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心配していても、残酷なほどに毎日は過ぎ、いつも通りに朝日は昇る。
セレナは毎朝、目が覚めると真っ先に、棚に大切にしまってあるあの藍色の革靴に視線を落とした。まだ一度しか履いていない、自分のための藍色の革靴。
帰ってきたら、もう一度これを履いて出掛ける約束をした、大切な一足。自分だけの、彼とどこかへ出掛けるための靴。
「……あと、四日」
そっと呟き、いつも通りに起きて、教本を直したり、他の家庭教師の仕事に行ったり──そして夜は、レオンから渡された山のような課題を解いて過ごした。
早く言ってしまいたい。彼が帰ってきたら、この靴を履いて、今度こそ私の口からあの言葉を伝えるのだ。そう決めたのに。
自分の部屋は酷く静かで、レオンが残していった本のページをめくるたび、1日1日が気の遠くなるほど長い感覚に囚われる。ペンを握る指先が、早くもあの温もりを恋しがっていることに気づき、セレナはぎゅっと唇を噛み締めた。
──そして、約束の一週間を前にした、ある日のこと。
魔獣退治に向かった王太子一行が、今まさに王都へ凱旋したという知らせが、街の歓声とともにセレナの耳にも飛び込んできた。
その瞬間、手にした教本を机に放り投げ、セレナはあの藍色の靴を履いて、居ても立ってもいられず大通りへと駆け出した。
(帰ってきた……!)
大通りは、英雄たちの帰還を祝う民衆で溢れかえっていた。色とりどりの紙吹雪が舞い、地響きのような大歓声が響き渡る。人混みをかき分け、爪先立ちになって必死に視線を送ると、馬上から民衆へ優雅に手を振る王太子の姿が見えた。その後ろには、いつもよりさらに固い顔をしたアレクシスの姿もある。
でも、レオンは?
セレナは息を切らしながら、行列の端から端まで、狂ったように目を凝らした。
いない。
どこを探しても、あの飄々とした、けれど誰よりも目を引く次期伯爵の姿が、視界に入らない。どくん、と心臓が嫌な音を立てた。歓声が、急に耳に届かなくなる。
セレナは着ているドレスの裾を大きくひるがえすと、新調した靴の底で力任せに石畳を蹴り、アルノー家へと向かって走り出していた。
◇◇◇
アルノー家に向かうと、玄関に皆が勢揃いしていた。伯爵夫妻にマルグリット、レイナルド。先触れも出さずに訪れたセレナは、自分の不躾さに慌てて口を開く。
「申し訳ございませ─」
「先生、落ち着いて聞いてもらえますか」
マルグリットの声がいつもより固い。レイナルドは、蒼白な顔をしている。嫌な予感がますます強くなっていく。
「兄上、が」
「いい、マルグリット。私から伝える。セレナ先生、レオンだが。行方不明だ」
「ゆくえふめい…」
「王太子殿下のテント傍にいたところ、魔獣の急襲にあったらしい。レオンは殿下を庇って─」
伯爵の口が、何かを動いて説明している。けれど、セレナの耳には、もう何も入ってこなかった。音が、遠い。
『先生、ほんと大丈夫だから。すぐ戻ってくるよ。いいこで待っててね!』
そう言って、新しい靴を見て、嬉しそうに「楽しみだね」と笑った、あの眩しい笑顔だけが、遠のいていく意識の中で鮮明に明滅していた。
(……まだ)
まだ、何も伝えていないのに。
(……まだ)
好きだとも、隣にいたいとも。何ひとつ。
何ひとつ、伝えていないのに。




