もう一度、君と歩み出す
山の中にある寂れた終着駅で、俺と海歌は降りた。
乗客は俺たち以外おらず、電車は折り返して出発してしまった。
ジリジリと点滅する電灯の白い光に、虫たちが集っている。闇に閉ざされた森の中、その駅だけがぼんやりと浮かび上がっていた。
「夏らしく肝試し? 俺、暗いところ苦手なんだけど……」
「ううん、違う」
海歌に手を引かれ、ホームにある待合室の中へ。
椅子に敷かれた紫色の座布団は使い古され、黒ずみ、すっかり薄くなっていた。
「って、次の電車2時間後だぞ!?」
スマホで次の電車を調べて、背筋がゾッとした。
時刻は、ちょうど9時を回ったところ。
辺りが真っ暗で人気のない、こんな駅で二時間も待つのは、いろいろな意味で怖い。再び電車に乗って戻り、家に着くころには、日をまたぐことになる。
「ヤバいな……どうやって帰ればいいんだ……?」
慌てて最寄りのバス停やレンタル自転車などを検索する俺の横、海歌は窓の外をボーっと眺めていた。
「――帰るつもり、ないよ」
「え……?」
ボソッとつぶやいた海歌は、スマホに視線を落とした。
「うわ、懐かし。3人で海行ったのって、もう1年前なのか~」
海歌は写真を見ていた。
ゴミだらけで散らかった海歌の部屋、ゲームのスクリーンショット、初めて海歌に作ってもらったチャーハン、3人で海に行ったときの写真、そして、打ちあがる花火の写真と動画……
懐かしい思い出が次々とスクロールされてゆく。
「写真見るのは後だ! 夜の森はクマとかイノシシとかが出るから危ない。早く、何とかして帰らないと……」
「見て見て、空ちゃんと陸翔の寝顔の写真が出てきた。可愛い~」
「なあ、俺の話聞いてたか? こんな時間だから、急いで帰る方法を探さないと……」
「だから、帰るつもりはないって言ったでしょ!!」
海歌は突然、大声で叫んだ。
「……陸翔、一緒に旅に出よう。ここで待って、山に登って朝日を見るの。そしたら電車で移動して、こんどは海に行くの。おいしいもの……海鮮丼食べたいな。ウニとイクラ山盛りのやつ。そしたら、きれいな宿に泊まって、次は――」
「待て待て待て、急に何言ってるんだよ……」
支離滅裂で意味不明な海歌の言動についていけない。
「一緒に来てくれるよね、陸翔?」
「え……」
「約束してくれたよね、私にどこまでも付いてきてくれるって。私とずっと一緒にいてくれるって」
「……」
何と言っていいのか分からず、俺は沈黙した。
「そっか……」
海歌は立ち上がり、待合室を出た。
そのままフラフラと、街灯のない山道へ。
どんどん距離が離れて、海歌の姿が闇に紛れ、輪郭が曖昧になってゆく。見えざる力によって、森の中へと吸い込まれているようにも見えた。
《《ものすごい嫌な予感》》を覚えた俺は、焦燥感に背中を押され、待合室を飛び出した。
「海歌!!」
走って追いつき、海歌の手首をつかんだ。
「帰るつもりないとか言ったり、急にどっか行こうとしたりして……何考えてるんだよ!?」
「……」
「死にたい……とか考えてるだろ?」
「そんなこと一言も言ってない! 何を根拠に……」
「俺、海歌と小学生の頃から知り合いだったし、海歌の幼なじみ兼カレシだし、海歌のこと大好きだから、なんとなく分かるんだよ」
今日の海歌は、どこか変だった。
「花火になりたいな」なんて突然言ったり、返事の歯切れが悪かったり、帰るつもりないなんて言って夜の山に消えようとしたり……長いこと海歌と関わってきたからこそ、その微かな異変に気が付くことができた。
「海歌との約束、守るよ。海歌が朝日を見たいならここで待つし、おいしいものが食べたいなら奢るし、海に行きたいなら付いて行く……俺は、どこまでも海歌に付いて行くよ」
「……」
「でもその代わり、海歌にも約束を守ってほしい」
真剣に話す俺の目を、海歌はまっすぐに見つめていた。
「覚えてる? 去年、二人でケンカして仲直りするときにした約束のこと」
「嘘、つかないっていう約束のこと?」
「そう、それだ! 今の海歌の気持ちを包み隠さず、俺に話してほしい」
お互いに支え合い、約束を守り合って、本音で話し合える――それが、真に対等で理想的な関係だと思う。
アスファルトの上にべったりと座り、膝を抱えた海歌は、再び口を開いた。
「その……死にたいって思ったのは本当。死んだら、嫌なこと全部無かったことにできるから」
「海歌にとっての嫌なことって?」
「将来のこととか? あとは、えーっと……なんて言えばいいんだろう……」
俯く海歌は、必死に言葉を探している。
俺も地べたに座り、彼女と目線を合わせた。
「幸せすぎるから、死にたいって感じ」
「な、なるほど……?」
「ママに生活を支えてもらって、陸翔にめっちゃ愛されて、空ちゃんっていう友達がいてくれて、今、最高に幸せ」
幸せなら、死にたいなんて思わないのでは?と、一瞬思ったが、それはあくまで俺の価値観を基準にした感想だ。
海歌の価値観を知り、海歌の気持ちを理解したい一心で、じっと待ち、耳を傾ける。
「でも、その幸せは永遠には続かない。陸翔が私に愛想尽きちゃうかもしれないし、空ちゃんが別の友達と仲良くなるかもしれないし……そもそも人間は、遅かれ早かれ死ぬし。だったら、一番幸せな今、死んじゃえばいいと思った。そうしたら、将来の進路も考えなくていいし」
「海歌なりに色々抱え込んで、考えてるんだな。でも俺は、海歌のこと好きだから、死んでほしくないし、海歌と死ぬよりは、海歌と一緒に生きたいと思う」
「そう言ってもらえるのは嬉しいよ……でも、もう後戻りできない!」
再びの海歌の叫びが、闇を抱く夜の山に響き渡った。
「学生証も、教科書も、ノートも、カバンごと捨てた。高校の卒業も、将来の進路も、全部どうでもいい! 全部、今日で終わりなんだから!」
海歌は突然立ち上がり、暗闇の中にぼんやりと浮かび上がる白いガードレールの方へと走り出した。
その向こうには、切り立った崖が待ち構えていた。
「海歌、おいっ!!」
俺は無我夢中で追いかけて、海歌の背中に飛びついた。
2人して、硬い地面に転んだ。
膝を擦りむいた海歌のTシャツは糸がほつれ、俺も腕を傷つけて血を流した。
けれど、そんなことはどうでもいい。
俺は、湧き上がる激情に身を任せ、組み伏せた海歌に向かって叫んだ。
「待て、落ち着けよ海歌!! 前みたいに感情に振り回されて、何にも見えなくなってるじゃねぇか!」
俺は手足をジタバタ動かす海歌の手首を押さえつけた。
「離して陸翔!! もうみんなに迷惑かけたくないの!!」
「迷惑かけないで生きられる人間なんかいねぇよ! いいから俺の話聞けよ!!」
海歌は、目元を腕で覆っている。
呼吸が荒くなって、「ぐすっ、ぐすっ」という鼻をすする音が聞こえる。
「ふざけんなよ……泣きたいのはこっちだよ。大好きな人が病んで、飛び降りるところ目の前で黙って見てろって言うのかよ。耐えられねぇよ、マジで!」
声がかすれた。
喉仏のあたりがビリビリと痛む。
頬を伝い、雫となって顎から落ちた涙が、海歌の頬をポツリと打った。
「……ごめん、言い過ぎた。こういうときは、深呼吸だよな、深呼吸」
息を思いっきり吸い込むと、ひんやりとした空気が流れ込み、熱くなっていた喉や胸元を冷やしてくれた。
仰向けの海歌も、俺に倣って2回、3回と深呼吸を繰り返した。
彼女の肩と豊かな胸が上下している。
「アハハハ……」
海歌は泣きながら、突然笑い出した。
「う、海歌、大丈夫?」
「……うん。陸翔に怒られて、励まされて、落ち着いた」
ガバッと体を起こした海歌は、俺に抱き着いてきた。
胸と胸が重なり、お揃いのネックレスがぶつかり鳴った。
「……私って、ほんとバカで、クソで、周りに迷惑かけてばっかりのダメダメ人間」
「自分の悪いところを認められる時点で、全然ダメ人間じゃないと思うよ」
俺はそんなところさえ、海歌らしい魅力だと思う。
けれど、過度に感情に振り回されて衝動的になってしまうのは、ちょっと直してほしいと思うのも事実。
「……まあ、次はこうなる前に相談してほしいかな。空音だったら同性で相談しやすいだろうし、海歌のお母さんは家族だからなおさら。担任の内藤先生なら、学校とか進路の相談にピッタリだ。もちろん、俺でもいいよ」
「いいの? 相談して、迷惑だと思わない? 面倒くさいって思わない?」
「思わないよ。むしろ、相談されたら嬉しい人のほうが多いと思う」
少なくとも、俺は嬉しい。
相談してもらえるということは、悩みを打ち明けられたり、共感を求められたりするぐらい信頼されているという証拠だから。
海歌の本音が聞けて、もっと海歌のことを知れる。それと同時に、海歌と一緒に悩んで、それを解決したいとも思う。
たとえ、夜中に電話で起こされたとしても、勉強中に肩を叩かれたりしたとしても……海歌が病んだり、いなくなってしまうより、よっぽど良い。
「学生証は再発行してもらえばいいし、教科書もノートもカバンも、また買えばいい。今からでもやり直せる」
――もう二度と、海歌に「死にたい」なんて言わせない。
その覚悟を胸に、手を差し伸べる。
海歌は確かに、俺の手をぎゅっと握ってくれた。
「まずは、どうにかして家に帰るところからだな」
海歌と手を繋いで、共に立ち上がった。
「ごめん……じゃなくて、ありがとう、陸翔」
「こちらこそ、一緒にいてくれてありがとう、海歌」
俺と海歌は向き合い、もう一度抱擁した。
激しく脈打っていた彼女の心臓は、次第にゆっくりと、落ち着いた鼓動を刻み始める。
雲間から覗いた三日月が、白い光で俺たちを優しく照らし出していた。




