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31 逃亡

2017年8月23日 修正しました。

2017年9月6日 行間や読みやすさを修正しました。内容の変更はありません。

 いったいどのくらいの時間が経ったんだろう。世界は暗闇に閉ざされ、規則的な水滴の音だけが聞こえる。体に力が入らない。声が出ない。お布団を呼んで完全回復さえできれば……。


「……」


 お布団は今の俺をどう思っているだろう。何度も忠告をしてくれたのに、俺はお布団の言葉をまともに聞かなかった。そんな俺が、今更になってお布団に甘えていい訳がない。自己嫌悪と情けなさから涙が出た。いっそ大声で泣ければ良かったのに。


「……ッ……」


 声が出ない。喉を潰されてしまったのか。嫌な想像をする。俺は今、暗闇に閉じ込められているのではなくて、目まで潰されているのではないか。確かめようとしても、体に力が入らない。時間をかけてなんとか腕を動かし、自分の顔を触った。指が目に触れて反射的に瞑る。どうやら、潰れている訳ではないようだ。ほんの少しだけ安心した。しかし……これからどうしたらいいんだろう。俺はどうなるんだろう……このまま、ずっと、死ぬまでここにいるんだろうか……。

 死、という言葉でグレイを思い出した。彼はどうなったんだろう。俺が攻撃をしてしまったばっかりに、あんな結果になってしまった。もし生きているなら、謝りたい。それで済むとは思っていないけど、それで彼の怒りがほんの少しでも消えるなら……。

 それに、ナ・カハール……自分の大切な仲間を、目の前で傷つけられた。その胸中は想像するに難しくない。アルは俺がグレイを刺したように見せたと言っていたが、誤解が解けるだろうか。

 みんなは……今、どうしているのだろう。急に俺がいなくなって、心配をかけているだろうか。謝らないとな……。


「……」


 何もかもが嫌になってきた。どうしてこんな事になったんだろう。アルのせいか? その一端はあるだろう。でも、ああしておけばよかった。こうしておけばよかったという自分の行動が招いた後悔が膨らんでいく。もう、いっそ、このまま死んだ方がいいんじゃないか?そっちのほうが楽だ。もううんざりだ。……ちくしょう。


「本当に謝りたいと思っているなら、いじけて寝てる場合じゃない。行動するんだ。自分に降りかかった状況に甘えるな。バンゾさんを思い出せ。あの人は最愛の人を失う不運が降りかかったのに、その原因である俺に愛情を注いでくれた。俺の現状は、バンゾさんより酷いのか? 違う。少なくとも、傷ついているのは俺だけだ。何だ。その程度じゃないか。それなら……立てるはずだ」


 不意に、頭の中で言葉が響いた。まるでもう一人の俺が、今の俺へと叱責するような奇妙な感覚だった。しかし、さすが自分。全くもって正論だ。こんなところで、寝ている場合じゃない。腐ってる場合じゃ……ない!


「……ッァァ」


 力を込めて起き上がろうとしたが、上半身を横へ傾けるのが精いっぱいだった。自分の荒い息の音に交じって、ほんの少しだけ何かの音がした。


「何だぁ。死んだんじゃないんですねえ」


 暗闇のすぐそこから、ぼそぼそと陰気な男の声が聞こえる。


「おっと、失礼。わたくし口が悪いのでお気になさらないでくださいねぇ」


 聞いた事のない声だった。誰だ……?


「おやぁ? その顔……わたくしを御存じでない? 会ってるじゃないですかぁ。下水道でも一度お会いしていますよぉ。わたくし、ナ・カハールとお話してたじゃないですかぁ」


 そういえばあの時、ナ・カハールは全身が真っ黒の人と話をしていた。


「そうそう。貴方、この前に公開処刑されていましたよぉ。警備隊長のアルが責任者でしたねぇ」


 な!? 何だそれ!? 俺はまだ生きているぞ!?


「まあ、偽物を何やかんやして用意したんでしょうよ。そんな偽物を助ける為に、貴方のお仲間は泣き叫んで暴れていました。フェミルでしたっけ? 兵士に斬りつけて必死でしたよぉ。偽物なのにねぇ」


 フェミルが……!?


「すぐに赤毛の人が連れて逃げてましたが、お尋ね者になっちゃいましたねえ。ヨナは何もせず、ずっとアルを睨んでいましたよぉ」


 そんな……。


「あ、すいませんねぇ。わたくしの悪い癖で。関係ないお話でしたねぇ。わたくしが今まで培った隠密スキルを全身全霊で使いまくってここに来たのは、聞きたい事があったからですぅ」


 聞きたい事……?


「アル・ゴーシュの目的ってなんなんですかぁ?」


「……ァッ……」


「もう、大変参ってしまいましてねぇ。わたしく、ナ・カハールからの依頼でアル・ゴーシュについて五年近く調べているんですよぉ。わたくしの調べだと、アル・ゴーシュは偽名で、エルド・ゴーシュが本名。妙な能力で布団を召喚できる。それに他人を寝せると、人を洗脳する事ができて、アルの言う事は何でも聞くようになる。問題はここなんですよねぇ。ここ。わたくしの所属している隠密ギルドの長がアルに洗脳されてしまったみたいで。この仕事を打ち切れと言われているんですよぉ」


「……」


「五年ですよぉ? 五年。五年も仕事をしたのに、成功報酬が貰えないなんて、あり得ないんですよねぇ。きっちりお金は頂きますよぉ。ですから……アル・ゴーシュを倒して洗脳を解くか、最悪、彼の目的を潰して少しはすっきりしたいんですよねぇ」 


「……ッ……」


「あれ? もしかして、喉、やられちゃってますぅ? 困りましたねえ。貴方はアルの蛮行の生き証人ですからねぇ。生きて貰わないと困るんですよぉ。……いや、て言うか、そもそもなんですけどぉ……」

 少し間を置いて、隠密ギルドの人が口を開いた。


「貴方、どうしますぅ? ここで腐りながら生きますかぁ?」


「……ッツ……」


「それとも、死人として世に出て反旗を翻す機会でも狙ってみますかぁ?」


「……!」


「断っておきますけど、辛いですよぉぉぉ? 貴方、この国じゃもう死人です。公共機関はほとんど使えませんねぇ。犯罪者のような生き方をしなきゃなりません。それでもいいですかぁ? ここの方が三食昼寝付きで快適って考え方もありますよぉ?」


「……ッツ! アッ……! エッ……!」


「何を言ってるか解らないですけどぉ、目は生き返ったみたいですねぇ」


 何かが両目に刺さった。しばらくして、それがランタンの光だった事が解った。光に照らされ、真っ黒い服を全身に着込んだ陰気な男が見えた。


「それじゃあ、出ましょうかぁ。そろそろ上を誤魔化すのも限界でしょうからねぇ」

※ ※ ※


 植物の匂いで、ようやく落ち着いた。隠密ギルドの男は、俺を担いでどこからどう出たのか、俺がいた場所から王都の下水道へと逃れ、王都を離れた平野で腰を下ろしていた。


「わたくしも隠密ギルドに追われちゃいますかねえ。これからどうしましょうかぁ」


「……」


「あ、申し遅れました。わたくしはディと呼んでください。本名ではないですが、それが今のわたくしの名前ですねぇ」


 ノレム、と言いたかったが、声が出ない。……こんなんじゃ、もう、お布団を呼ぶことができない。


「ああ、そうそう。アルについて解ってる事がもう一つ。彼は大嘘つきだという事ですぅ。彼の言う事は、何一つ信じない方がいいでしょうねぇ」


 ……そんなの身に染みている……。そう考えている最中、アルが言ったお布団スキルの弱点を思い出した。本当に、声に出さなければ呼べないのか? 本当なのか? まさか……それも嘘なんじゃ……。


「ッ……!」


 俺は呼吸を整えると、ゆっくり、丁寧に、できるだけ優しく心の中で呟いた。


〈お布団。〉


 目の前で、信じられない光景が起きた。光の粒が空中に集まり、純白のお布団が現れた。光り輝くお布団が歪んでいく。涙が止まらなかった。最後の力を振り絞ってお布団を触り、心の中で何度も何度も謝った。


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