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マルタ工房改め、マルグリットから靴を受け取った日。セレナは思わずほう、と感嘆の声をもらした。上品な外装に、まるで履いていないかのような履き心地。恋が叶うなんておまじないがどうでも良くなるくらい、その靴はセレナに合っていた。箱から出して眺めて、履いて、また眺めて。すぐにお気に入りになったのだった。
そして、次のアルノー家での授業の日。セレナは、その靴を履いて出掛けた。少しの勇気をもらうために。
いつもの道のりも、なんだかそわそわする。早く言ってしまいたい気持ちと、私なんかがという気持ちがせめぎ合う。すっかり慣れた勉強部屋に入るとすぐ、めざとく靴を見つけたマルグリットが意味ありげな目を向けてきた。
「先生、やはりお似合いですね」
「ありがとうございます、職人の方の腕がいいから」
「そうですよね!実は僕の靴もマルタが作ってるんですよ」
「紳士靴も?多才なんですね」
「まあ、靴には自信があります。それ以外が駄目なので先生のお力が必要なんですが」
「ふふ、大丈夫。ちゃんと出来るようになってきていますよ。私はお勉強には自信があるんです」
苦笑したマルタに微笑みながら、セレナは教本を開いた。
◇◇◇
授業が終り、いつものようにレオンがやってきたのだが。その隣には、アレクシスが。
「やあ先生、こないだはパーティー楽しんだかな?」
「!?なんで…デュノワ様から聞いたのですか?」
「うん、まあそうかな」
にこにことしている姿はいつも通りなはずなのに、厳めしい顔をしたアレクシスが緊張を呼ぶ。視線を向けると、重々しく口が開かれた。
「魔獣がでた。討伐にいく」
「!」
簡潔な言葉だった。そんな、とレオンを見ると手をヒラヒラされる。
「まあ一週間かな。王太子殿下も行かれるからね、私も側近らしく護衛兼ねていってくるよ」
「アルノー様はお強いのですか」
心配のあまり、失礼なことを聞いてしまう。握りしめた手が痛い。
「えー?無理無理、近接戦とか自信ない」
「それなら!」
「カーター先生、真に受けないでくれ。随一の魔術の使い手だ」
アレクシスの言葉を裏付けるかのように、マルグリットも首肯する。
「姿を変えるなんていうとんでもない魔術も出来るくらいですから。心配いりませんよ」
「鍛えてもいらっしゃいますよね、レオン様。僕よりかは全然お強いですよ」
レイナルドにも言われて、唇をかみしめる。
(強くても、だとしても)
行かないで欲しい。それは、家庭教師が雇い主に言うにはあまりに大それた言葉だった。
セレナの様子を見て、レオンは少し困った顔をする。
「先生、ほんと大丈夫だから。すぐ戻ってくるよ。いい子で待っててね」
「なん、ですかそれ…」
「私からの課題も沢山用意しておくよ、これがあれば私のことを忘れないだろう?」
「そんなもの、」
そんなものなくても忘れられるものか。言いたかった言葉を飲み込んで、セレナは意識して微笑みを浮かべた。
「…いってらっしゃいませ。ご武運を」
「うん、いってきます」
レオンはそう言って微笑むと、ふと、いつにない真剣な眼差しでセレナの足元に視線を落とした。品で、深みのある藍色の革靴。内側に小さな秘密の刺繍を隠した、セレナのためだけの一足。
「おや……素敵な靴を履いているね、先生。……もしかして、マルグリットのかな」
「えっ……。あ、ええ、その……」
急に足元を指摘され、セレナは慌ててスカートの裾を引っ張って隠そうとする。しかしレオンはくすくすと嬉しそうに喉を鳴らした。マルタ工房で隣に並び立つための覚悟を込めて作った靴。その意味を、まるで本質を見抜くかのように、レオンは察したのかもしれない。
「いいね、すごく似合っている。……よし、私が帰ってきたら、その新しい靴を履いて、また二人でどこかへ出掛けよう!いいね、先生?」
「アルノー様……」
「ふふ、楽しみだね」
いつもなら、「違います!」と返せたはずなのに。どうしてか、今日は言葉が出てこなかった。
(……だって)
そんな未来を、少しだけ想像してしまったから。新調したお気に入りの靴を履いて、彼の隣に並んで、一緒に街を歩く未来。毎朝送り出して、帰りを待って。「おかえりなさい」と言える日々を。
(…………っ)
駄目だわ。そんなこと、考えてはいけないのに。
セレナはぎゅっとスカートの上から拳を握りしめる。
「……お気をつけて」
それが、精一杯だった。
「じゃあ、行ってくるよ」
ひらひらと手を振り、アレクシスと共に部屋を出ていくレオン。その背中を見送りながら、セレナは新調した靴の底から、彼らが遠ざかっていく足音が床を伝って響くのを感じていた。
一週間。たったの一週間だ。
彼が帰ってきたら、この靴を履いて、今度こそ私の口からあの言葉を伝えるのだ。
胸を痛いほど高鳴らせながら、セレナはそっと靴のつま先を見つめる。
(……大丈夫)
今度こそ、ちゃんと伝えよう。そう決めたのだから。
頭上から差し込む柔らかな陽光が、藍色の革を静かに照らしていた。




