第03話_三等分
「おいおっさん。危ねえから俺の後ろに立ってろよ。何かできそうなら、やってくれ」
「はい、承知しました」
「ダグ。ヒューゴを置いて帰ってくるなよ」
「置いて帰るって、マスター……そんなことするかよ」
「念のためだ」
朝の店先で、俺は二人を送り出した。
戦士のダグと、魔法使いのヒューゴ。
持たせたのは、パンと干し肉と水、それから傷薬が一瓶。
傷薬は銀貨一枚する。あいつらでは買えないだろうからツケに追加しておいた。使わずに済めばツケは増えないで済むだろう。
「北の森に入ったら、入口から二つ目の分かれ道までだ。それより奥に行くなよ」
「分かってるよマスター」
「バグベアーが出たら退け。ゴブリンなら五匹まで。それ以上なら退け」
「分かってるって」
「ヒューゴ。ダグを頼んだぞ」
「はい、任せてください」
ヒューゴは、にこにこして頷いた。
「俺がリーダーだかんな!」
ダグは不満そうだった。
二人の背中が通りの角に消えるまで、俺は店先に立っていた。
気づいたら、リタが横に立っていた。
「マスター。心配なら、ついていけばよかったのに」
「……店がある」
「はい」
リタは、それ以上何も言わなかった。
◇
昼の店は、いつもどおりだった。
いつもどおりの客が、いつもどおりのシチューを食って、いつもどおり過ぎ去った。
エドが窓際で赤ワインを一本空けた。
物見遊山が一組来て、俺の顔を見て、何か言いたそうにして、何も言わずに帰った。
東から来たという行商が、シチューを食いながら港の話をしていた。船が出ないんだと。海に何かいるとかで、もう二か月になる。常連が「ほら話だろ」と笑い、行商も笑った。
笑ったが、帰りは東を通らない、と言った。
いつもどおりなのに、落ち着かなかった。
客を送り出して、店で待つ。
それだけのことだ。
昔は、送り出す側じゃなかった。いつも、一緒に行く側だった。
鍋をかき混ぜながら、何度も扉を見た。
扉は、開かなかった。
「マスター。シチュー、焦げます」
「……ああ」
言われなくても、分かっている。扉は、見ていても開かない。
分かっているが、見てしまう。
そういうものだ。
◇
扉が開いたのは、日が傾いてからだった。
「ただいまー……」
ダグの声だった。
生きている。それだけで、肩から力が抜けた。
入ってきた二人は、泥だらけだった。
ダグの鎧には新しい焦げ跡があって、片腕に布を巻いていた。
ヒューゴは、泥だらけで、焦げてはいなかった。入ってくるなり、杖を振って俺に挨拶した。
「いやあ、帰ってまいりました」
「座れ。飯は二人分すぐ出す。ダグ、腕を見せろ」
「大丈夫だ。かすり傷だ」
「見せろ」
かすり傷だった。傷薬は使っていない。瓶が丸ごと戻ってきた。
銀貨一枚、浮いた。
「で、どうだった」
俺が聞くと、ダグが大きく息を吐いた。
「バグベアーじゃなかった。ゴブリンだ。しかも七匹」
「五匹までって言っただろが!」
「七匹いたんだからしょうがねえだろ! しかも一匹、シャーマンだった」
ゴブリン・シャーマン。
ゴブリンの群れに時々混じっている、魔法を使う個体だ。火球を飛ばしてくる。
駆け出しのパーティが一番よく死ぬ相手だ。革鎧では防げない。しかも、杖を振ってから火球が出るまでが、速い。
「……よく帰ってきたな」
「正直、死んだと思った。シャーマンの杖が見えたときは」
ダグが、腕の布を押さえながら言った。
「運がよかったんだ」
「運だと?」
「火球がさ、なんか妙に遅かったんだよ。杖振ってから、ワンテンポあって。だから俺が盾を構えられた。あのシャーマン、下手くそだったんだな、きっと」
「ほう、、、全部か?」
「ほとんど。一発だけ、普通の速さのが来た。それは避けきれなくて、俺の鎧が焦げた」
俺は、シチューをよそう手を止めなかった。
止めなかったが、頭の中では、別のことを考えていた。
シャーマンの火球は、遅くない。
杖を振ったのが見えてから盾を上げ始めて、やっと間に合うかどうかだ。駆け出しが死ぬのは、だいたいそこだ。
それが「ワンテンポあった」。
下手くそなシャーマンなら、火球そのものが小さいか、狙いが外れる。速さが遅くなることは、ない。
「ヒューゴ」
「はい」
「お前の仕業だな」
「はい」
「何をした?」
「まあ、私の唯一の特技で魔法を遅らせようとしました。ただ、欲張りましたな。六発いっぺんに手を伸ばしたら、どれも薄くなりまして。一発、間に合いませんで」
ダグが、シチューを吹き出しそうになった。
「おっさんが魔法に何かしてたのか?」
「しておりましたよ。見えなかったでしょうが」
「ああ、見えなかった」
「でしょうなあ。私以外には何故か見えないんです、これは。だから前のパーティでも、お前は何をしてるのかと、よく叱られました」
ヒューゴは、笑っていた。
ダグは、困った顔で頭を掻いた。
俺は、ヒューゴの前にシチューの器を置いた。
六発を相手にして、六発すべてに手を伸ばして、五発がワンテンポ遅れ、一発が間に合わなかった。
本人はそれを「欲張った」と言って、笑っている。
駆け出しの前衛が一人で、シャーマンの火球を五発もらって、鎧の焦げ一つで帰ってきた。
何もしていない、というのは違う。
◇
「で、分け前なんだけどさ」
飯を食い終わったダグが、懐から革袋を出した。
ゴブリン七匹の討伐報酬と、シャーマンの杖を売った金。銀貨三枚と銅貨が少し。
「じゃあ、平等に山分けだな!」
ダグは銀貨と銅貨を二つに分けて、一つをヒューゴの前に押しやった。
「ほほ。よろしいのですか。私は何もしておりませんが」
「いや、マスターの話で分かった。ありがとな。お前のおかげだよ」
ヒューゴは、少し困った顔で、それから照れた顔で、銅貨を受け取った。
しばらく手のひらの上で見ていた。
それから、立ち上がって、カウンターまで来て、俺の前にそれを全部置いた。
「ツケの足しに。雀の涙ですが」
「……」
「この歳で、ツケを溜めたまま寝るのは、どうにも寝覚めが悪いもので」
銅貨が、カウンターの上で小さく音を立てた。
シチュー三杯とパンと宿代と傷薬の分には、まったく足りない。
足りないが、ヒューゴはそれを置いてから、すっきりした顔で席に戻った。
俺は、銅貨を集めて帳簿を開いた。
ツケの欄の、ヒューゴの名前の横に、小さく返済の額を書いた。
来た次の日に返しに来る奴は、そういない。
◇
それからひと月ほど経った、ある朝。
扉の閂を外して、外に出たら、店の前で人が倒れていた。
若い娘だった。
白い法衣。杖。倒れたまま、すうすうと寝息を立てている。
怪我はない。顔色も悪くない。
ただ、ぐっすり寝ている。
「……面倒ごとの予感がする」
俺は、ため息をついて、娘を抱え上げた。
軽かった。




