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家庭教師として来たはずなんですが  作者: 夢幻


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 アルノー家の仕事は、セレナにとってとても有意義だった。なんなら、楽しくすらある。とはいえ。


「……また、これですか」


 授業終わりにレオンの執事から恭しく差し出された新たな分厚い書類の束を前に、セレナは盛大なため息を吐き出していた。

 あのお茶会以来、セレナはレオンに対して並々ならぬ警戒心を抱いていた。しかし相手はそんなこちらの態度などどこ吹く風で、毎度毎度、授業の終わりに家庭教師への特別課題と称した、難解な実務資料を送りつけてくるのだ。


「レオン様から伝言でございます。『前回の反論は見事だった。では、西部の農地改革におけるこの課題なら、先生はどう子供たちに教えるかい?』とのことです」


「…分かりました、お預かりします」


 (あのお方は、私を臨時の家庭教師ではなく、自分の私設補佐官か何かと勘違いされているのかしら……!)


 プリプリと怒りながらも、生真面目なセレナはそれを突返したりはしない。鞄に資料を詰め込み、足早に馬車へと向かった。

 ──しかし、屋敷の玄関を出る直前になって、セレナはハッと足を止めた。


「いけない…」


 (明日使う予定の大事な歴史の教本……勉強部屋に忘れてきてしまったわ)


 執事を呼び戻すのも申し訳なく、セレナは「少し忘れ物を」とメイドに断りをいれ、一人でこっそりと先ほどまで授業を行っていた勉強部屋へと引き返した。

 カチリ、と静かに扉を開ける。

 てっきりもう誰もいないか、あるいはマルグリットたちが残っているかと思ったのだが──そこにいたのは、予想だにしない人物だった。

 部屋の真ん中に、いかにも厳格に鍛え上げられた、体格の良い凛々しい男が一人、直立不動で立っていたのだ。


「あ……失礼いたしました」


「いや。驚かせてすまない」


 その男は、突然入ってきたセレナに驚く風でもなく、礼儀正しく、しかし極めて無愛想に頭を下げた。


「俺はアレクシス・デュノワ。レオンに頼まれ、ここでレイナルドに武術を教えている。貴女はもしかして、セレナ先生か?」


(まあ、デュノワ様といえば侯爵家の…)


鉄壁とも呼ばれる、守護に秀でた方ではなかったか。噂に聞いたことのあった堅物な武官の登場に、セレナはすぐに背筋を伸ばした。家庭教師として、一分の隙もない礼を返す。


「お初にお目に掛かります、デュノワ様。マルグリット様とグランヴィル様の座学を担当しております、セレナ・カーターと申します。忘れ物を取りに戻りましたら、まさかこのような高名な武官殿にお目にかかれるとは」


「ああ、やはり、貴女が。貴女の噂はレオンから……いや、マルグリットやレイナルドからも聞いている。非常に有能で、信頼できる教師だと」


 アレクシスの硬い表情が、ほんの少しだけ和らいだ。褒められて、セレナも表情を和らげる。そのまま、レイナルドとマルグリットの教育についての話になった。


「レイナルドは素直で筋が良いが、少し体力が足りん。そちらの座学ではどうなっている? 稽古で疲れ果てて、文字が頭に入らんようになっては本末転倒だからな」


「そうですね、午後の時間になったら少しお疲れの様子です。私は意識して休憩を挟む間隔を狭めたり、少し身体を動かして気分転換をできるよう配慮しておりますが」


「なるほどな……」


「よいストレッチなどありますか?ありましたら、授業の合間に挟みますが」


「少し考えておく。レイナルド経由で伝えよう。こちらも、身体を動かしながら貴族関係のことを伝えることがある。先生の授業でしていない分野があれば教えて欲しい」


「それでしたら─」


 しばしレイナルドの教育について語り合ったところで、アレクシスはふ、と唇の端に笑みを浮かべた。


「貴女のようなまともな教育者がついていて安心した。あのレオンの気まぐれや嫌がらせに巻き込まれて、日々苦労しているだろう」


 アレクシスの直球な労いの言葉に、セレナは深く深く、魂の底から同意するように頷いた。


「……お察しいただき、深く感謝いたします、デュノワ様。本当に、あのお方の突飛な言動には日々頭を悩まされておりまして──」


 話が弾み始めた、その時だった。


「やあ、先生。忘れ物かい? ……って、おや」


 お茶の入ったカップを片手に、いつものニヤニヤとした笑みを浮かべて現れたのはレオンだった。てっきりセレナが一人でいると思って入ってきたレオンは、室内の光景を見た瞬間、ピク、と固まった。

 無愛想なアレクシスと、堅物な家庭教師の先生が 話しているだけの光景だ。ただ、それだけのはずなのに。

 胸の奥が、妙にざわついた。

──面白くない。


「二人とも、もう挨拶を済ませたのかい? ずいぶんと話が弾んでいるようだけど」


「ええ、アルノー様」


 セレナは教本をしっかりと抱え直し、フンッとそっぽを向いた。そして、前回の仕返しとばかりに、とびきりの笑顔を浮かべる。


「デュノワ様は貴方と違って、大変話の通じる理性的で素晴らしい紳士ですので」


「へぇ」


 レオンは笑った。けれど、その笑みはどこか引きつっているように見えて、セレナは内心首をかしげる。


「先生、ずいぶんと楽しそうだねぇ」


「ええ、今後の計画が、滞りなく整いましたわ。……それではデュノワ様、レイナルド様のことをまたお話しできましたら。アルノー様、失礼いたします」


 セレナは一礼を残し、実に軽やかな足取りで部屋を去っていった。

 残されたレオンは扉が閉まった後、椅子の背にもたれかかると、スッと目を据わらせて親友を睨みつけた。


「アレクシス、先生を口説かないでくれるかい?」


「仕事の話をしただけだ。お前と一緒にするな」


「先生は押しに弱いんだ」


「弱ければもうお前と婚約してるだろ」


「ああ言えばこう言うんだから、アレクシスは!」


「母上みたいなこと言うな」


 呆れ果てたように天を仰ぐアレクシス。レオンはセレナが出ていった扉をもう一度眺めた。

 どうしてだろう。彼女が楽しそうに笑っていたことが、妙に頭に残っていた。


 (やっぱり面白くないなあ)


 先生を見つけたのは、自分なのに




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