺に向かって手を振ってくる。これ振り返した方がいいのだろうか?
「何してるんだあのバッター・・・」
「それはボクの台詞ですよ。ボク言いましたよね?球場ではできるだけ目立たないようにして下さいって。それを座って10分で無視するってどういうことですか?」
菊花さんが怒ってらっしゃった。
「だって仕方ないじゃん。野球観戦ってそういうもん・・・ゴッ!!」
わき腹を殴られる。この子はこの子で本当に心配してくれていることが分かるのだが、これは野球人の本能なのだ。仕方がないのだ。
”きゃあああああああああ!!!!!!!!”
パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチ!!!!!!!!!!
人の脇腹を殴っておいて涼しい顔をしている菊花をにらんでいたら突如として黄色い悲鳴と雷雨のような拍手がスタンドを包み込んだ。驚いた鳥たちが諏訪湖の湖畔から飛び立つのが見えた。今日の観客数は3000人ほどだろうか?恐らく収容人数は1万5千はありそうな球場なのでかなり寂しい。外野なんて誰もいないし。
「うわあビックリした!いきなりなんだよ!?」
「タク。あれあれ」
圭が指差す方を見る。するとそこには電光掲示板にでかでかと映る俺の姿があった。
「おおー!」
元の日本では電光掲示板に抜かれたことはなかった。まあ電光掲示板に映るのは大体子供か可愛い女の子なんだから抜かれるワケもないんだけど。そうか忘れていた。今の俺は美少女アイドル。そんな俺が観客席にいるのだから、電光掲示板に抜かれるなど当然のこと。美少女アイドルとしての自覚が足りていなかった。カメラは角度的に・・・お、あのカメラか。カメラのお姉さんが俺が気付いたのを察知してビクッとして申し訳なさそうな顔をしている。しかしそれに構わず笑顔と愛想を振りまいておいた。俺なんかの力で観客が盛り上がるならなんでもする。
”ひぃぃいいいぃいぎゃあああああぁぁぁあぁああぁあぁぁあ!!!!!!!!”
パチパチパチパチパチパチパチパチパチパチ!!!!!!!!!!
バチバチバチバチバチバチバチバチバチバチバチバチ!!!!!!!!!
スタジアムはなんかもう怖いくらいの盛り上がりを見せた。ちょっと怖い。例のペンギンがくるりんぱを成功させたとしてもここまでの歓声は流石に無いだろう。
「タク・・・」
「いい加減にしてくださいよご主人・・・。興奮したメス共に触られでもしたらどうするつもりですか」
「ははは もう触られてる」
さっきから俺の後ろの席に座る女子から頭と肩をペタペタ触られていた。
「何をしてるんですかアナタ達!!!!」
後ろに座るお姉さん達の手を菊花が引っぱたいていった。
痴女ってるところを電光掲示板に映されたらお姉さん達も流石にヤバいだろって思ったら俺の映像はすでに消えていた。狙っていたのだろうか?今は菊花に説教されてしょんぼりしている。
「美月さん!ちょっと警備員を呼んできてもらってもいいですか?コイツら突き出しますので」
「あ・・うん・・・」
「いいよ菊花。そこまでしなくても。彼女達だってテンション上がっちゃっただけだろうし」
「ご主人・・・」
せっかく楽しい野球観戦なのだ。それなのに俺が原因で試合を見られない人が出るなんてあっていいはずがない。
「ホラ、菊花も席に座って。野球観ようぜ。楽しいぞ?」
「はあ・・・」
菊花は特大のため息を吐くと申し訳なさそうにしてるお姉さん達を交互に見ると席に着いた。
「それならルールを教えてくださいよ・・・もう・・・」
それは面倒くさいから後で。




