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家庭教師として来たはずなんですが  作者: 夢幻


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3




「……進捗確認、ですか」


 数日後の授業終わり。いつものように鞄を抱えて帰ろうとしたセレナは、呼び止めにきた執事の言葉に、露骨に眉をひそめた。


「左様にございます。レオン様が、今後の教育方針と進捗について、直接先生とお話しされたいと」


 (またあの男、何か企んでるわね)


 セレナは内心で身構えたが、雇い主への進捗報告と言われては、教育者として断る大義名分がない。仕方なく、セレナは執事の後をついてサロンへと向かった。

 案内された部屋の扉が開いた瞬間、セレナは思わず足を止めた。

 そこにいたのは、いつもと違って真剣な面持ちでうずたかく積まれた書類に目を通しているレオンだった。窓からの斜光を浴びて羽ペンを走らせる姿は、悔しいほどに絵になる。


「やあ、忙しいところ悪いね。そこに掛けておくれ」


 レオンは書類から目を離さないまま、流れるような動作で対面の席を促した。ニヤニヤとした締まりのない笑みはない。その隙のない空気に、セレナは一瞬だけ気圧されながらも、背筋を伸ばして着席した。


「進捗ですが、マルグリット様には職人としての身の守り方として関税、法律を、グランヴィル様には社交で必須となる比喩表現から、領地経営の基礎を教えております」


「うん、素晴らしいね」


 レオンはペンを置き、落ち着いた表情をセレナに向けた。


「実はね、来年あたりに東部領の税制を少し変えようと思っていてね。マルタが学んでいる革の関税の話は、実務の面でも非常に都合が良いんだ。もしよければ、そこに関連付けて領主と職人が互いに利益をもたらすための関係性についても、二人に説いてもらえないだろうか」


 そう言って彼が差し出したのは、セレナがこれまで見たこともない最先端の経済学原書、そしてアルノー家東部領の詳細な生産高・税収推移表だった。セレナの目がわずかに見開かれた。


「これは、門外不出では……」


「君になら構わない。マルグリットには貴族令嬢かつ職人としてどう生き残るかを、レイナルドには領主としてどう利益を生むかを、机上の空論ではなく実務として学んでほしい」


 レオンは指先で帳簿の特定の箇所を叩いた。


「例えばここ。現在の革の輸入関税率は22%だが、原料を安く仕入れても、技術がなければただの安物で終わる。マルグリットが目指しているのは芸術品レベルの靴だ。ならば税制を逆手に取り、熟練職人への補助を増やし、輸出時の関税を優遇する枠組みを作れないか?」


 セレナは息を呑んだ。

 ただの嫌がらせやお遊びではない。レオンは自分の授業を完全に信頼し、さらにレイナルドたちの未来を本気で見据えた上で、これ以上ないほど的確な提案をしてきている。


(本当に、育てたいという気持ちがしっかりある方なのね)

 

 驚きと同時に、知性を刺激されたセレナの胸が高鳴る。気がつけば最初の警戒心はどこへやら、彼女は身を乗り出していた。資料に視線を落とし、瞬時に頭の中で計算を始める。


「なるほど……それなら、税収全体への影響を考慮して、レイナルド様には税率変更による領民所得の推移を計算させるべきですね。マルグリット様には職人組合との交渉時に有利に立つための数字の読み方を」


「その通り。加えて─」


レオンがさらに数枚の資料を滑らせる。二人の会話はみるみる熱を帯びた。

 

「あと、このようなカリキュラムはいかがでしょう。マルグリット様が貴婦人に靴を紹介する過程で領地を知ってもらえるよう、グランヴィル様にそのサポートが出来るような知識を──」


「なるほど、それは面白い。ならば、この資料も付け加えよう。彼らの良い連動になる」 


 二人の意見は驚くほどに噛み合った。レオンの出す指示はいちいち合理的で、セレナがこう教えたいと思う理想のさらに先を行く。

気づけば予定の時間を大幅に過ぎるほど、密度の濃い議論が交わされていた。


「──ふぅ。なるほど、よく分かりましたわ」


 セレナは熱くなった頭を冷ますように、用意されていた冷めた紅茶に口をつけた。


「お話しできて良かったです、アルノー様。失礼ながら、貴方への認識を少し改めなくてはなりませんね。本当に、素晴らしい為政者の頭脳をお持ちです」


 少し照れくさそうに、けれど心からの敬意を込めて、セレナは誠実な笑みを浮かべた。

完璧な雰囲気だった。知性あふれる男女が、互いの実力を認め合い、距離を縮めた瞬間──。

 レオンはすっといつもの意地悪で楽しげな、捕食者の笑みに戻った。


「で、どう? 私のこと、ちょっとは見直した? 意外とカッコいいじゃない、とか思っちゃった?」


「……は?」


「いやぁ、セレナ先生が私の話をあんなに熱心に聞いてくれるから、嬉しくて。これで私たちが恋愛結婚するために、一歩前進したよね?」


 一瞬にして、サロンの空気が凍りついた。

 さっきまでの、あの凛々しくて尊敬できる男はどこへ行ったのか。


「……アルノー様」


「なんだい?」


「前言を、全力で撤回いたします。やはり貴方は、ただの底意地の悪い変人です!!」


 顔を真っ赤に激昂させたセレナは、椅子を蹴立てんばかりの勢いで立ち上がると、今度こそ盛大に足音を立てて退室していった。

 バタン!!と大きな音を立てて扉が閉まる。

 それを見送りながら、レオンは声をあげて笑った。


「あはは! 怒った顔やっぱり可愛いなぁ……それにしても、あそこまで話が通じる相手は久しぶりだ」





 レオンは残った紅茶を優雅にすすりながら、楽しげに目を細めるのだった。


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