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招待客の受け入れが終ると、マルグリットは微笑んだ。
「皆様、お集まりいただきありがとうございます。私は一度離れますが、お食事をご用意しておりますので会話のお供にお食べください」
堂々とした態度、綺麗なカーテシーを見せてマルグリットが中座する。その間、レイナルドは顔繋ぎに勤しんでいた。伯爵やレオンから紹介を受け、物怖じすることなく会話を交わす。壁の花になりながら、セレナはその様子を温かく見守っていた。
「やあルーイ。こちら、私の義理の弟になるレイナルド・グランヴィルだ。レイナルド、イリオス伯爵家のルーイ様だよ」
「お初にお目にかかります、イリオス様。先日発表されていた、連続農業による収穫量の減少についての論文拝読しました。麦の次に豆を育てては、ということでしたが、モロコシなど別種類は難しいのでしょうか?」
「おや、あんな地味な論文を読んでくれたんだね!そうなんだよ、そこがミソなんだが───」
如才なく、相手の懐に入ってみたり。
「レイナルド、こちらは弟のヒューバートだ。ヒュー、壮健そうでなによりだ。義理の息子のレイナルド・グランヴィルだ」
「おお、お噂はかねがね聞いてますよ、グランヴィル君。あのマルグリットが人を連れてくる日が来るとはねえ」
「初めまして、ヒューバート様。素敵なお靴ですね、そちらの紋様は波では?舶来品でしょうか」
「!流石マルグリットといるだけあるね、目の付け所が違う。これはまさしく舶来品でね──」
相手の様子から、会話を広げたり。
レイナルドを初めて見る人々もいるのだろう。そこかしこで、囁く声が聞こえる。
「中座前にお話ししたが、マルグリット様とは思えないほど社交的になられたな」
「あの青年、本当にグランヴィル卿なのか?」
「この間までまともに教育を受けてないときいていましたが…」
「いやはや、流石アルノー家と縁付くだけある」
「聞けば家庭教師が入ったそうだ」
教え始めた当初は、線の細さと自信のなさが目立ち、いつもどこか怯えたように他人の顔色を窺っていたレイナルド。愛想をふりまくことが苦手で、令嬢よりは職人として社交界に立っていた、マルグリット。二人とも、本当に立派な公の姿を見せるようになった。
胸がいっぱいになっていると、再び広間の扉が開いた。マルグリットが姿を現した瞬間、会場がしんと静まり返り、次いで小さなどよめきが波のように広がっていく。
先程まではダークグレーの三つ揃えに水色のシャツを着たレイナルドと同系色のパステルブルーのドレスだった。それが一転、今度の彼女が身に纏っているのは目が醒めるような赤いドレス。そしてその裾から覗くのは、レイナルドの好みを詰め込んだ、マルグリット渾身の金色の一足。
そのあまりに情熱的で美しい変貌に、レイナルドも一瞬だけ呆気に取られたように目を丸くした。けれどすぐに、その瞳のすべてを愛おしさに染め上げ、蕩けるような甘い笑みを浮かべて彼女へと手を差し伸べる。エスコートされるマルグリットの頬が、ドレスの色に負けないくらいにぽっと赤く染まった。
寄り添い合う二人のあまりに絵になる姿を見て、セレナの唇からも自然と幸福な微笑みが零れ落ちる。
(素敵だわ、私の教え子たち)
洗練された隙のない立ち居振る舞い。他の貴族たちとの内容が多岐にわたる会話にも、決して臆することなく見事に応答してみせる、その教養の深さ。すべては、彼らが流した涙と、泥臭く積み重ねてきた努力の結晶だ。共に教本をめくった日、姿勢のレッスンで何度もステップを踏み直した日──そんな愛おしい日々が走馬灯のように脳裏を駆け巡り、じんわりと、熱いものが胸の奥から込み上げてくる。
「……先生、すごく良い顔をしてる」
ふと、隣から優しい声が降ってきた。見上げると、レオンがセレナを見つめていた。
「わかりますか?」
「わかるよ。ずっと一緒にいたんだから。……頑張ったね、先生。二人をあそこまで立派に育て上げてくれて、本当にありがとう」
「いえ。私は、当然のことをしたまでです」
当然、という言葉で逃げようとしたセレナの肩に、レオンの大きな手がそっと添えられた。セレナは思わずみじろぐ。
「当然じゃないよ」
レオンは即答してからセレナが来る前のことを思い出して苦笑を浮かべた。
『貴族のマナー?靴屋に必要ですか、それ?』
面倒という気持ちを隠しもしなかったマルグリット。社交界に出れば、ずっと壁の花でいるか、要らぬことを言って軋轢を生んでいた。
それが今ではぎこちないながらも微笑を浮かべ、歓談している。
そんなマルグリットと縁あって出会ったレイナルドも、紳士とはほど遠く。立ち姿から自信なさげにいたというのに、今はマルグリットの腰に手を添え、支える立派なパートナーだ。
レオンは、改めて口を開いた。
「当然じゃないよ。先生が、二人の可能性を誰よりも信じて真っ直ぐ向き合ってくれたからだ。……ほら、坊っちゃんもマルグリットも、こっちを見てる」
レオンの視線を追うと、歓談の輪の中心にいるレイナルドとマルグリットが、こちらを見て嬉しそうに、誇らしげに小さく微笑んでいた。
『先生、私たちの晴れ舞台を見ていてください』
二人の視線が、そう語っているようで、セレナの視界が少しだけ潤む。レオンがセレナの耳元にそっと唇を寄せ、周囲には聞こえない低い声音で囁いた。
「二人の門出は大成功。本当にありがとう、先生」
その声を聞いて、笑顔を見て。セレナの心臓はまた変な音を立てた。けれど、それ以上に胸を満たしていたのは、幸福感だった。
ああ、良かった。この子たちに出会えて。家庭教師になって、本当に良かった。──そして。願わくば、これからも。この人たちの未来を、少しだけ近くで見守っていけますように。
そんなささやかな願いを胸の中で呟いた時、広間にひときわ華やかな前奏が響き渡った。
婚約した二人が最初に踊る、ファーストダンスの合図だ。レイナルドが恭しく頭を下げ、マルグリットの手を取ってフロアの中央へと進み出る。息を呑んで見守る中、二人のダンスが始まった。
マルグリットが回るたび、ドレスの鮮烈な赤と、その足元で毅然と輝く金色の一足が、シャンデリアの光を浴びて火花のようにきらめいた。
「……素晴らしいわ」
マルグリットを逞しくリードするレイナルドの頼もしさに、セレナの胸は再び熱くなる。会場からは割れんばかりの拍手と、二人の見事な教養と美しさを称賛する声が止まない。
伝統的なワルツが終わり、誰もが格式高い余韻に浸ろうとした、その瞬間だった。
──カツン!!
静まり返った広間に、硬質で小気味よい音が鋭く響き渡る。ハッとして誰もがマルグリットの足元を凝視した。ここからは、レイナルドとマルグリットが靴を見せつけるための時間だ。
アップテンポに切り替わった音楽に合わせ、次々と繰り出される難度の高いタップ。ステップが刻まれるたび、マルグリットの金色の一足と、レイナルドお気に入りの黒い靴が火花を散らすように衆目に晒されていく。高貴な夜会には少し刺激的かもしれない。けれど、あまりの美しさと気高さを前に、はしたないなんて野次を飛ばせる者は誰一人としていなかった。ただただ、二人の息の合ったダンスと、まばゆく輝く靴に、誰もが呼吸を忘れて目を奪われている。
そんな中、セレナはふっと表情を緩めた。
真剣なステップの合間、二人が普段の日常で見せるような、少し悪戯っぽい表情で互いに笑い合っているのが見えたからだ。張り詰めた社交界の表舞台、けれど二人にとってはこれが、何より心が躍るリラックスした時間なのだろう。
(気が休まって、良かった)
そんな風に、我慢強く頑張ってきた二人の時間を微笑ましく見届けていると。激しい曲が鮮やかに鳴り止み、会場中が嵐のような拍手と興奮の余韻に包まれた。
その熱気の直後、隣にいたレオンが、ふっと悪戯っぽく、けれどひどく色気のある笑みを浮かべてセレナに向き直った。
「主役たちの見事な初陣だったね。……さて、先生」
レオンがすっと、美しい所作で右手を差し出す。
「次からは、一般の歓談のダンスだ。……私に先生との最初の一曲を踊る光栄をくれるかい?」
「!?私はあくまで家庭教師として……」
「うん、アルノー家の家庭教師。つまり、主催者側だろう?……大丈夫、みんなマルグリットたちに目を奪われてる。さっき約束したじゃないか、 少しだけ隣にいてくれるって」
ずるい琥珀色の瞳が見つめてくる。断れるはずもなかった。差し出された彼の手の上に、セレナはそっと、己の手を重ねた。




