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セレナは珍しく一人で町にきていた。今日は思いきった買い物をしに来たのだ。
──町で噂の、恋愛成就のご利益がある靴。
今までだったら、何をそんな胡散臭いものを、と思っていただろう。でも。
(そんなものにでもすがりつきたくなる気持ちが分かるわ…)
好意は間違いなくもってくれていると思うが、それが恋愛感情としてのものなのかは怪しい。なにせ、初恋泥棒という二つ名のある人なのだ。
よし、と自分を奮い立たせ、マルタ工房の扉を開く。
「いらっしゃ───先生?」
「えっ」
「セレナ先生、ようこそマルタ工房へ」
「ええ…?」
中にいたのは、よく見知った二人の教え子だった。
◇◇◇
閉店中、と玄関にプレートをかけ、マルグリット─マルタは改めてセレナに向き直った。
「今日はどのようなご依頼でしようか」
「あの…マルグリット様が靴職人なのは、存じ上げていたんですけども。こちらの靴職人なんですの?」
「ええ」
「腕はピカ一ですよ」
レイナルドがセレナにお茶をだしながら言う。何やら口ごもるセレナを見て、マルタは少し考え、口を開いた。
「…………恋愛成就」
がちゃん!
カップとソーサーがぶつかって大きな音が立つ。セレナは顔を真っ赤にして震えていた。
「やっぱり。噂を聞いてきたんですか?」
「ああ、何か色々なところで話題らしいですね」
「貴方のせいですからね、レイナルド」
「靴を作ったのはマルタでしょう」
「まあ、そうですが。そんな効能ないとは思いますが、先生にあった靴はお作りできると思いますよ」
マルタが声をかけると、口をはくはくさせていたセレナはふーっとため息をついた。
「……いいんです。お願いしたいんですが」
「兄上の好み聞きますか?」
「!!!」
がちゃん!
やたらぶつかり合うカップは、安物だからいいとして。マルタはセレナの顔の赤さが気になった。
「な、ななな…」
「マルタ、そんな直接言うものじゃないでしょう」
「?でも、兄上のためになんでしょう?」
「ちが、」
セレナは途中で言葉を止めた。そしてもう一度、深くためいきをつく。
「…違わないですが。でも、あの方の好みに合わせるのではなく、私好みの靴が欲しいんです」
そう言ったセレナの顔は、少しだけ恥ずかしそうで、でもどこか晴れやかだった。マルタは目をぱちぱちと瞬かせる。
「セレナ先生……」
「私はですね」
セレナは、そっと膝の上に手を重ねた。
「隣に並び立てる人になりたいと思っていたんです」
「……はい」
「でも、それってあの方に合わせることとは違うのでしょうね」
ふっと、セレナが笑う。
「私が好きなものを好きだと胸を張って言えることも、きっと大切なことなんです」
マルタが唇の端をあげた。
「ええ。その方が、きっと兄上も喜びます」
「っ……!」
「兄上、自分好みに染めたいタイプではないですから」
「そ、そういうことは聞いてないのですが……!」
顔を真っ赤にして慌てるセレナを見て、レイナルドもくすりと笑う。
「むしろ、自分の知らない先生を見つけるのを楽しんでますよね」
「……え?」
「『先生はこういう考え方をするんだね』って、よく言ってますし」
「ああそうですね、『その発想はなかったな』も兄上からよく聞きます」
「…………」
セレナは固まった。レイナルドが微笑みながら口を開く。
「先生が先生でいることが、一番好きなんじゃないでしょうか」
「っレイナルド様までやめてください!!」
真っ赤になって両手で顔を覆うセレナを見て、二人は楽しそうに声を上げて笑った。
「では先生。お喋りはこれくらいで、さっそく測定を始めましょう。こちらへどうぞ」
マルタが職人の顔になり、セレナを専用の採寸台へと促す。マルタはセレナの前に跪き、慣れた手つきで細いメジャーや器具を扱いながら、真剣な手つきでセレナの足を丁寧に測り始めた。甲の高さ、幅、踵の丸み。指で直接骨の形を確かめられる感覚に、セレナは少し気恥ずかしくなりながらも、じっとその様子を見つめる。
「先生の足は、とても健康的ですね。よく歩く方の足です」
「そうですね、いわゆる淑女の皆さんのような、華奢で柔らかな足ではないけれど……」
「そちらの方がずっと素敵です。きっと、教え子たちのためにたくさん歩いて、たくさんの重い本を運んできた、誇り高い足だな、と。歩きやすくて、どこまでも進んでいけるような、最高の芯を入れさせていただきます」
マルタの温かい言葉に、セレナは胸がじわっと熱くなる。
(私はこの足でしっかり踏み締めて、仕事をして生きてきたわ。それが誇り)
自分のこれまでの歩みを肯定されたようで、セレナの心は凪いでいった。心地よい沈黙の中、ペンを走らせるマルタの手元を見つめながら、セレナはふと、ずっと胸に引っかかっていた疑問を口にしてみた。
「あの……マルグリット様。ひとつ、お伺いしてもよろしいですか?」
「何でしょうか、先生」
「その……アルノー様のことなのですが。社交界では、初恋泥棒という二つ名で呼ばれているんですけど、いつもああなんですか?」
今までだったら、そんなくだらない噂、と一蹴していただろう。だが、今のセレナにとっては、彼の女性関係は気になる案件だった。
メジャーを動かしていたマルタの手が、ピタッと止まった。マルタはゆっくりと顔を上げると、驚くほどスン……と冷え切った、心底嫌そうな真顔をセレナに向けた。
「はあ? 先生、何を仰るかと思えば……あんなもの、ただの集団幻覚です」
「しゅうだんげんかく」
「ええ」
マルタは容赦なく鼻で笑いながら、再び採寸を再開する。
「あれは兄上が、その気もないのにいつでも微笑んで、適当に相手するからです。『優しくしてくださった』とみなさん勘違いして自爆している。あんな面倒くさくて執念深い男、関わったら最後、泥沼ですよ。泥棒どころか、ただの身ぐるみ剥がしです」
「身ぐるみ剥がし……」
あまりの言い様にセレナが呆然としていると、横からお茶を注ぎ足したレイナルドも、深く同意するように頷いた。
「僕もマルタと同意見です。レオン様が自発的に誰かを口説いたり、積極的に興味を持ったりしているところなんて、見たことがありません。誰に対しても同じ態度、というか。いつも近寄ってくる令嬢たちを、興味あるようにみせてどうでも良いと思ってるというか…」
「まあ…」
実の妹であるマルタだけでなく、レイナルドからも寄せられた酷評にセレナは少し胸を撫で下ろした。マルタはセレナの足をトントンと叩く。
「ですから先生、安心してください。あんな泥沼男が、毎日三枚に一枚も先生のことばかり書いた報告書を送ったり、連れ回したりするなんて前代未聞の異常事態なんです。兄上は今、自分の心をごっそり先生に盗まれて大慌てで必死になっている最中なんですら」
「!? お、大慌てなのは私の方ですわ!!」
「先生、動かないでください、サイズがズレてしまいます」
再び大パニックを起こしたセレナを宥めながら、マルタは図面にペンを走らせた。
「決まりました。どんなドレスにも合わせやすくて、でもしっかりとしたヒールで、先生が胸を張ってどこまででも歩いていける、深みのある藍色の革靴にしましょう。こっそり、先生が好きな丈夫な花の小さな刺繍を、内側に忍ばせておきますね」
「マルグリット様……」
「最高の戦闘靴をお作りします。楽しみにしていてくださいね、先生」
マルタの弾んだ声と、レイナルドの温かい微笑み。照れ臭さで顔を火照らせながらも、セレナは自分のためだけに作られるその靴の図面を見つめ、静かに胸を高鳴らせるのだった。




