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主催者の兄、つまりレオンが行方不明だったことで延期になっていた婚約パーティーは、1ヶ月後に行われることになった。もうやることは無いと言うのに、セレナは今日もアルノー家にいた。
「だからね、セレナ先生。私としては、マルグリットのドレスにこの刺繍を足したいのよ」
「華美すぎます」
「もう、そんなこと言って!先生はどう思う?」
「蔦と言えば繁栄の模様ですし、同系色ならそこまで華美にならずに映えると思いますが…」
「どう、マルグリット?」
「まあ…うーん、同じ色なら…」
ひたすら女性陣との打ち合わせ。服装はもう決定していたのだが、どうせ時間が出来たのだからと、さらにこだわるらしい。
セレナは少し考えて口を開いた。
「ドレスのお色直しのように、靴を変えても良いかもしれませんね。出迎えるときは格式高い、ヒールも高めの靴で。歓談の時は、マルグリット様の好みを詰め込んでもいいのではないでしょうか」
「好み」
「先生、良い案だけれど駄目よ。この子ったら履ければなんでも良いとか言い出すから」
「こんなに素敵な靴をお作りになるのに?」
セレナは思わず少し大きな声を出した。そこに、コンコン、とノックの音が響く。
「先生の声が聞こえたよ。どうした?」
「アルノー様…」
「マルグリットの悪癖よ。自分の装いに無頓着」
「ああ、いつものね」
レオンは苦笑しつつ部屋に入ってくると、当然のようにセレナの隣に腰掛けた。
長椅子は他にも空いているし、何なら一人掛けのソファだってある。にもかかわらず、彼はまるでそこが自分の席だと疑わない様子で、セレナとの間に指三本分ほどの隙間しか空けない距離に座ったのだ。
(っ……アルノー様、いくら何でも近すぎます……!)
ぎょっとして身を引こうとしたセレナだったが、絶妙な距離で座られ、逃げる場がない。ふわりとレオンのまとう、少し甘くて爽やかなシトラスの香りが近づく。
周りの夫人やマルグリットは何も言わない。それが日常茶飯事であるかのように、全く気にした様子もなく話を続けていく。
「美意識もセンスもあるはずなのに、自分のはなんでこんなんなんだか」
「ほんとよねえ」
「うるさいですね」
「分かってるのかい、マルグリット?君だけでなく坊っちゃんのセンスも疑われるようになっちゃうんだからね」
「は…?レイナルドは関係ないでしょう」
「関係あるってば。婚約パーティーだよ?二人揃っての場なんだから、二人で決めたと思われるでしょ。変なの着てたら二人で笑い者だよ」
「…」
難しい顔になったマルグリットに、セレナはレオンの近さに心臓を激しく打ち鳴らしながらも、そっと助け船を出す。
「いっそ、グランヴィル様の好みを聞いても良いのかもしれませんよ。実はこんな靴を履いて欲しい、とかあるかもしれません。グランヴィル様のためと思えば、熱が入りませんか?」
「…確かに。聞いてきます」
「え、今から?」
「物によっては時間がかかりますから」
それでは、とマルグリットが出ていく。その潔い姿を見送ったレオンは、セレナに視線を向けた。
「先生は本当にマルグリットのことがよく分かってるね」
「本当ねえ、助かるわ。我が家の暴れ馬たちの手綱を握るのがお上手」
「いえ、そんな…」
否定しかけて、セレナは内心疑問符を浮かべた。暴れ馬、たち?
「しかし先生、前も思ったけど少し痩せたんじゃない?」
レオンが少しだけ身を乗り出し、セレナの顔を覗き込んできた。
誰かさんが行方不明になって、生死も分からなくて、気が気じゃなくて、夜もろくに眠れず文献を漁っていたからだ──そんな呪詛のような本音が顔に出てしまったのだろう。レオンはそれを見逃さず、悪戯が成功した子供のように嬉しそうに目を細めて笑った。。
「もしかして私が心配だった?」
「っ」
「当たり前でしょう。貴方を探すために、色んな伝をたどってくださったのよ?ちゃんとお礼をいいなさいな」
それまで静観していた夫人が、呆れたように言葉を添える。レオンの笑みが、少しだけ柔らかくなった。
「……そっか」
いつものように冗談を返すのかと思ったのに、レオンは静かにセレナを見つめている。
「ありがとう、先生」
「……っ」
「すごく嬉しい」
「そんな、大したことでは……」
「大したことだよ」
きっぱりと言い切られ、セレナは言葉を失った。
「先生が探してくれたなんて。仕事以上のことはしない人だったから」
「っ」
図星だった。家庭教師は家庭教師、ひとつの家に肩入れせず一線を引く。それが、ずっとセレナの当たり前だった。
「だから、嬉しいな」
そう言って、レオンが笑う。
「帰ってくる場所が、また一つ増えた気がするよ」
「……!」
「アルノー家だけじゃなくて、先生のところにも帰らなくちゃって思った」
「そう、ですか…」
気恥ずかしくなって、口がもにょもにょ動いてしまう。セレナはこの生暖かい空気を変えようと、考えを巡らせた。
「マルグリット様のドレス、更に素敵になりそうですね」
「先生のドレスにも刺繍足しとく?」
「え」
「そうね、お揃いが良いわ。前の夜会の時も思ったけれど、おバカさんが減るもの」
「あの、待っていただけますか」
なにやら話が思わぬ方向にとんだ。二人の顔を交互に見ながら確認する。
「レイナルド様とマルグリット様の婚約パーティーですよね。何故私のドレスを?」
「え、参加しないのかい?」
「いえもちろん、参加させていただきますが」
教え子の言わば集大成だ。その場に行けるのはとても嬉しいが、ドレスをアルノー家が用意となると話は変わってくる。前回の王宮の夜会は、まだマナーが完璧ではないレイナルドたちの付き添いとして、また補助役として立場を示すために揃いの刺繍にも一応納得したし、ドレスを送られることにも了承した。
けれど、今回はアルノー家主催の、身内の祝いの席。そこで、この家の令嬢であるマルグリットとお揃いの、アルノー家の繁栄を意味する蔦の刺繍をあしらったドレスを着るなど。それでは、まるで。
(私が、身内みたいじゃない)
一気に顔に熱が集まるのが分かった。まだ自分の気持ちを伝えられてないというのに、これだ。いやもしかしたら大切な家庭教師という意味合いなのかもしれない。期待しそうになる気持ちを、傷つかないように押さえ付ける。
「あの、奥様。私はあくまで、家庭教師としてお招きいただく立場ですので……」
「あら、それが何か問題かしら?」
夫人は、何でもないことのように上品に小首を傾げた。
「我が家の誇る先生ですもの。アルノーの家の皆と並んでも恥ずかしくない、最高の装いで並んでいただかなくては。それに……」
夫人はふっと、息子のレオンに視線を送って楽しげに目を細める。
「変な誤解をさせておいた方が、我が家の可愛い先生を、どこの馬の骨とも知れない男に拐われなくて済むでしょう? ねえ、レオン?」
「さすが母上、話が分かる」
「っ……」
息の合った親子の連携に、セレナは言葉を失った。隣に座るレオンは、我が意を得たりとばかりに深くうなずき、セレナが顔を真っ赤にして困惑しているのを見ながら、楽しそうに目を細めた。ふわり、と少し甘い体温が近づく。
「先生、嫌かい?」
「嫌、というわけでは、ありませんが……」
「じゃあ決まりだ」
「アルノー様!」
嫌じゃないなら、断る理由にはならない。そんな理屈が通ると思っているのだろうか。あまりのぐいぐいとした距離の詰め方に、セレナは思わず隣のレオンをキッと睨みつけた。しかし、当のレオンは、睨まれたことすら嬉しそうに喉を鳴らして笑っている。
「先生が嫌って言ったら私も諦めるけど……言わなかっただろう?」
「それは、言葉の綾というものです」
「いいじゃない、セレナ先生。私、先生とマルグリットのお揃いの刺繍のドレス、とっても楽しみだわ」
夫人まで完全に楽しんでいる。アルノー家において、セレナの「嫌ではない」は肯定と同義として扱われるらしい。まだ自分の恋心を自覚したばかりだというのに、なし崩し的に身内としての席が用意されていく。
(私の心臓が、パーティーまで持つかしら……)
くらくらして限界を迎えそうな頭を必死に保ちながら、セレナはただ、隣から注がれる琥珀色の熱い視線から逃れるように、深く俯くことしかできなかった。




