3 苦いクッキー
閑話休題です。
2017年8月22日 修正しました。
2017年9月4日 行間や読みやすさを修正しました。内容の変更はありません。
「そ、それじゃ、また明日」
ノレムがそう言って、外に出て行ってしまった。私はいつものように途中まで送るつもりだったのに、顔を真っ赤にさせたノレムを妙に意識してしまって、動くことができなかった。閉まった扉の向こうの足音が聞こえなくなった頃に、肩がすとんと下に落ちた。そこでようやく自分が緊張していたのだと気がついた。
「はあー」
ため息と一緒に自分の頬をさすり、驚いた。
「あっつい……!」
自分のほっぺたが、まるで焼けた石のように熱かった。私は自分の部屋に急いで戻った。
「う、うわあ……まっ……かっか……」
部屋の鏡を見ながら、私は悶えていた。鏡の中の私は、ほっぺたから耳まで真っ赤だった。その姿を自分で見るのは、とてもじゃないけど耐えられない。
「ああああ……これじゃ……ばれちゃうよ……」
私は靴を乱暴に脱ぎ捨て、クッションに顔を埋めてベッドに横になった。いつからだろう。ノレムを男の子だと意識したのは。ずっと同じ屋敷で育ったと言うのに。何なら、私はお姉さんのつもりでいた。初めてノレムに会った時は小さくて、可愛くて、弟にしか思えなかった。
「知られちゃったかなあ……」
でも、気がついた時には背丈も越されて、あんなに可愛かった声も低くなって、腕も筋肉が目立ってきて。びっくりするくらいに、男の子になっていた。ノレムは私を家族だと思っているはず。姉に感じているのか、妹なのかは解らないけれど。
「好き……とは、思ってないよね」
私の本心を知ったら、ノレムはどう思うんだろう。ずっと家族同然の付き合いをしてきたのに、異性として見られていたと解ったら。……考えたくない。それなのに、私はその想像を何度も何度も繰り返していた。私の思いを伝えたノレムは、一瞬だけ困った顔をして、すぐに取り繕う。「嬉しいよ、フェミル」そう言ってくれる。……私を傷つけないために、嘘をつく。その顔を想像して、最悪な気分で現実に帰ってくる。
「…………っ」
ベッドに突っ伏しながら、羞恥心と自分の嫌悪感に叫びそうになる。それに何とか堪えていると、代わりにお腹が鳴った。そういえば、今日は何も食べていない。成人の儀でばたばたしてたし、あんな結果になっちゃったし。それに何か……その。大人になる日だから。もしかしたらノレムから告白されるんじゃないかと、馬鹿な妄想を膨らませていたせいか、今の今までお腹が減っていなかった。
私は体を起こして、台所に向かった。何か無いものかと探していると、炭のようなものが棄てられていた。私が今朝作った、クッキーだ。炭にしか見えない不出来なクッキーをひとつ指で持ち上げた。
「あはは……」
思わず笑ってしまった。今の私と目の前の炭クッキーがあまりにも似ていた。クッキーではあるけど、焼け焦げて食べられたものじゃない。異性ではあるけど、私はノレムにとって家族であって女性じゃない。
そんなノレムは、私のお粗末なクッキーをよく食べてくれた。ほとんど炭になってしまったクッキーを苦笑いで食べてくれるノレムを見て、その、正直……ときめいた。こんなに優しいんだなって。この人いいな、って。大好きになってしまった。我ながら、単純だ。
「覚えてないんだろうなあ」
炭クッキーを眺めながら、昔を思い出していた。ご神木の前で結婚を誓った日のことを。きっとノレムは忘れているだろうけど、村の守り神の前で私たちは契りを交わした。大人になったら結婚させてくださいと。私にとってそれがどれだけ心の支えになったことか。幸せだったことか。
「覚えていたら、嫁がどうのなんて言わないよね」
自分の呟きに傷つく。それを誤魔化すように、炭クッキーを口に運んだ。
「……!?」
あまりの不味さに、噴き出して笑ってしまった。……涙が出るくらいに。