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セレナは、かつて自分が家庭教師として勉強を教えていた愛らしい教え子との再会に、今日一番の、それはそれは優しい聖母のような微笑みを浮かべた。レオン相手には絶対に見せない、混じり気のない純粋な好意と懐かしさに満ちた笑顔。
「お久しぶりでございます。まあ……見違えるほど立派になられて!」
チャーリーは、プラチナブロンドの髪を揺らし、天使のようなおっとりとした笑みを浮かべてセレナの手を取った。
「ええ、本当にお久しぶりです、先生。僕がどれだけ貴女に会いたかったか……。少し見ない間に、ますますお美しくなられましたね。──それで、そちらの無遠慮に先生の腰に手を添えている殿方は、どなたですか?」
チャーリーのきらきらとした瞳の奥が、一瞬で完全に据わった。向けられた底冷えするような殺意を正面から受け止めながら、レオンは待ってましたとばかりに、柔らかく、そして最高に胡散臭い微笑みを浮かべて前に出た。
「あらいけませんね、ご紹介が遅れました。アルノー様、こちらはチャーリー・ミゲルズ侯爵令息です。かつてお教えしていて、ロイセン王国に留学していらしたんです。で、こちらが─」
「お初にお目に掛かります、チャーリー・ミゲルズ侯爵令息。セレナ先生の婚約者のレオン・アルノーです」
「違います」
「おや、そうなる予定だろう? 先生」
「違います」
先ほどまでの笑顔はどこへやら、セレナはここが夜会ということも忘れて真顔になった。
チャーリーはぴくりと美貌を震わせると、セレナからレオンへと視線を移し、侯爵家の次期当主としての圧倒的な気高さを身に纏って冷ややかに微笑んだ。
「……なるほど。アルノー伯爵家の次期当主殿ですか。先生が嫌がっているのに婚約者などと不埒な冗談を吹聴するのは、いささか紳士の品格に欠けるのではありませんか? アルノー家の次期当主ともあろう方が、そのような軽率な発言をなさるとは思いませんでした」
遠回しに笑顔で圧をかけるチャーリー。一介の伯爵家なら、侯爵家の血筋からのこの居丈高な牽制に気圧されるところだが──レオンは一層にこやかに微笑むだけ。それどころか。
「おや、これは手厳しい。ですがミゲルズ様、冗談ではないのですよ。先日も先生のご実家へ伺い、お父上から『娘を安心して送り出せる』と、大いに歓迎していただいたばかりでしてね」
「な、アルノー様、それは誤解を招きます!」
焦るセレナを余所に、レオンはくくっと愉しげに喉を鳴らすと、さらに声を一段低くして、チャーリーの耳元にだけ届くように不敵な笑みを深めた。
「それにね。王太子殿下と未来の妃殿下から、『早く先生を我々の子供の家庭教師にしてくれ。目の前にいい伯爵が転がっているじゃないか』と、お言葉をいただいてしまいましてねぇ。こればかりは、私個人の独断ではないのですよ」
「なっ……! 殿下が……!?」
チャーリーの美貌が、今度こそ驚愕に引きつった。いくら侯爵家の権力があろうとも、国家の次期最高権力者である王太子夫妻からのお言葉を出されては、真っ向から抗議などできるはずがない。
だが、チャーリーもただでは引き下がらない。彼はすっと目を細め、かつて自分がセレナから一生懸命に聞き出したとっておきの情報を武器に、レオンを真っ向から睨みつけた。
「……なるほど。外側を固めるのはお上手なようだ。ですが、肝心の先生の心はどうですか?先生は恋愛結婚をご希望だ。僕は昔から先生の近くにいましたからね、先生の好みの方も熟知しているんです。先生は自らのお仕事に強い信念を持ってらっしゃいます。それを心から認め、対等に寄り添ってくれる方でないとダメなんですよ!」
「ああ、そこが素敵ですよね。だから私は彼女の知性を王太子殿下に推挙したし、今後も彼女を全面的に支援するつもりです」
「っ……! ──それだけじゃない! 先生は、笑顔が素敵で、自分の言葉にちゃんと責任を持てる大人の男の人がいいって! それに、難しい本の話が対等にできて、背が高くて……あとは、足が! 足が速い人がいいって、僕に言ったんですっ!」
まだ成長期の途中でレオンより背が低く、先生に振り向いてもらうために必死に教養と短距離走を鍛えてきたチャーリーは、悔しさに顔を上気させながら叫んだ。幼い頃にいなされた言葉も混ざっていることなど、今の彼は気づいていない。
「ちょっとお待ちくださいチャーリー様。 それは貴方が昔、先生が思う素敵な男性ってどんな方ですか、と何度も尋ねてくるから、貴方が頑張れそうな目標をてきと……いえ、分かりやすく具体的に提示しただけです。 そもそも最後の足の速さは何ですか! 貴方がかけっこで一番を獲って自慢してきたから、褒めて伸ばそうとしただけでしょう!?」
「せ、先生……っ! そんなこと今この男の前で暴露しないでください……っ!」
昔の話を出され、チャーリーが真っ赤になってうろたえる。だが、レオンは一瞬驚いたように目を見開いた後、それはそれは愉しげにクスクスと笑い始めた。
「おや。笑顔ならいつも向けているし、彼女を一生養う責任感なら誰よりもあるつもりですよ。毎日のように彼女の夜を難しい本でいっぱいにしているし、私はかなり背も高い。足の速さに至っては……そうだな、そこら辺の誰にも負けない自信がある。情報提供に感謝します、ミゲルズ様」
「アルノー様? 言い方をわざと艶っぽくするのを今すぐやめてください!」
セレナの鋭い一喝が、レオンの言葉をピシャリと遮った。
「毎夜難しい本でいっぱいというのは、アルノー様が渡してくる専門書を読み込んでいるという意味です。 チャーリー様、変な勘違いをしないでください、私は清廉潔白です!」
「ほら、夜は私で頭がいっぱいってことだろう?」
「だから違─」
「夜……!? ──っ、この、不届き者が……!!」
否定するセレナよりもレオンの口車にのせられ、違う方向に勘違いして、完全に情緒を破壊されるチャーリー。自らレオンにセレナの最高に有利な攻略情報を献上してしまったことに気づき、美貌を屈辱に染めて絶句する。
レオンは、完全に形勢を逆転した大人の余裕たっぷりの笑みで、追い打ちをかけるようにチャーリーの肩をポン、と叩いた。
「──ついでにもう一つ、お礼を言わせてください」
「……僕にお礼、ですか?」
悔しげに奥歯を噛み締めるチャーリーに、レオンはこれ以上ないほど燦然とした笑顔を向けた。
「どこぞの誰かが、裏で熱心に手を回して、先生の周りの悪い虫を綺麗に追い払っておいてくれたようでしてね。先生が余計な人間に煩わされず、教師として過ごせていたのは、少なからずその子のお陰だったのかもしれないな、と。本当に感謝しているんです」
「…………っ!!」
自分の裏工作──セレナに近付こうとする男たちを、裏で合法的にすべて叩き潰していた事実──が、この男に完全に調べ上げられ、筒抜けになっていた。
その事実を突きつけられたチャーリーは、一瞬見事なほどに目を見開いた後、顔中の血管が切れんばかりの凄まじい表情をレオンに返した。
「なるほど。随分と目敏い方のようだ。ですがアルノー卿、安心するのは早いですよ。先生の周りの有象無象は片付きましたが……一番タチの悪い、害を撒き散らす特大の悪い虫が、今まさに先生にまとわりついているようですからね……!」
「おや、心外ですな。私は彼女の人生に害をなすつもりはない。むしろ役に立つと思いますがね」
「あの……お二人とも? 先ほどから、話の方向がおかしいような…」
男たちの間で交わされる冗談たっぷりの会話は、セレナの心臓と胃に痛みを与えてくる。首を傾げて二人の顔を交互に見つめると、すぐに無害で爽やかな笑顔で同時にセレナを振り返った。
「何でもないよ、先生。君の素晴らしい教え子を、褒め称えていたのさ」
「ええ、何でもありませんよ、セレナ先生。この不躾な虫の駆除方法を、少し考えていただけです」
「おや、駆除なら私がしておきましょう」
「自分を駆除できるんですか?」
「まさか。不躾な虫などではないですからね、私は」
「どの口が…!」
「…」
淑女であるはずのセレナの直感が、「この場から今すぐ逃げ出せ」と猛烈に警報を鳴らし始めるのを、必死に微笑みで誤魔化すのだった。




