25
色んなことを考えては身もだえそうになりながらも、なんとか迎えた婚約パーティーの日。
アルノー家からドレスが届いた日は「これは東方の織り方か?」「ここの紋様は…ううん、辞書を持ってこないと」と、ドレスへの興味が尽きない様子だった父は、今朝になって目を潤ませたりいきなり抱擁してきたりと情緒不安定だったのだが。ドレスアップして玄関にやってきたセレナをみて、大きくため息をついた。
「きれいだよ、セレナ。悔しいほどにな」
「本当に。ドレスも素敵だけど、靴も良いわね。あと、お化粧も!」
レイナルドからは化粧が得意という侍女が派遣されてきていた。
先ほどのことを思い出す。
「お嬢様はあまり化粧をされてこなかったのですね。日に焼けた跡は消すことも出来ますが、どうしますか」
「消して──いえ、残してください」
思い出されるのは、教え子たちとの日々。書物にかかりきりになることもあったが、本人たちの興味に合わせ、外に出て一緒に植物の観察をしたり、馬をかけたりもした。
そんな中で出来たのなら、日焼けすらも、自分の誇りだ。
侍女はふと笑ったあと、大きくうなずいた。
「任せてください。グランヴィル様から聞いているか分かりませんが、美しく盛り立てるのは得意ですから」
彼女の言葉に偽りはなかった。淑女としては色のついた肌に合わせた下地に粉をはたかれ。目蓋には上品にラメが散らされる。頬や唇に色をのせ、完成された自分を見た時には驚いたものだ。
間違いなく自分なのに、数段綺麗に見える。感動して色々尋ねたところ、元々グランヴィル家に仕える侍女だという。レイナルドのことも美少女に見えるよう化粧していたと聞いて驚かされたが、納得もした。この腕なら男を女にみせることも容易いだろう。
アルノー家から送られたドレス、マルグリット作の藍色の靴、レイナルドの伝の化粧。これ以上無いほど勇気をもらい、馬車に乗り込む。
しかし、アルノー家へ向かう道中、セレナの心臓はどんどん早鐘をうっていった。
(落ち着いて……落ち着くのよ、セレナ)
今日は婚約パーティーだ。主役はマルグリットとレイナルド。自分は家庭教師として、その門出を見届けるだけ。そう、何度も自分に言い聞かせる。
やがて馬車が止まった。侍従が扉を開ける。深呼吸を一つして、そっと足を下ろした。
「……先生」
「っ」
聞き慣れた声。顔を上げると、そこにはレオンが立っていた。上質な夜会服に身を包んだ彼は、いつもよりどこか大人びて、格好良く見える。動揺して、足を踏み外しかけた。
けれど、動揺は向こうも同じだったらしい。卒なく支えつつも、口は開かない。
「…………」
「アルノー様?」
レオンが、見たこともないほど呆然と固まっている。いつもなら真っ先に軽口が出るはずの男が、喉を小さく鳴らしたまま、ただ圧倒されたようにセレナを凝視していた。
「……ええと」
「…………」
「アルノー様?」
「……ああ、ごめん」
レオンは我に返ったように激しく瞬きをすると、珍しく余裕をなくした様子で、片手で顔を覆うようにしてふう、と息を吐いた。
「ちょっとびっくりした。……いや、かなり」
「えっ」
「先生が綺麗すぎて。……心臓に悪い」
「っ!!」
一気に顔が熱くなった。
「なっ、何を仰っているんですか!からかわないでください」
「からかってなんかないさ」
レオンは吸い寄せられるように一歩距離を詰めると、手袋を嵌めた指先で、セレナの頬に触れるか触れないかの絶妙な距離でそっと這わせた。
「……隠さなかったんだね。貴族の令嬢たちが必死に白粉で塗り潰そうとする日焼けの跡を、君はそのまま、誇らしく輝かせている」
「っ……」
「君が今まで仕事に真摯に向き合って、一緒に駆け回ってた証拠だ。……本当に、世界一気高くて美しい。いつもの先生も素敵だけど」
琥珀色の瞳が、ゆっくりとセレナを見つめる髪型。化粧。ドレス。そして、靴。
一つ一つを確かめるように視線が降りていく。
「……すごく似合ってる」
「ありがとう、ございます」
「アルノー家勢揃いって感じだね。靴はマルグリットのだろう?化粧はあのグランヴィルの侍女かな。先生らしくて、素敵だ」
「っ……」
「でも妬けちゃうな」
「え?」
「こんなに綺麗だと、目が離せなくなっちゃう」
「アルノー様!!」
慌てるセレナを見て、レオンがくすくす笑う。
けれど、その笑顔はいつもの軽口とは少し違った。
「……困ったな」
「何がですか」
「先生を紹介したくない」
「はい?」
「私だけ知ってればいいなって」
「何言ってるんですか!?」
セレナが慌てていると、レオンはふっと笑った。
「自分でも変なこと言ってるなって思う」
「思うならやめてください」
「無理」
「えっ」
「先生って、意外と無防備だから」
「む、無防備……?」
「そう」
レオンが少しだけ身を屈めた。
「自分がどれだけ素敵か、全然分かってないでしょう?」
「そ、そんなこと……」
「あるよ」
即答だった。
「先生が思っている以上に、みんな先生のこと見てるからね」
「みんな……?」
「うん」
レオンが少しだけ困ったように笑う。
「だから今日は、なるべく私の近くにいて」
「え」
「心配だから」
「…………っ」
どくん、と心臓が跳ねる。
「べ、別に、一人でも大丈夫です」
「うん、先生がしっかりしてるのは知ってるよ」
「でしたら」
「でも」
レオンがふっと笑った。
「私が隣にいたいんだ」
「っ……!」
「駄目?」
琥珀色の瞳が、ずるいくらいに真摯に見つめてくる。いつもみたいに軽口を叩いているようでいて、その実、最初から断らせる気なんて微塵もないのだ。ここで「駄目です」と拒絶できるほど、セレナは強くなかった。
熱い視線から逃げるように視線を泳がせ、やがて敗北を認めるように小さくため息をついた。
「……少しだけ、ですよ」
「うん、少しだけね」
「婚約パーティーですからね」
「そうだね」
「主役はマルグリット様とグランヴィル様ですから」
「分かってるよ」
「……少しだけですからね」
念を押すようにして、セレナはすっと自分の右手を差し出した。
エスコートを受け入れるその手を、レオンは待っていましたとばかりに、手袋越しでも伝わるほどの確かな熱量でそっと、けれど容易には解けない強さで包み込む。そのままセレナの手を自分の腕へと導き、ぴったりと隙間をなくすように寄り添わせた。
あまりの密着ぶりに、またしても心臓が跳ねる。ちらりと盗み見た隣で、レオンは満足そうに目を細めていた。
「ふふ」
「何ですか」
「先生が甘やかしてくれるようになったなあって」
「違います!貴方が我が儘をおっしゃるからです!」
「そっかあ。まあ、理由は何でもいいよ。こうして隣にいてくれるならね」
すべてを見透かしたような極上の笑顔で、レオンは楽しそうに喉を鳴らした。
差し出された彼の腕から伝わる体温が、ドレスの薄い生地を通してセレナの肌をじりじりと灼いていく。
(私の心臓、本当に今日一日持つのかしら……)
すでに持て余し気味の胸を抑えつけながら、セレナはレオンに導かれるまま、屋敷へと一歩を踏み出した。




