表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
22/35

過去の傷痕

 風呂上がり、俺はアイスクリームを食べながらソファに座っていた。

 すると、海歌が寄ってきた。


 お前はエサを待つひな鳥か!


「アイス、一口ちょーだい」


「はいよ」


 海歌は大きく口を開いて、残っていたアイスを一口で食べてしまった。


「おい、全部食うなよ……」


「一口食べていいんだよね?だから、一口もらったよ」


 海歌の一口をあなどるなかれ、ということか。


「アイスの棒捨ててきて~」

「それぐらい自分で捨ててこいよ……ったく、しょうがないな~」


 と言いつつ、俺は重い腰をあげて、アイスの棒を捨てに行った。

 こき使われるのは、幼い頃から姉にされていたことなので慣れっこだ。


「ふああ~眠くなってきたなぁ」


 海歌は大きなあくびをした。


「そろそろ寝ない? 私のベッドで一緒に……?」


 耳元で甘くささやき、手を重ねてきた海歌。誘い方が巧妙で、思わずドキッとしてしまった。


「でも、一人用のベッドに二人で寝るのは狭くないか?」


「狭いからこそいい。お互いの距離が近くなるからね」


 海歌と並んで歯磨きをして、順番にトイレに入った。

 まさに、海歌に為されるがままだった。


「なんか……ドキドキしてきた」


「実は、俺もドキドキしてる。だって、女の子の家に泊まるの初めてだから……」


「えへへ、陸翔の初めてもらっちゃった」


「その言い方は誤解を生むぞ……」


 海歌は部屋の明かりを落とした。


 ベッドの上には、カーテンの隙間から差し込む月明りと、街灯の白い光が溜まっている。


 海歌に手を引かれ、ベッドの縁に腰かけた。

 部屋は静寂に包まれ、エアコンが冷たい空気を吐き出す「ゴー」という音だけが聞こえる。


「ねぇ、私のこと好き?」


「も、もちろん」


「どれぐらい?」


「どれぐらい……? まあ、海歌と居ると、課題のこととか、成績のこととか、将来の不安とか、全部忘れられるぐらい好きだな」


 手と手を重ね、小さい声でお喋りする。

 修学旅行の夜、同じ部屋の人たちがコソコソ話していたのを思い出す。


「ここ、触って」


 海歌は俺の手を引き寄せた。


 いったい、どこを触らせようとしているのか……ちょっと期待してしまったが、海歌が触らせたのは、海歌の腕だった。


 ほどよく保湿されていて、スベスベとしている。


 ずっと触っていたい……そう思える左腕を、海歌は淡い光の下に晒した。



――二の腕から手首にかけての肌の表面に、びっしりと白い線が走っていた。



「ごめん、こんなの見せちゃって……」

「……」


 間違いない、リストカットの跡だ。


 刃物でできたような白い傷跡が、何本も何本も、横方向に刻まれている。最も新しいであろう傷は少し赤みを帯びていて、血が固まった跡がある。傷はすべて塞がっているが、見ているだけで痛々しい。


 医療ドキュメンタリーで見たり、小説で読んだりしたことがあったけど……まさか、こんな身近にしている人がいるなんて思わなかった。



――そういえば、海歌が半袖を着ているところを見るのは、今日が初めてだ。



「……」


「なんて説明すればいいかな……ムズいかも」


 押し黙る俺を見つめる海歌。その黒い瞳が、湧き出る涙をめている。


「いろいろ考えてると、不安になって、やっちゃうんだよね……」


 俺は自分を傷つけたことがない。だから、海歌が自分を傷つける気持ちや痛みが、まったく理解できなかった。


 海歌を理解して、寄り添いたい。

 けれど、理解できない。


 その悔しさを押し殺すために、奥歯をぐっと嚙み締めた。


「こうやって自分を傷つければ、私は弱くて可哀そうな人間でいられる。そうやって、誰かから優しくしてもらったり、誰かに助けてもらいたかったんだと思う」


 俺は、黙ったまま海歌をジッと見つめた。


 何と声をかければいいか分からなかった。


 どんな言葉も、海歌の慰めにならない気がした。


「ごめん、海歌……気づけなかった…………」


「謝らないで。陸翔は悪くないよ。だって、全部私のせいだし、傷は隠してたんだし」


 神妙に語っていた海歌の表情が、窓から差す白い光を浴びて、少し明るくなった。


「でも、新しい傷はほとんどないよ。陸翔と仲良くなってからは、絶対に自分を傷つけないように我慢してた。だって、私が自分のことを傷つけたら、陸翔は悲しむでしょ? 陸翔が悲しむのは絶対に嫌だったから、やめた」


 俺がいることで、海歌が傷つく回数を減らすことができたようだ。


 とにかく口下手で、大好きな人の前でも、気の利いたことが言えずに黙り込んでしまう……そんな無力、未成熟な俺が、海歌の感情を受け止めきれるだろうか?



 でも、実際俺も、海歌に救われた一面がある。


 俺は海歌と再会して、一人でいることの孤独を知った。

 誰かの笑顔のために頑張ることの喜びを知った。

 人と関わることの苦労と幸せを知った。



――だからこそ、俺は再び海歌を救いたい。



「その……」


 言葉が詰まる。


 海歌を励まし、海歌を元気づけたい。

 かといって、海歌の自傷行為を肯定したいとは思わない。

 どんな言葉を投げかければいいか、本当に悩んだ。



「――大変だったね……」



 その言葉が飛び出た瞬間、目尻から涙が落ちた。


 涙で揺れる視界に、同じく涙を流す海歌が映った。


「うん……大変だった」


 Tシャツで涙を拭った海歌は、改めて、俺と真っすぐに向き合ってくれた。


「これ以上痛い思いはしたくないと思ってるし、なにより……陸翔に傷ついてほしくない。だから、陸翔に一つ、お願いがあるの」


「お願いって……?」


 どんなお願いを要求されるのだろうか。

 俺は身構えてしまった。


「私が今後二度と、自分を傷つけないための魔法をかけてほしいの」


 そう言って、海歌は両手を伸ばした。まっすぐな目で俺を見つめている。


 海歌の言う《《魔法》》って?


「水族館でデートしたときは頬にしたけど、今日は、唇と唇を重ねる本物の……ふふっ」


「変な言い回ししないで、素直に言ってくれたらいいのに……」


 俺はドキドキしながらも、海歌に顔を寄せた。


 海歌の桃色の唇が目の前に迫り、海歌の甘い吐息が鼻にかかる。


 けれど、海歌の顔を目の前にして躊躇ためらってしまった。


「……本当に、俺でいいの?」


「ん?」


「海歌にとって、これがファーストキスだろ? 人生に一度きりのキスが、俺でいいのかなって……」


 俺は、海歌に相応しいパートナーなのか?


 果たして海歌に釣り合う男なのだろうか……?


 石のように固まってしまった俺の後頭部と背中に腕を回した海歌。

 そして、俺の体をぐっと引き寄せた。


「「……」」


 俺と海歌は究極的に密着し、唇を重ね合った。


 海歌の唇の湿っぽく、柔らかな感触が研ぎ澄まされる。


 もう、海歌のことしか考えられなかった。


 過去の孤独も、言い争った記憶も、未来への不安も、頭の中からスーッと溶け出してしまう。

 多幸感に溺れていたそのとき、海歌の長い舌がにょろにょろとうねって、俺の口の中に入りこんできた。


「んん!?っ、おぇっ……ごほ、ごほっ………」


 思わずえずいて、激しくき込んでしまった。


「ハハハっ、びっくりした?」

「ま、まさか、舌入れられるとは思わなかったから……」


 自分の頬に付いていた唾液を袖で雑に拭い、頬を赤らめる海歌。まったく、油断できない女の子だ。


「ありがと、陸翔。これで何もかもうまくいくと思う」


「なら、よかった。でも、さっきみたいに急に変なことするのはやめてね」


 ブランケットを胸に抱き寄せ、海歌はクスッと笑った。

 その仕草の一つ一つが、愛らしくてたまらない。


「――私は、陸翔がいいの」


「っ……」


「ふふっ、マジで照れてるのウケる」


 こんなことを大好きな人に言われて、照れない人はいないだろう。恥ずかしくって、何も言えなくなってしまった。


 そんな彼女の気持ちに応えて、俺はベッドの上、海歌を優しく抱き寄せた。


 まだ風呂に入って時間が経っていないからか、海歌の頭からはシャンプーやヘアオイルの残り香が感じられる。


「おやすみ、海歌。ゆっくり休んで」


「うん、おやすみ、陸翔。――大好き」


 俺は海歌と抱き合い、月明りの下、どこまでも沈み込んでいった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ