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追放酒場 ~終わる世界で~  作者: アタラ。
第1章 追放酒場の一日
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第02話_役立たずな魔法使いヒューゴの場合




 翌朝。


 仕込みを終えて、扉の閂を外した。

 開けた途端、目の前に男が立っていた。


 くたびれた灰色のローブ。中年。髭に白いものが混じっている。

 手には継ぎはぎだらけの杖と、表紙の取れかけた分厚い本。

 ローブの肩には、パーティの紋章を剥がした跡があった。


 目が合うと、男は照れたように笑って、頭を掻いた。


「いやあ、申し訳ない。開店前なのは承知の上なんですが……この匂いは、少々反則ですな」


 言い終わる前に、男の腹の虫が盛大に鳴った。

 男は、頭を掻いたまま、「お恥ずかしい」と言った。


 俺はため息をついて、扉を大きく開けた。


「入れ。シチューならある」

「よろしいんですか」

「いいから入れ」


 男は、杖と本を抱え直して、入ってきた。

 これが、ヒューゴとの出会いだった。


「いやはや。うまい。実にうまい」


 男は、シチューを三杯食った。

 一口ごとに「うまい」と言う。パンをちぎっては「うまい」と言う。三杯目を頼むときは、「いやはや、お恥ずかしい」と言った。


「褒めるのは有り難いけどよ。料理が冷めちまうよ」

「これは失敬」


 名前はヒューゴというらしい。

 灰色のローブは裾がほつれていて、杖は継ぎはぎだらけ。分厚い本は表紙が取れかけていて、ページの端が全部めくれている。何百回も読んだ本の形だった。


「実は最近パーティをお払い箱になりましてね。まあ、いつものことですが」

「、、、そうか」

「私は、できの悪い魔法使いですから」


 ヒューゴは、それを、天気の話でもするみたいに言った。

 恨んでいるふうでも、落ち込んでいるふうでもない。

 そう言われ続けて、もう自分でも納得してしまった、という顔だった。


「で、どんな魔法が使えるんだ?」

「火も水も、一応は。ただし駆け出しに負ける程度です。回復は、まるで才能がなくて」

「それだけか」

「それだけ――と言いたいところですが、一つだけ、妙なことができましてね」


 ヒューゴが、少しだけ身を乗り出した。


「相手の魔法の発動を、ほんの一拍、遅らせることができます」

「遅らせる」

「はい。消えるわけでも、弱まるわけでもない。ただ、ほんの一瞬、遅れるだけで。何の役にも立ちませんが」

「そんなことができるのか」

「できるんですよ。これが面白いところで。魔法というのはですね、術者が魔力を練って、形にして、放つ。この『形にして』と『放つ』の間に、ごくわずかな――」

 長くなりそうな話だった。

「その話長くなるか」

「はい、長くなります」

「後にしろ」

「はい」


 ヒューゴは、素直に口を閉じた。

 閉じたが、目は閉じていなかった。

 魔法の話をしているときだけ、この男の目は、別人みたいに光る。


「お代なんですが、お恥ずかしい話、今は持ち合わせが」

「ツケでいい」

「ありがとうございます」

「施しじゃねえぞ。ちゃんとあとで払えってことだ」

「いやあ、この歳で人様の世話になるのは」

「歳は関係ない。食ったら払え。それだけだ」

「……ありがたい」


 ヒューゴは、本を胸に抱えて、頭を下げた。


         ◇


「マスター。あの人、お皿を見ながら、何かぶつぶつ言ってます」


 出勤してきたリタが、裏から戻ってくるなり小声で言った。

 見ると、ヒューゴが空になった器を眺めながら、口の中で何か唱えている。

 聞き耳を立てると、術式の名前だった。火の初級、水の初級、灯り。

 たぶん、頭の中で魔法を組み立てて遊んでいる。


「ヒューゴというらしい。最近、パーティを追い出されたらしい」

「……そうですか」


 リタは、しばらくヒューゴのほうを見ていた。

 何か言いかけて、やめて、仕込みに入った。


         ◇


 昼になって、店が埋まってきた。


 ダグがいつもの席に座る。縫った鎧は、今日はまだ破れていない。

 常連が何人か。物見遊山が一組。

 窓際の奥にはエド。

 エドは席に着くとき、ヒューゴを一度だけ見た。すぐに視線を外して、いつもの赤ワインを頼んだ。


「おい、マスター。あのおっさん誰だ」


 ダグが、ヒューゴを顎で指した。


「新顔だ。ヒューゴ」

「冒険者か」

「らしい」

「職は」

「本人に聞け」


 ダグはシチューの器を持ったまま、ヒューゴの席まで行った。

 面倒見がいいのか、野次馬なのか、ダグはこういうことをよくやる。


「おっさん、冒険者だって?」

「ええ、一応」

「職は」

「魔法使いです。できの悪い」

「できの悪いって、自分で言うなよ」

「事実ですから」


 ヒューゴは、にこにこしていた。

 ダグが、困った顔で俺を振り返った。

 俺は肩をすくめた。


 そのとき、物見遊山の一組の中の、若い魔導士が笑いながら手を上げた。

 酒が入っている。


「おっさん、魔法使いなら何か見せてよ」

「お見せするほどのものは。……ああ、そうだ。あなた、灯りの魔法は使えますか」

「使えるけど」

「では、つけてみてください。私が、遅らせますので」

「遅らせる?」

「ええ。ほんの一拍」


 魔導士が、面白そうに指を立てた。

 初級の光魔法。駆け出しが最初に覚える、夜道を照らすくらいしか使い道のないやつだ。


 ヒューゴが、杖を軽く握った。

 魔導士が、指を鳴らした。


 ――灯りがついた。


「……ん?」


 魔導士が、自分の指先を見て、首をひねった。


「今、ちょっと引っかかった?」

「普通についたじゃねえか」

「気のせいだろ」

「一瞬遅れたくらいで何になるんだよ!」


 どっと笑いが起きた。

 魔導士本人も、まあいいか、という顔で笑って、席に戻った。


「ですなあ。私も、そう言われ続けて二十年です」


 ヒューゴは、笑われている中で、一緒になって笑っていた。

 怒らなかった。言い返さなかった。

 笑われ慣れている笑い方だった。


 ただ、笑いが収まったあと、ヒューゴはカウンターまで来て、俺にだけ聞こえる声で言った。


「マスター。今の、見えましたか」

「何が」

「彼の指先です。魔力が一度ふくらんで、しぼんで、それから灯った。あれが『間』です。私が触っているのは、あれなんですよ」


 目が、光っていた。

 笑われたことなど、もうどうでもいい、という目だった。


「……何を言ってるのか、分からん」

「でしょうなあ」


 ヒューゴは、嬉しそうに席に戻った。


 俺は厨房に戻って、鍋をかき混ぜながら考えた。


 魔力がふくらんで、しぼんで、灯った。

 言われてみれば、そうだったかもしれない。見えたとは言えない。だが、魔導士本人が「引っかかった」と言った。

 気のせい、と周りが言って、本人もそれで納得した。


 一瞬遅れたくらいで何になる。

 そう言った奴は、たぶん前衛をやったことがない。


 盾を構えるのに要るのは、一瞬だ。

 火球が飛んでくるのが見えてから盾を上げたのでは、間に合わない。杖を振ったのが見えた瞬間に上げ始めて、やっと間に合う。

 その「やっと」が、一瞬遅れてくれたら、どれだけ楽か。


 俺は、昔、盾を持っていたことがある。

 色々やったから盾をもっていた期間はそう長くはなかったが、火球が盾に当たる音は、まだ覚えている。


         ◇


 夜。客が引いたころ。


 ヒューゴは、窓際の端の席で、本を開いていた。

 帰る様子がない。帰る場所がないのだ、とすぐ分かった。


「泊まるところは」

「ございません。軒先で結構ですよ。慣れておりますので」

「もう冷えるぞ」

「軒先は、まだましなほうです」

「慣れてるんだな」


 俺は鍵の束から一本抜いて、カウンターに置いた。


「二階の奥。空いてる。宿代はツケだ」

「いやあ。重ね重ね」

「稼いだら払え」

「……ありがたい」


 ヒューゴは鍵を受け取って、本を閉じて、立ち上がった。

 階段の手前で、一度だけ振り返った。


「マスター。あの、先ほどの『間』の話なんですが」

「長くなるか」

「長くなります」

「明日にしろ」

「はい」


 ヒューゴは、嬉しそうに二階に上がっていった。

 明日、本当に聞かされるのだろう。


 リタが、皿を拭きながら言った。


「マスター。また増えましたね」

「何が」

「お客さま」

「……ああ」


 帳簿を開いて、ツケの欄に新しい名前を書いた。

 ヒューゴ。シチュー三杯、パン二つ、宿代一晩。


         ◇


 翌朝、ダグが店に来るなり言った。


「マスター。今日も北の森に行くんだけどよ。昨日より奥まで行こうと思ってる」

「ならおとなしくしとけ。まさか一人で行く気か」

「……まずいかな?」

「まずいに決まってるだろ」


 俺は、二階を見上げた。

 階段の上から、ヒューゴが本を抱えて降りてくるところだった。


「ヒューゴ。ついていけ」

「私がですか。いやあ、お役に立てるかどうか」

「後ろに立ってろ。それだけでいい」

「それなら得意です。二十年やっております」


 ダグが、呆れた顔で俺を見た。


「あの変な魔法のおっさん? 何の役に立つんだよ」

「分からん」

「分かんねえのかよ!」


 何が起こるかわからないのが冒険ってもんだ。


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