第06話_冒険の後に
ダグたちを送り出してから、三日目の夕方になった。
二泊の仕事の予定だ。遅くても、日が暮れる前には扉が開くはず。
日は暮れていく。扉は開かなかった。
◇
客は、いつも通りに来て、いつも通りに飯を食って酒を飲んでいた。
常連の一人が「ダグは」と聞いた。「泊まりの仕事だ」と答えると、「新人にしちゃあ大冒険だな」と言って笑っていた。
冒険者の帰りが一日くらいずれるのは、そう珍しいことじゃない。森で足止めを食う。道を間違える。獲物が思ったより多い。理由ならいくらでもある。冒険にトラブルはつきものだ。
「マスター」
最後の客を送り出したリタが、戸を閉めかけて、手を止めた。
「鍵、かけますか」
「いや、開けたままでいい」
「はい」
リタは、カウンターに戻った。
なんで、とは聞かなかった。皿を洗い、それから鍋の火を落とそうとして、俺の顔を見て、小さくするだけにした。
「二泊の予定なら、まだ遅れたうちに入りませんね」
「……そうだな」
「巣を潰したあとは、周りを一回りして取りこぼしを見ますから。それで半日は使います。ヒューゴさんなら、落ちている杖も一本残らず拾うでしょうし」
リタは、布巾を畳みながら言った。
「それでも、三つ目の分かれ道からなら、日が落ちる前に森は抜けます。あとは街道ですから、夜でも歩けます」
「……」
「怪我人が出てゆっくり歩いてるなら、今夜のうちには着きますね」
「縁起でもないこと言うな」
「はい」
リタは、布巾を棚に置いた。
俺は、しばらくリタの背中を見ていた。
「お前、看板娘だよな」
「はい」
「看板娘のくせに、冒険に詳しいんだな」
「お客さまが、よく話していますから」
「半日かけて取りこぼしを見る話を、客がするか」
「します。酔うと、皆さん自分の大冒険の話を看板娘に聞かせるのが大好きですから」
それきり、リタは何も言わなかった。
そういうことにして、俺は鍋をかき回した。
◇
扉が開いたのは、月がだいぶ高くなってからだった。
鍵をかけていない戸が、ゆっくり押された。いつもの勢いがない。
「……マスター」
ダグだった。
右の肩にヒューゴ。左の肩にミア。両腕で二人を抱えて、戸口に突っ立っていた。二人とも、自分の足で立っていなかった。
ヒューゴのローブは、脇腹から裾まで黒く染まっていた。ミアは目を閉じて、ダグの肩に頭を預けていた。白い法衣の裾が、泥だらけだった。
「リタ」
「はい」
言う前に、リタはもう動いていた。
ミアを片腕で抱え取って、空いた手でダグの肩を支えた。俺はヒューゴを受け取った。重い。濡れたローブが、腕に貼りついた。
二人を長椅子に寝かせた。後ろで、重い音がした。
ダグが、床に膝をついていた。
「……悪ぃ。ちょっと、足が」
「座ってろ。動くな」
ヒューゴのローブをめくった。
脇腹に、手のひらより大きな傷の跡があった。
跡だ。塞がっている。赤黒く引きつれて、触ると熱を持っていたが、血は止まっていた。
ローブがこれだけ染まるなら、傷は腹まで届いていたはずだ。それが、塞がっている。薬では、こうは塞がらない。
「ミアは」
「怪我はありません。寝ているだけです」
リタが、ミアの額に手を当てていた。
「精神力がつきたようですね。大きな傷はありません、顔が白いだけです」
この間、店の前で寝ていたときよりも顔色が悪い。
ダグが、腰の袋を外して、カウンターに置いた。中で、瓶がぶつかる音がした。軽い音だ。
傷薬の瓶が四本。空だった。
◇
ダグをカウンターに座らせて、シチューを置いた。
ダグは器を持ったはいいが、匙がなかなか口まで行かなかった。手が震えているんだ。本人は気づいていない。
「食え。話はそれからだ」
「……おう」
一杯目は、黙って食った。俺も黙っていた。二杯目をよそって置いたら、ダグのほうから喋り出した。
「初日はよ、分かれ道の先に入ったらすぐゴブリンが出てきた。何回も出てきやがってよ。四回か五回か、途中から数えてねえ」
「それで」
「戦って傷ができてもミアが全部治してくれた。いつもどおりだよ。だけどよ、夕方には顔が真っ白でさ。大丈夫ですって言うんだ。寝れば戻りますって」
ダグは匙を持ったまま、ちょっと黙った。
「森の中だぜ。飯は干し肉だし、交代で見張りもあるし。一晩じゃ戻るわけねえよな。朝になってもミアのやつ、顔色が悪いままだった」
飯を食って安心できる場所で寝るのと森の中では大違いだ。
「二日目の昼に巣を見つけたよ。ゴブリンの巣だ。でかいのが一匹いてよ、ホブゴブリンだ」
「上位種か」
「いつも通り俺が前に出て斬り合った。あいつの棍棒、まじで重てえのな。盾ごと持ってかれてよ、ここをやられた」
ダグが左の肩を叩いた。革鎧がぱっくり裂けている。中の肩には傷がない。
「そしたらよ、ミアが前に出てきてさ。俺のとこまで。ふらふらなのによ。肩に手ぇ当てて、傷を治した。治ったはいいけどよ」
「……」
「ホブゴブリンがミアを見た。俺は盾がねえ。間に合わねえ。そしたら後ろからヒューゴが走ってきてさ、ミアを突き飛ばして、自分がそこに立ったんだ。棍棒が」
俺は長椅子のほうを見た。ヒューゴは目を閉じたままだった。
「それで俺、必死でホブゴブリンの首を落とした。ボスを倒したから他のゴブリンは散っていった。で、振り返ったらミアがヒューゴのとこに這っていってヒューゴの血が止まって、ミアが倒れた」
ダグは食事の手をとめて話を続けた。
「傷薬はヒューゴに三本飲ませた。ミアにも一本。精神力の回復には使えねえけどな」
「それで二人担いで帰ってきたのか」
「他にどうすんだよ」
「帰りにゴブリンは」
「二匹出た。担いだまま蹴ったら逃げてったよ。もうゴブリン相手じゃ剣を抜かなくても余裕だな」
三つ目の分かれ道の先から街まで、大人二人を担いで丸一日だ。
ダグは三杯目を平らげて落ち着いたようで、器を置いて、カウンターに突っ伏して、そのまま寝た。
リタが毛布を持ってきて、背中に掛けた。しばらく、ダグの寝顔を見ていた。
「マスター。この人の今日の三杯はツケないつもりでしょう?」
「よくわかってるじゃないか」
「はい」
今日の飯は帳簿に付けるつもりは、はなからなかった。
仲間を見捨てないのはリーダーの素質ありだな。
◇
夜中に、ヒューゴが目を覚ました。
長椅子の上でもぞもぞと身を起こして、自分の脇腹を触って、「おや」と言った。
「動けるか」
「ええ。少々引きつれますが。……これは、ミアさんが?」
「そうらしい。最後の精神力で、お前を治して倒れたんだとよ」
「いやはや。申し訳ないことをしましたなあ」
申し訳ないと言うわりに、声は暢気だった。ヒューゴは隣で寝ているミアを見て、カウンターで突っ伏しているダグを見て、それから、のそのそとカウンターまで歩いてきた。
俺はシチューをよそって前に置いた。腹が減っていたらしく、一口食って「うまいですねぇ」と言った。
「ヒューゴ」
「はい」
「お前は後ろにいるのが仕事なんじゃなかったっけ」
「おやおや、ダグさんから聞きましたか。お恥ずかしい」
少し照れたような顔をしてヒューゴは話す。こんな顔もできる男だったのだと知った。
「優先順位ですよ、マスター。ヒーラーはパーティの生命線。ヒーラーが倒れたら、パーティが倒れます。私が倒れても、パーティは倒れません。だから私が立つ。それだけのことでして」
ほっほっほ、と笑って、ヒューゴは二口目を食った。
後ろに立つのが仕事の男が、前に出た。ふらついた娘を突き飛ばして、棍棒の前に自分で立った。
それを「それだけのこと」と言う。二十年やっているとは、そういうことなんだろう。
「ミアさんは、いいヒーラーですね」
ヒューゴは器を見ながら言った。
にこにこしていた。
この男は分かってる。冒険の基本を。
「ヒューゴ」
「はい」
「お前、なんで追放されたんだ」
ヒューゴの匙が止まった。
俺を見て、それから、笑った。
「ほっほっほ。それはまた、別の機会にお話ししましょう」
「長くなるのか」
「長くなります」
「じゃあ、後にしろ」
「はい」
ヒューゴは器を空にして、「ごちそうさまでした」と言って、脇腹を押さえながら階段を上がっていった。途中で一度だけ振り返った。
「マスター。ミアさんが起きたら、お願いしますよ」
「分かってる」
リタはミアの隣で、椅子に座ったまま寝ていた。
俺は帳簿を開いた。持たせた傷薬が四本とも空で戻ってきたからだ。
長椅子で、ミアが小さく身じろぎした。起きはしなかった。




