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家庭教師として来たはずなんですが  作者: 夢幻


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 王城からの帰り道。アルノー伯爵家の豪華な紋章が刻まれた馬車は、夕暮れの街を走り抜け、セレナの実家であるカーター男爵家の前へと滑り込んだ。

 伯爵家の馬車が男爵家の前に停まっただけでも周囲の視線を集めてしまうというのに、セレナは王城の衝撃と、レオンの「ますます結婚したくなったなぁ」という爆弾発言への怒りで、そこまで頭が回っていなかった。


「それでは先生、送らせていただいたよ」


「……送り届けていただき、ありがとうございました、アルノー様」


 セレナが馬車を降りると、なぜかレオンも当然のように後に続いた。

 ちょうど娘の帰りを心配して玄関から出てきたセレナの両親は、宮廷服を着こなした見目麗しい次期伯爵様の登場に、一瞬でガチガチに身を硬くした。特に父は、礼儀正しくも鋭い観察眼で、突如現れた高位貴族の意図を測るように背筋を伸ばす。


「お初にお目に掛かります、アルノー様。学者をしております、ヘンリー・カーターと申します。娘が大変お世話になっております」


「いいえ、カーター殿。大切なお嬢さんをこのような遅い時間までお引き止めしてしまい、申し訳ありません」


 レオンはいつもの着崩した風ではなく、非の打ち所がない高潔な好青年として、これ以上なく誠実に頭を下げた。手元にはいつの間に用意したのか、セレナの父の専門分野に関連する貴重な古書と、母の好む上等なお菓子まで携えている。


「本日は、我が主君である王太子殿下へ、セレナ先生の素晴らしい教育の成果をご報告に伺っておりました。彼女のような聡明で気高い教師に出会えたことは、我がアルノー家の、ひいては我が国の誉れです」


 差し出された手土産の、好みを突いた選定と、レオンの筋の通った言葉選び。客観的な事実だけを並べれば、破格の条件で娘を雇い、その知性を正当に認め、王太子にまで紹介してくれた最高の理解者だ。両親はその誠実さに、深く感銘を受けたように目を細めた。

 そして、両親が完全にレオンへの信頼を深めたその瞬間、男は極上の笑みを浮かべて、さらりと特大の爆弾を投下した。


「カーター先生には、今後とも末永く我が家にいていただきたいと思っておりますので──いずれ正式にご挨拶に伺いたいと思っております」


「えっっっ」


「まあ……!」


「待ってください!!! 何の話ですか!!!」


 とりあえず静かに父とレオンの会話を聞いていたセレナは、淑女の仮面をかなぐり捨てて叫んだ。母が「まあ……!」と驚きに頬を染める中、父は静かに、けれど厳かに口を開いた。


「ほう……。貴殿のような高貴なお方にそこまで評価していただけるのは、親としてこれ以上の栄誉はありません。……ですが、我が家は何より、娘の気持ちを第一にと考えております。いくらお相手が素晴らしいお方であろうと、そこに娘の意志が伴わなければ、我々からお答えできることはございませんな」


 毅然とした態度で娘を守る防波堤となった父。その言葉に、セレナは救われたような目を向ける。しかし、レオンはそんな父の牽制すらも、嬉しそうに、深く胸に手を当てて受け止めた。


「ええ、勿論です、カーター殿。彼女の意志こそが最優先ですよ。私はただ、彼女に誠意を尽くし、その心がこちらを向いてくれるのを気長に待つ身ですから。……それでは、また次回の授業で。先生、ご両親様、失礼いたします」


 どこまでも紳士的に、しかし強烈な余韻を残して、レオンは満足げに馬車へと戻っていった。




◇◇◇



「もう、なんなのあの人は……!」


 家に入った瞬間、張り詰めていた緊張と疲労が一気に押し寄せ、セレナは居間のソファーにバタリと倒れ込んだ。

 そんな娘の元へ、母が優しく淹れたての温かい紅茶を運んできてくれる。父もその隣に腰掛け、眼鏡の奥の瞳を和らげて娘を見つめた。


「セレナ、本当によく頑張ったね。王城へ行くなんて、生きた心地がしなかったろう」


「……お父様」


「だが、お前がここ数年間、家庭教師として真摯に積み上げてきた情熱が、国の上層部にまで認められたんだ。お前の築いてきた信頼と教育論は、間違っていなかった。……お父様は、お前を本当に誇りに思うよ」


 父の大きくて温かい手が、セレナの頭を優しく撫でる。


「あのアルノー伯爵も、極めて明晰な頭脳の持ち主だ。手土産の選び方一つとっても、こちらの背景を把握した上で、誠意を示してきた。……あれほどの男が、お前を一人の人間として心から尊敬してくれているのが分かったよ。お前の価値を、それほど深く理解してくれている人がいるのは、嬉しいことだね」


「お父様までそんな……っ」


 家族の、絶対的な味方としての優しさと、知性への全幅の信頼。自分の努力を一番近くで見ていてくれた両親からの言葉に、セレナの張り詰めていた気持ちは消え去り、その目にはじわっと熱い涙が浮かんだ。


「……はい。とっても、緊張したけれど……私の教え方で間違っていなかったんだって思えて、嬉しかったです」


 家族から抱擁され、すっかり心が癒やされたセレナは、明日からの授業も頑張ろうと胸をなでおろした。

 しばし穏やかな時間が流れたあと、母が口を開く。


「でも、少し安心したわ」


「え?」


「だってセレナったら、お仕事の話になると目を輝かせるのに、自分のことは全部後回しなんですもの」


「そ、そんなことありません」


「あるわよぉ」


「家庭教師のお仕事が楽しいのは良いことだけれど……少しだけ心配していたの」


すると、父も苦笑した。


「お前、昔からそうだからな。誰かのために頑張るのは得意なのに、自分の幸せになると途端に不器用になる」


「うっ……」


 図星だ。というか、話の流れがおかしい。


「お父様まで……」


「恋愛結婚に憧れるのも悪いことじゃない。だが、恋愛というものは、待っているだけではなかなか始まらないものだからね」


「…………」


「お前が仕事に邁進する姿は、親として誇らしいよ。だが、お前自身が幸せになることも、同じくらい大切なんだ」

 

 母がうなずいた。


「ええ。結婚だけが幸せではないわ。でも、もし貴女のことを大切にしてくれる人が現れたのなら、その人から目を逸らさないであげてね」


「……」


「アルノー様がどうこうという話ではなくてね」


「えっ」


「ん?」


「あらあら?」


「ち、違いますから!!」


「ふふふ」


「もう!部屋にいきます!」


 ぷりぷりと足音高く部屋に向かう娘を見ながら、両親は感慨深げにため息をついた。どちらからともなく目を合わせ、微笑む。


「本当に素敵なお方だったわね」


「そうだな。誠実で、頭も切れる」


「そしてセレナを教育者として認めてくれているものね。あんなにお話ししてくださるなんて、本当に大切なんだわ、セレナのことが」


「………ああ。男としても、かなり出来た人物だと思うよ」


 娘の気持ちが第一だ。それは変わらない。だけど。もし、娘が誰かを選ぶのなら。ああいう相手なら安心して、送り出せるだろう。

 そんなことを思ってしまうくらいには、アルノー次期伯爵は好青年だった。


「さあ、お手並み拝見だな」


「ふふ、そう遠くないと思いますわよ」


「式典の服、サイズ変わってないか見ておくか…」


 こうして逃げ道がまたひとつ塞がれたことに、セレナは気付いていないのであった。




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