人の形をして舞い降りた天使ちゃん
次の日、俺はいつも通り登校した。
午前8時前。
教室には俺を含めて7人しかおらず、降りしきる雨が窓を打つ音がよく聴こえた。
(さて、現代文のワークやっておくか)
早めに登校する理由はいくつかある。
集中できる朝の時間に課題に取り組めるし、朝のトラブル(たとえば、電車の遅延、忘れ物、今日のような突然の雨など)に冷静に対処できる。
時間の余裕は、心の余裕ということだ。
「おっはよー、みくるちゃん」
「おはよ、ミサキ。髪切った?」
「おい小林、今朝の予定表の当番、忘れてないか?」
「ああ、ヤベえ……忘れてた……」
「今すぐ行け! 内藤先生にシバかれるぞ!!」
時間が経つにつれ、教室がにぎやかになっていく。
ふと、顔を上げる。
廊下側の一番前【宮本海歌】の席には誰も座っていなかった。
海歌、やっぱり学校には来ないのか……
そう思っていたとき、机の中のスマホが鳴った。
カノジョいない歴=年齢で、友達もいない俺に連絡をくれるのは、あの人しかいない。
(海歌!?)
シャーペンを置き、スマホでチャットを開いた。
―――チャット―――
海歌:おはよ、陸翔
海歌:そしておやすみ~
陸翔:今から寝るのか
海歌:ベッドの上でゴロゴロしてるとこw
陸翔:こっちは1限から内藤先生の現代文だよ・・・
海歌:あのいかつい先生ね
海歌:あの先生、圧が強くて嫌い
陸翔:それなw
海歌:奥さんのこと平気で殴ってそう
陸翔:それは偏見がすぎるって
海歌:関西弁でしゃべるから余計にそう感じるのかな
―――――――――
やばい、海歌とのチャットが楽しすぎる!
授業中におしゃべりに夢中になる人たちの気持ちが分かった気がする。
「座れ~ 昨日の続きからやるぞ~ おしゃべりやめて教科書開きや」
例の内藤先生が授業をはじめるが、お構いなし。
授業を聴いているフリをして、スマホを太ももの上に乗せ、海歌とのチャットに夢中になった。
机の陰になって、先生からスマホをいじっているのは見えない、はず……
―――チャット―――
海歌:てか、これ見て
海歌:誰でしょう?
見覚えのある、散らかった部屋が背景の、メイド服姿の女の子の写真が送られてきた。
陸翔:え、海歌?
海歌:正解
陸翔:おー
陸翔:可愛いと思います!
海歌:でしょ?
海歌:土曜日遊びに来たら、生で見せてあげる
陸翔:うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
陸翔:衣装も化粧も自前?
海歌:うん
海歌:いろいろ調べながらやった
海歌:AIに聞いたんよ、そしたらメイド服が似合うと思いますよって
陸翔:似合ってるね
陸翔:でもさ、AIにあんまり顔写真とか送らないほうがいいよ、プライバシー的な意味で
海歌:たしかに
―――――――――
送られてきた写真には、顎に手を当てて、あざとい表情をしながらスカートを摘まむメイド服姿の海歌が映っていた。まるで、モデルの宣材写真のようだった。
光の加減、カメラの画角、ポーズなどから、海歌が写真慣れしていると分かる。
黒色の髪には艶があり、メイクは地雷系。
そして、何より目を惹かれたのは、海歌の太陽を知らない真っ白な肌だ。
男の性には抗えない。
メイド服から露出した海歌の首筋、肩、胸元、丈の短いスカートと長い黒色ソックスの間の絶対領域に、目線が吸い寄せられてしまう。
「おい、古谷」
「は、はぃ!?」
先生に突然指名されて、声が裏返りそうになった。
慌てて、太ももの上に乗せていたスマホを机の中に突っ込んだ。
「ここの空欄に当てはまる接続詞を答えろ。ほら、はよせい。3,2,1……」
「え、ええと……【しかし】です」
海歌とのチャットに夢中になっていたので、分かるはずもない。
俺は当てずっぽうで答えた。
「……その通りや」
内藤先生は酒焼けしたようなガラガラ声で言った。
ラッキー!
内心浮かれていた俺は、内藤先生の獣のような鋭い眼光によって貫かれた。
「古谷、授業中にスマホいじんな。次やったら反省文書かせるからな」
「え、あ、はい……すみませんでした…………」
「教員を何年もやってると分かんねん、目線と手の動きで。 ――さて、次は応用問題や。頑張って付いて来~い」
まさか、先生にバレていたとは。
何人かのクラスメイトが、珍しそうに俺のほうをチラッと見た。
みんなの面前で公開処刑された俺は、恥ずかしさから顔が赤くなり、全身が熱くなって、背中から汗が噴き出すのを自覚する。
チャイムが鳴るまでの残り20分が永遠に思えるほどに長く感じた。
「今日はおしまい。残った演習問題は、来週の授業までにやっとけー」
内藤先生は雑に黒板の板書を消して、そそくさと教室を出ていった。
いきなりスマホを没収されたり、反省文を書かされたりしなかったのは、俺が普段は《《真面目くん》》を演じていたからだろうか……危なかった。
(はぁ、疲れたな……)
椅子の背もたれに体重を預ける。
雨の中、自転車と電車を乗り継いで登校し、海歌とのチャットに夢中になったがゆえに先生に注意される……時間が濃密すぎて、1時間目から疲れてしまった。
さて、2限目は美術で、教室移動だ。
荷物をまとめて教室を出て、長い渡り廊下を歩く。
窓の外は、相変わらずの雨模様だった。
「隙あり! デュクシっ!!」
廊下を歩いていたそのとき、何者かによって背後から脇腹を指で突かれた。
「わひゃ!?」
「アハハハ、びっくりした?」
声変わり前のような高い声で笑う犯人は、同じクラスの【道山空音】。
背中に流れる金髪が特徴的で、空色の瞳を持ち、背丈が低く、人懐っこく、クラスメイトから「天使」と呼ばれて可愛がられている。
将来は、国内最高峰の大学である東大(東宮帝都大学)への進学を志し、毎日、分厚い参考書や赤本を持ち歩いている。ちなみに、生まれも育ちも日本だが、父がイギリス人の起業家らしい。
まさに、典型的なお嬢様だ。
「陸翔くん、珍しく先生に怒られてたね。何してたの? ゲーム? それともお友達とチャット?」
「まあ、色々だよ……」
「うふふ、海ちゃんとチャットしてたんでしょ?」
「なんで知ってるの!?」
「昨日、久しぶりに海歌ちゃんからチャットが来てね…… 陸翔くんが家に来て、一緒にゲームやったって教えてくれたの! だから、もしかしたら海ちゃんとチャットしてたんじゃないかなって思ったら、図星だったみたいだね。ふふん、ウチの目は簡単には誤魔化せないよ、陸翔くん!」
「空音さん、声大きいって……」
それにしても、空音はよく喋る。
口下手な俺や、ダウナーな雰囲気の海歌とは正反対だ。
「海ちゃん、元気だった?」
「ああ。体調のほうは大丈夫そうだったよ」
海歌の部屋は大惨事だったけどね……
「そっか。海ちゃん、もう1か月以上も学校に来てないから、心配だったんだよね~ また会ったら、ウチら1年3組のみんなが待ってるよ!って、海ちゃんに伝えておいて! ヨロシク!」
そう言い残して、空音は前を歩いていた女子グループに合流。
「ねーねー、美術の下書き終わりそう?」と、気軽に話しかけている。
こんな口下手な俺にも、気軽に話しかけてくれて、不登校の海歌のことも心配してくれる空音は、まさに【天使】だった。




