海歌のお母さん
目を開けると、見慣れない白い天井があった。
(そういえば、お泊りさせてもらったんだった……)
横を見ると、目の前に《《大好きな人》》の顔があった。
カーテンの間から差し込む太陽に照らされて、その人の頬が透き通るほどに白く輝いていた。まつげが長くて、鼻筋が整っていて、図らずも目線を奪われる。
その人の左手は、俺の右手に重ねられていた。
(海歌の寝顔、可愛すぎる……)
耳を澄ますと「すぴ~」という寝息が聞こえた。
自然と、頬が緩んでしまう。
目覚めたとき、大好きな人が手の届くところにいるって幸せだな……
「……マジでムカつく。早いって…………」
「っ!?」
なんだ、寝言か。
海歌は目を閉ざしたまま、眉間にシワを寄せている。怒られたのかと思って、心臓が止まりそうになった。
それにしても、いったいどんな夢を見ているのだろうか……?
「ん……?」
水が流れる音が聞こえる。
キッチンに、見慣れない金髪の女性が立っていた。
サイドがウェーブのかかったポニーテールが印象的な女性で、腕と肩を大きく露出させたドレスのような黒い服を着ている。
その女性は洗い物を終えて、こちらに振り向いた。
バッチリ目が合ってしまった。
「あ、おはよう、陸翔くん……だよね?」
「あ、お、おはようございます。海歌の同級生の古谷陸翔と申します……」
俺は慌ててベッドから起き上がり、ぎこちない挨拶をした。
その女性の目線は、俺より高かった。たぶん、170cmはある。
「わ~やっと会えた。初めまして、海歌の母の美香です。いつもうちの海歌がお世話になってます♪」
「は、初めまして、海歌のお母様……」
「美香って呼び捨てにしてもらっていいわよ」
「美香さん……改めて、よろしくお願いします」
海歌の母改め、美香さんは目を細めてニコニコしていた。
そんな美香さんと俺のやり取りを聞いて、海歌が目を覚ました。
「……あれ、ママ帰ってきてたんだ」
「おはよう、海歌。陸翔くんとお泊り会してたんだね~」
「まあ、うん……」
海歌は目を擦りながら脱衣所へ行って、顔を洗いはじめた。
「二人ともお腹空いているでしょう。今からわたしが朝ごはん作りますから、ちょっと待っててほしいな♪」
「わざわざいいんですか?何かお手伝いしましょうか?」
「いいのよ、気にしないでちょうだい」
「……では、お言葉に甘えさせてもらいます」
俺は大人しく、席に着いて待った。
そんな俺を横目に「礼儀正しい子ね~」と美香さんは言った。
美香さんは、俺と海歌のためにせっせと台所で動いていた。
テーブルの上には、バターとはちみつがたっぷりと染みこんだフレンチトースト、カリカリに焼けたソーセージ、ふわふわのスクランブルエッグと、申し訳程度のプチトマトが乗った大皿が並べられた。
「ママと朝ごはん食べるの久しぶり」
「ごめんね海歌……ママの帰りが毎日遅いばっかりに、寂しい思いさせて」
「別に気にしてない。ゲームもあるし、今は恋人も、親友もいるから」
「そ、そっか……」
美香さんは声のトーンを落とした。
「ママ、今日は男漁りしてこなかったんだ」
「人聞き悪いわよ、男漁りなんて……家のことを海歌に任せっきりなのは悪いなって思ったから、早く帰ってきただけよ」
美香さんは頬に手を添えてニコニコ笑っている。
その仕草は、どこか艶やかで色っぽかった。
それにしても、美香さんはお若い。肌に艶があって、顔や腕にはシワやシミ一つ見当たらず、20代後半ぐらいに見える。
海歌と歳の差があまりないように思えるが、いったい何歳なんだろう……
気になるけど、まあ、初対面の女性に歳を聞くなんて野暮はしない。
「そういえば陸翔くんって、小学生の頃、海歌と同じクラスだったわよね?」
「ええ。1年生から4年生までは同じクラスでした」
「同じ高校に入って同じクラスで再会するって、すごい偶然よね~」
「学校の書類を届けに行くことがなければ、こうやって一緒に遊ぶこともなかったと思います」
「これって運命?海歌と陸翔くん、赤い糸で結ばれてたりして。将来は海歌のお婿さんになってもらって……なんちゃって!うふふ、冗談よ」
美香さんは雰囲気が明るくて、お話上手だ。
初対面の口下手な俺を、完璧にリードしてくれた。
「それにしても、海歌がこんなイイ男を捕まえてくるなんて思いもしなかったわ。どんな恋愛テクニックを使ったの?」
「テクニックもクソもないよ。陸翔が書類を届けてくれて、何となくゲーム誘ってみたら楽しくて、それから会う回数が増えて……っていう自然な流れ」
「海歌はそうかもしれないけど、俺は最初、めっちゃ心配だったんだぞ」
海歌は、1か月ぐらい学校に来なかったし、部屋が滅茶苦茶になっていたし、「いざとなったら死ねばいい」とか言っていたし。
最近はケンカをして音信不通になったり、腕の傷を見せてきたりした。
そんな海歌を、幼なじみとして、恋人として、放っておけなかったのだ。
「うふふ、陸翔くんって面倒見がいいのね~。海歌、優しい陸翔くんを心配させちゃダメよ」
「ん~分かってるって」
口を大きく開けて、豪快にフレンチトーストに食らいつく美香さん。
その仕草から、どことなく海歌との血のつながりを感じる。
「ところで、《《昨日の夜は楽しかった》》?」
美香さんは、何か期待しているような目で俺を見た。
「あ、あの、娘さんに手は出してません。そういうことは、成人してからにしようって、海歌と約束してますから」
美香さんの前で語れないようなことはしていない。海歌とは、健全なお泊り会をしたつもりだ。
もちろん、無防備な海歌を目の前にしてドキドキしなかったと言えば嘘になるが……
「草食系ねぇ、陸翔くんって。わたしが学生の頃なんか、カレシとしょっちゅう《《お楽しみ》》してたのに」
「そうして生まれたのが私ってね。ハハッ」
海歌の口から、冗談では済まされない爆弾発言が飛び出した。
俺は反応することすらできなかった一方、当の美香さんは口元に手を当てて上品に笑っていた。
「あ、美香さん。この前は、わざわざお手紙を書いていただいて、ありがとうございました。お礼が遅くなりました」
「いえいえ~感謝しなきゃいけないのは、むしろわたしのほうよ。お部屋の掃除をしてくれた件も、すごく助かりました。ごめんなさい、こんな不出来な母親で……」
「いえいえ、とんでもありません……」
俺と美香さんは、お互いに頭を下げ合った。
終始、絶妙な距離感で、先生との面接みたいな空気感だった。
「ごちそうさまでした。すごく美味しかったです」
俺は朝食を食べ終えて、手を合わせた。
すっかりお腹も満たされて、朝から気分が晴れやかだ。
「では、そろそろ帰ります」
「あら、もう帰っちゃうの?もっと二人の馴れ初め、聞きたいな~」
「すみません。両親に『朝の10時には帰ります』って約束しているので」
海歌と遊んだり、美香さんとお話ししたい気持ちは山々だが、あまり帰りが遅くなると家族に心配をかけてしまう。
トイレで着替えを済ませ、荷物をまとめ、足早に玄関に向かった。
「ねぇ陸翔、来週末にまた来れる?」
スニーカーを履いていると、パジャマ姿のままの海歌が駆け寄ってきた。
「いやぁ……ごめん。バイトあるんだよ。でも、土曜日なら大丈夫」
「じゃあ、土曜日に一緒にお出かけしたいな。推しのコラボカフェ行きたい」
「推しって、あのVライバーさんのこと?」
「うん。池袋のカフェとコラボしてて、限定のメニューとか、アクスタとか、クリアファイルとか売ってるらしいの」
「分かった。土曜日は一日空けておくよ」
海歌とのわずかな別れさえも恋しくて、なかなか出発できなかった。
そんな俺たちを傍から見ていた美香さんは「青春ねぇ♪」と顔を赤らめていた。
「またね、海歌。お邪魔しました、美香さん」
「じゃーね、陸翔」
「また気軽に遊びに来てちょうだいね、陸翔くん」
海歌と美香さんに見送られ、俺はアパートの階段を駆け下り、自転車に跨った。
二人は、俺が曲がり角を曲がるまでアパートの廊下から手を振っていた。
クラスメイトたちがそれを知っていて、空音や姉さんからは応援され……ついには海歌の母親に「将来は海歌のお婿さんになってもらって……」と冗談を言われた。
もはや、逃げ場はない。
俺は海歌を、文字通り《《死ぬまで》》大好きでいるつもりだ。
(『死ぬまでずっと一緒』って海歌が前に言ってたけど、冗談じゃない感じになってきたな……)
鬱陶しいぐらい明るい朝日に照らされながら、アスファルトの上を自転車で駆け抜けた。




