第04話_道で寝ているヒーラー
店の前で寝ていた娘を、カウンターの奥の長椅子に寝かせた。
白い法衣。杖の先には小さな聖印。ちゃんとした神殿で修行した、ちゃんとしたヒーラーの格好だ。
それが、店の前で寝ていた。
「おはようございます、マスター。……どなたですか」
「店の前に落ちてた」
「落ちてた」
心なしか目つきが鋭い気がする。
出勤してきたリタが、長椅子を覗き込んだ。
それから何も言わずに裏へ行って、毛布を持ってきて掛けた。
俺は男だからどんな状態かを細かく見るわけにもいかないので、リタが様子を見てきてくれた。
「怪我は」
「ないみたいです。寝てるだけですね」
「まぁそうだろうな。寝息が呑気すぎる」
階段から足音がして、ヒューゴが降りてきた。
本を抱えている。来たころより顔色がいい。布団で寝ているからだろう。
「おはようございます。いやあ、久しぶりに布団で――おや」
「ああ、この娘か。店の前で寝てたんでな」
「おやおや」
ヒューゴは長椅子を覗き込んで、杖の聖印を見て、「ほう」と妙に感心した声を出した。
「ちゃんとしたヒーラーですな」
「そうだな。謎の魔法が得意なお前とは随分と違うようだ」
「それは手厳しい。しかしなんでまたこんな娘が軒先で」
「それは俺にもわからん」
どういう経緯があるのか、それは起きたら聞いてみることにしよう。
◇
娘が目を覚ましたのは、仕込みが終わるころだった。
「……あ」
起き上がって、店の中を見回して、俺を見て、毛布を見て、それから勢いよく頭を下げた。
「すみません! 私、また……!」
「また、か」
「はい……あの……また、です」
娘はミアと名乗った。
北にある大神殿で修行したヒーラーで、修行のため冒険者になるために、二週間ほど前にこの街に来たという。
一度組んだパーティには、十日もたたずに置いていかれたらしい。
「門のところで、荷運びの人が腰を押さえてて。治したら、そのあと子どもが膝を擦りむいてて。それから――」
「それで?」
「……猫が、足を引きずってて癒しをかけて」
「猫ねぇ。。それで?」
「そのあと色々治してたら精神力に限界が来てしまって……」
それで力尽きて寝ていたわけか。
「それは難儀なことですな」
ヒューゴが、隣で深く頷いた。
ミアが、ヒューゴを見て、小さく笑った。
「で、なんでうちに?」
「はい……寝られる場所を探してたら、いい匂いがして。それで、気づいたら」
「匂いで釣られるやつは多いけどよ。神官さまってのは珍しい」
俺はシチューをよそって、ミアの前に置いた。今日は鶏と白豆だ。
「ほら食え。精神力が切れたら、とにかく食うのが一番だ。神殿でもそう教えるだろ」
「教わりました……あの、お代が」
「手持ちがないならツケでいい」
「ツケ?」
「あとで払えってことだ。これは神官さまへの施しじゃない」
ミアは器を両手で持って、一口食って、泣きそうな顔になった。
うまかったからか、情けなかったからか。たぶん両方だ。
◇
「ミアさん、でしたな。私はヒューゴと申します。この店のことなら、何でも聞いてください」
ミアが二杯目を食い終わったころ、ヒューゴが胸を張って言った。
俺は厨房で鍋をかき混ぜながら、聞くともなく聞いていた。
「ヒューゴさんは、ここに長いんですか」
「はい、もう一月になります」
「それは長いですね」
「ですので、だいたいのことは分かります。まず、この店は飯がうまい。シチューが絶品で、具が毎日変わります」
「こいつは三杯もツケで食いやがった」
「次に、宿代もツケになります。二階の奥が私の部屋で」
「空いてる部屋なら好きにしろ」
「ほら、こう言ってくださる。それから、席ですが――」
ヒューゴは、店の中をぐるりと指した。
「窓際は朝日が入って気持ちがいい。私は端から二つ目に座っております。一番奥はさらに眺めがいいはずですが、いつも先客が」
「先客」
「ええ。静かな方で」
一ヶ月前にきたばかりのヒューゴはすっかり宿に居ついていた。
◇
ミアは、窓際の一番奥に座った。
朝日の中で、幸せそうに三杯目を食っていた。
扉が開いて、ダグが入ってきた。
「マスター! 今日もやって――」
ダグの声が、途中で止まった。
ダグの目が、窓際の奥で止まっていた。
「……おい、マスター」
「なんだ」
「あの席」
「ああ」
「いいのかよ」
「さあな」
ダグが小声で言い、俺も小声で返した。
別に、決まりがあるわけじゃない。
誰もあの席に座るなと言ったことはない。言われなくても、うちの客はあそこに座らない。
前に一度、酒の入った物見遊山がエドに絡んだことがある。
どうなったかは、誰も見ていない。見ていないのに、翌日から誰も近づかなくなった。
そういう席だ。
ダグが、意を決した顔で窓際に向かった。
一歩目を踏み出したところで、また扉が開いた。
エドだった。
店の中の音が、消えた。
リタがグラスを拭く手を止めた。ヒューゴが本を閉じた。ダグは踏み出した足を、そのまま止めていた。
エドは、いつもどおり窓際に歩いていった。
いつもの席に、娘が座っている。
エドの足が、席の二つ手前で止まった。
「あ、おはようございます!」
ミアが、器を持ったまま元気に頭を下げた。
何も知らない顔だった。
エドは、何も言わなかった。
座りもしなかった。二つ手前に立ったまま、ミアを見ていた。
睨んでいるわけじゃない。怒っているふうでもない。ただ、距離を取って、見ている。
妙だった。
前に物見遊山が絡んだときは、店の空気がぴりぴりと張りつめて、誰も息ができなかった。あの空気が、今日はない。
エドは、ただ見ている。何かを測っているような目だった。
俺は、布巾を置いた。
「ミア。そこはエドの席だ。まぁ普通な席に指定なんてないんだが、エドはそこにしか座らないんでな」
「え? ……あっ、すみません!」
ミアが器を抱えて飛び上がるように立って、隣の席に移った。
エドは、それを待っていたように、いつもの席に座った。
それから、俺を見た。
「……」
「……はい。赤ワインを一本」
店の中の音が、戻った。
リタが息を吐いた。ヒューゴが本を開いた。ダグが、止めていた足を床に下ろして、そのまま自分の席に崩れるように座った。
「……マスター。今の、何だったんだよ」
「さあな」
「さあなじゃねえよ」
分からない。
エドが、席を空けてもらうのを黙って待ったのも、立ったまま人を見ていたのも、初めてだった。
ミアだけが、何が起きたか分からない顔で、隣のエドにシチューを勧めていた。
エドは、首を横に振った。
ミアを見る目は、まだ少し遠かった。
◇
昼になって、ダグがミアの席に行った。
面倒見がいいのか野次馬なのか、相変わらずだ。
「なあ、あんた、冒険者か」
「はい。一応」
「職は」
「……ヒーラーです」
ダグの顔色が変わった。念願の回復役だ。
「ヒーラー!」
「あ、でも、私。。。」
ミアは、何と言っていいか分からない顔をした。
「まず俺の腕をみてくれないか?」
「お怪我をなされたんですね、はいわかりました」
ダグが、一昨日から巻いたままの布を外した。かすり傷だ。
ミアの目の色が変わった。
「失礼します」
ミアがダグの腕に手を当てた。
淡い光が、一瞬。
光が消えたとき、傷はなかった。跡もなかった。
「……は?」
「治りました」
「いや、治ったけど。今の、一瞬で」
ダグが自分の腕を何度もさすった。
それから、ばん、とミアの肩を叩いた。
「決まりだな! 明日から、うちで頼む!」
「あの、私、本当に――」
ミアが、困ったように俺を見た。
俺は肩をすくめた。
「ダグのとこなら、ちょうど回復役がいない。向こうが欲しがってるんだ。断る理由はないだろ」
「……はい」
ミアが、少しだけ背筋を伸ばした。
欲しいと言われたのが、久しぶりの顔だった。
俺は厨房に戻った。
速い。手を当ててから光が消えるまで、瞬きひとつ分もなかった。神殿のヒーラーでも、あれだけの腕はそうはいない。
腕は、いい。それは、見れば分かる。
◇
夜。客が引いた頃、エドは、いつもどおり金を置いて帰った。
ヒューゴも二階に上がっていった。
ミアは長椅子で、毛布をかぶって、もう寝ていた。
今度は満腹で寝ているらしい。
帳簿を開いて、新しい名前を書いた。
ミア。シチュー三杯、宿代一晩。
「マスター。また増えましたね」
「……ああ」
リタが小さく笑って、裏口から出ていった。
◇
翌朝。
「行ってくるぜ、マスター!」
「行ってきます!」
「いやあ、行ってまいります」
ダグ、ミア、ヒューゴ。
前衛一人に、魔法使いと、ヒーラー。
店先で、俺は三人を見送った。
一人でバグベアーに突っ込んでいた男が、回復役を連れて出ていく。
ダグの背中が、いつもより大きく見えた。
「北の森、二つ目の分かれ道までにしとくんだぞ」
「分かってるよマスター!」
三人の背中が通りの角に消えるまで、俺は店先に立っていた。
気づいたら、隣にリタがいた。
「いいパーティですね」
「……まぁ、そうだな」




