怠惰と、凡才と、天才と
「あ、陸翔くんだ! やっほー!」
金曜日の放課後。
海歌のアパートに到着したとき、白いワンピース姿の空音がタクシーから降りてきた。右手には、大きな紙袋をぶら下げている。
「お、おう、空音さん。今日も暑いな」
「ね~ ちょっと動いただけで汗だくで嫌になっちゃう!」
二人横並びにアパートの階段を上り、海歌の部屋のインターホンを押した。
「どうぞ~」
首もとにヘッドホンをかけた海歌に出迎えられた。
「「お邪魔しまーす」」
俺と空音は声を揃えて入室。
部屋はクーラーが効いていて、ちょっと肌寒いくらいだった。
「海ちゃん、今日は呼んでくれてありがと。これ、どーぞ!」
空音は、持参した紙袋を海歌に差し出した。
「チョコクッキーだよ。駅前のお菓子屋さんで買ってきたんだ~」
「これ、高いやつじゃなかったっけ?わざわざありがとう、空ちゃん」
甘いもの好きの海歌は、ニヤリと笑いながら紙袋を受け取った。
タクシーで来たり、オシャレなワンピースを着ていたり、お高めのチョコ菓子をお土産で買ってきたり……空音の一挙手一投足から【清楚なお嬢さま感】が滲み出ていた。
「ごめん、海歌。俺は、何にも買ってきてない……」
「いいよ、気にしないで」
そう言って、海歌は部屋の奥へ。
その後ろに空音と俺が続いた。
「わお! これって、ゲーミングPCってやつ!?」
「うん。誕生日にママが買ってくれたんだ」
「ウチ、こういうキーボードがピカピカ光るやつ憧れる~」
初めて見るゲーミングPCに、空音は大興奮。
ラックの上に大きなPC本体が載せられていて、ファンが勢いよく回っていた。画面が大きく、ゲームの映像も鮮やかだ。
「このゲーム、ウチも大好き! 【紫咲リオン】さんとか、【覚醒!マトラ】さんの動画も毎日見てる!」
「え、マジ? 最推しは誰?」
「やっぱり【紫咲リオン】さんだよね! 雑談が面白いし、FPS全般が上手いし!」
「私も。というか、普通にグッズとか買ってるし、ライブも行くし、メンバーシップにも入ってる」
海歌と空音は、意外な共通点を見出して、二人で盛り上がっている。
配信者なら少し分かるが、残念ながらFPS系のゲームには疎いので、話に混ざれなかった……
「最初は……まあ、出会い目的で始めたんだけど、けっこう上手いって気づいてからは、ガチ勢になったって感じ」
「ということは、海ちゃんはカレシを見つけるために、ゲームを始めたってこと?」
「まあ、うん……」
「へぇ~ イマドキだなぁ」
部屋に引きこもりがちでも、海歌の心は外に向いていたのかもしれない。
「ゲームもいいけど、勉強しようぜ」
今日集まったのは、あくまで勉強をするためだ。
「えーめんどくさ……」
「勉強は後回しにしたらガチで面倒くさいぞ。時間と元気があるうちにやろうぜ」
「陸翔くんの意見に賛成! 先に面倒くさいことを終わらせちゃえば、ゲームをめいっぱい楽しめるってね!」
「はぁ……まあ、一緒に勉強したいって誘ったのは私だから、やるか……」
大きなため息をつく海歌だが、空音に腕をグイッと引っ張られ、渋々パソコンの電源を切った。
俺たちはテーブルの上に参考書やノートを広げ、勉強を始めた。
♢
「あ~ 何にも分かんない……」
海歌のペンが止まっていた。
俺と空音が交代で教えているが、なかなか理解できないようだ。
「何をノートに書けばいいか分かんない……」
「海ちゃんのノート見せて。自学習用のノートでも、数学のノートでも、何でもいいよ」
海歌は、積み重ねられた教科書類の下敷きになっていた数学のノートを引っ張り出した。
……おい、ノートすら学校に持って行ってないのかよ!
ひとまず、海歌のノートを見せてもらった。
「「お~。きれい」」
俺と空音の声が共鳴する。
重要な単語にはピンク色の蛍光ペンで下線が引いてあって、教科書の重要な説明がノートに書き写され、青ペンで四角く囲まれている。字も綺麗で、ノートの紙にシワ一つない。
さらに、キャラクターのイラストから『教科書の203Pだよ!』と言っている吹き出しの文字もあって、まるで参考書のようだった。
こんなに《《見た目が綺麗なノート》》は初めて見た。
「ノートはきれいにまとまってるけど……これで覚えられるか?」
「いや、たぶん、覚えられてない……この前の期末の数学、32点だったし」
海歌はボールペンを転がし、空音からもらったチョコクッキーを口に放り込んだ。
「勉強した気になって、まったく頭入ってないパターンだな」
「悪い勉強法の典型って感じだね」
「うぐ……」
海歌はしょんぼりした。
「だってさー、小学生の頃先生に、ノートはキレイに書きましょうって言われたじゃん」
「先生に提出するノートは別だけど、自分用のノートはキレイに書かなくていいんだよ、海ちゃん」
「そうだよ。空音の言う通り、テストでいい点が取れればそれでいいんだからな」
自学習のノートは、あくまで自分用。
つまり、どれだけ汚く書いてもいい。
時間をかけてノートをきれいに書くぐらいなら、その時間で英単語を一つ多く覚えたり、ゲームの時間に充てたりしたほうが、よっぽど有意義だ。
「じゃあさ、二人のノート見せてよ。お手本にしたい」
そう提案した海歌に、俺は自分のノートを見せた。
「え、なにこれ、汚っ……」
「そう言うなよ。これでも中位から上位の成績取れてるんだから」
俺の自学習ノートは、お世辞にも綺麗とは言えない。
文字だらけで、シャーペンやボールペンの黒一色。
内容は、ワークや教科書の問題をただひたすら繰り返し解いているだけだ。
「勉強は、量をこなすことが正義だと俺は思う」
「ウチもそう思うよ!」
空音が共感してくれた。
繰り返し繰り返し解いていれば、俺みたいな勉強嫌いでも、テストである程度の点数が取れるということだ。
「じゃあ、次はウチのノート見せてあげるね」
そして一番気になる、空音のノートを見せてもらうことに。
国内最高峰の大学を志望する空音の勉強法とは……!?
「ひえぇ、さすが空音だ……」
「え、凄すぎて、いい意味でキモいかも……」
空音のノートは、集合体恐怖症の人が顔を真っ青にしそうなほどの細かい文字で埋め尽くされていた。
「アメリカは第一次世界大戦の後、急速に繁栄した。これは、英仏など欧州にお金や武器を貸したこと、欧州が戦場になったことによる米国の相対的な地位の上昇が要因……」
空音のノートに書かれている文章をそのまま読み上げた。
「授業とかワークでやった内容を、見ないでどれだけ書き出せるかをノートに書いてるってこと?」
「そうそう。こうやって自学習ノートに、どれだけ覚えてるか試し書きのアウトプットをするんだよ! こうすれば、数学の公式も、歴史の流れも、英語の構文とか単語も、情報の用語暗記も、効率よく覚えられるの」
「インプットとアウトプットのバランスが上手いな」
「えへへ、でしょ~?」
空音は体を左右にゆらゆらして微笑んだ。……この天使、一挙手一投足が可愛すぎる。
空音のアウトプット法はとても参考になった。
人のノートを見るのって、意外と楽しかったな。
♢
……その後2時間、俺たちは集中して勉強を続けた。
海歌は基礎問題を中心に取り組み、俺は夏休みの課題を先取りでやった。
他方、空音は、塾で支給されたタブレット端末で大学入試の過去問に取り組んだ。
頑張って勉強をした後のゲーム大会は、格別だった。
「ん~ まだ帰りたくないなぁ。もっと海ちゃんと陸翔くんと遊びたいな~」
空音はソファの上でゴロゴロしながら、チョコクッキーを食べている。すっかり海歌の家を満喫している様子だ。
そんな空音の頭を膝の上に乗せた海歌は、延々とスマホをいじっていた。
時刻は午後7時。窓の外はすっかり暗くなっていた。
「陸翔、空ちゃん、お腹空いたでしょ?」
海歌は腕をぐっと伸ばしながら、そう言った。
「まあ、それなりに」
「勉強とゲームで頭使ったから、お腹ペコペコだよ!」
「夕飯、私が作るよ。へへっ」
にやりと微笑んだ海歌はキッチン……ではなく、脱衣所へ向かった。
料理するはずなのに、なぜ脱衣所に……?




