訪問②
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「……そう。そういうこと」
大河の説明を黙って聞いていた瑠未が、ゆっくりと目を閉じて静かに息を吐く。
大きく沈む肩と、長い髪の毛先を弄る手つきが、大河の話を聞いた結果のストレスとして如実に表面化していた。
「瑠未さん、この話はできるだけ──」
「──ええ、不用意に広めるような真似はしないわ。安心して」
大河の暗い声色に被せるように、穏やかな笑みを浮かべて返答した瑠未が、くるりと後ろを振り向き護衛の男性二人を見る。
「貴方たちも、今の話は他言無用です。私の許可無く口外する事を禁止します。良いですね?」
「はっ、はい!」
「りょ、了解です!!」
話の内容の余りの荒唐無稽さ──もしくは規模の大きさに着いていけなかったからか、護衛の二人は引きつった表情で頷く。
「と言っても、誰かに信用してもらうには些か根拠に欠ける内容ではあるわね……実際にその女神って存在と対峙した貴方たちが言うからこそ信憑性が増すわけだし」
「そもそも俺らの話を疑わないって前提が必要になるから……ここに来たんだ。瑠未さんならきっと、少しは信じて貰えるんじゃないかって」
申し訳なさそうに、大河は目を伏せる。
打算を抱えて池袋に来た事を恥じる。
ただでさえ瑠未に対して大きな負い目を感じているのに、結果的に瑠未を利用しようとしている事が、ただただ心苦しい。
「……うん、うんうん」
大河の言葉を聞き、悠理や愛蘭、香奈の表情を見比べ、瑠未は何度も頷いた。
「良し」
がばっと椅子から立ち上がり、瑠未は腰に手を当てて胸を反らした。
「る、瑠未さん?」
そんな瑠未の行動に目を丸くして、今まで黙っていた悠理が思わず声を掛けた。
「うふふ、ごめんね悠理ちゃん。貴方やクランの皆にはちょっと申し訳ないのだけれど、私ってば、一番最初に大河くんに頼られたのが嬉しくて堪らないの」
ニコニコと表情を緩めて、瑠未は本当に嬉しそうに笑う。
「それで大河くん──いえ、クラン〝東京ケイオス〟の常磐大河さん。貴方は私たち〝太陽の家に何を求めているのでしょうか」
朗らかな表情を浮かべながら、ぐるりとテーブルを一週して大河の側まで歩みより、瑠未は大河の目をまっすぐに見つめて問う。
「一応ね? 私だって曲がりなりにもクランマスターですから、クランメンバーを危険に晒したり、無益な仕事に駆り出すって訳にもいかないの。だから求められている内容次第では断らざるを得ない。だけど私個人としては、出来る限り貴方の力になりたいと思っているわ?」
「う、うん」
以前の瑠未とは違う、一つの組織を束ねる長としての風格に大河は若干、気圧される。
かつてこの池袋が水で満たされている時、その風格を持ち合わせていたのは瑠未では無く、陽子だった。
瑠未と陽子の姿が、印象が、大河の記憶の中で重なっていく。
あの優しく、人懐っこく、朗らかで、慈愛に満ちて、しかし誰よりも皆を案じ、誰よりも苦しんでいた女性は。
最愛の恋人の中で、今もなおしっかりと──生きている。
「──あ、あの、えっと。き、危険なイベントの攻略はお、俺らケイオスがやるから」
不意に泣きそうになってしまったみっともない顔を瑠未に見せまいと顔を背け、大河は震える唇を無理矢理動かした。
「太陽の家には、えっと、いろんな街の聖碑に触れる部隊を幾つか出して欲しいんだ。あ、あくまでも聖碑に触れるのが目的だから、危険そうな街だと思ったら入らなくて良い。近くまで行ければ後は俺らがどうにかする。聖碑間のネットワークを構築して、イベントを回る効率を少しでも上げたいんだ」
「……大丈夫? それだとまた、貴方が──貴方達だけが痛い思いを」
嘘偽りの無い心配の篭もった声に、大河の目頭が熱くなる。
本来なら恨まれていても、憎まれていてもおかしくない。
瑠未にはそれだけの理由がある。
だけどどこまでも優しく、理解のあるこの女性は、心の底から大河の身を案じてくれている。
それがなによりも嬉しくて、だけどどこまでも悲しくて。
そんな大河の複雑な心境を、悠理は理解していた。
だからその右手にそっと自分の手を伸ばし、優しく包み込む。
何も言わずただ温もりだけが伝われば良いと、その手をしっかりと掴む。
「だ、大丈夫だ。こ、この条件は、聞く人にとっては不平等に感じるかも知れないから」
「不平等?」
鼻声になりつつある大河の言葉に、瑠未は首を傾げた。
「あ、ああ。今までの傾向から言えば──ていうかゲームとして考えれば確実に、イベントをクリアした巡礼者は莫大な報酬やレアなアイテム、それに自分らが有利になるような強い恩恵を得る。だから人によっては、俺らだけ得をしてズルいって感じる人も当然出てくる筈だ。だから──」
目を真っ赤に充血させた大河は、そこで愛蘭を見る。
「ケイオスは、イベントクリア報酬──特にオーブの取得の権利を放棄して、協力してくれたクランに均等に分配する事を約束します。ただ、イベントの難易度がこの先どんどん上がっていくのはまず間違いが無いので、巡礼者の強化に繋がる報酬に関しては申し訳ないのですけれど、ケイオスが優先的に確保させて頂きますが……例えばその効果がケイオスに不要であったり、他のクランに回した方が状況的に良さそうだったり、持て余しそうだと判断したモノであれば」
一瞬のアイコンタクトで『声が震えてもう説明ができない!』と言う大河のSOSを読み取った愛蘭が、続けて瑠未に説明をする。
「私たちに譲る……って事?」
「はい。念のためイベント報酬のアイテムはケイオスが責任を持って目録として記録し、その情報を全て公開します。目録に記載されているアイテムは、他のクランとの競合が無い限りいつでも好きな時にお渡しします。だたそれだと早い者勝ちみたいになっちゃうんで、月初に申請して貰ったり、一ヶ月に3つとか、数の制限だけはさせて貰いたいんですけど。ただこの目録の閲覧に関しては、各クランの責任者だけに限らせて頂きたいんです。もちろん、一般メンバーにはその内容すら伝えてはいけないと言う誓約も」
「それはどうして?」
「レアアイテムの分配に関して言えば、どうしても数に限りが在る以上、余計な嫉妬や勘ぐりを招きかねないんです。例えば、新しい上位のジョブに就くのに必要なレアアイテムがどこのクランに渡ったかを知れば──」
「なるほど、余計な行動に出る巡礼者が出てもおかしくは無いわね……でもそれだって、各クランの責任者が情報を漏らすかも知れないわよ?」
「そうなった時は、そのクランの責任を問えるんです。責任者しか知り得ない情報を、どうして一般メンバーが知っているの? って」
「ふーむ、その場合のペナルティも、勿論有るって事よね?」
「はい、報酬の分配比率を下げて、目録の閲覧を一定期間禁止させて頂きます」
「街と街を移動するだけで、オーブが稼げる……自分たちでは入手が難しいアイテムを、タダで貰えるかも知れない……うん、まぁ充分な報酬かな。ケイオスにとってはかなりの損になるとは思うけど」
愛蘭との会話から要点を拾い上げつつ、その情報を脳内で整理した瑠未が頷いた。
「ある程度の損は想定内です。これもケイオスの皆で決めて納得した事ですから」
愛蘭はそう言うが、皆で決めたと言ってもほぼ廉造と秋也が草案を描いた通りの内容をそのまま飲み込んだだけだ。
ことこういうゲーム的な思考に関しては、ケイオスであの二人がダントツに長けている。
特にケイオスのブレーンである廉造の考えに、皆あまり異論を挟まない傾向にもある。
「それに報酬に関しても毎月必ず貰えるとは限らないんです。なにせイベントをクリアしないと発生しないモノですから。それがどれだけの額かも定かでは無いし、なによりケイオスが全滅した場合の保証もありません」
「それは勿論そうよね。つまりイベントがクリアされるまではただ働きかも知れないし、何一つ確約はされてないと……」
「ええ、なので私たちケイオスはこの契約関係を同盟と定義してないんです。あくまでも協力関係、なんの強制力も働かない、カジュアルなモノだと捉えてくれれば」
「まぁ、どのクランも自分たちの街から外への移動手段は元から必要だと思っているだろうし、どう転んだとしても大損にはならない──か」
「はい、それに余力と自信があれば私たちに譲らずに自分たちでイベントをクリアしても構わないんです。私たちの目的はこの世界の攻略ですから。ただ、その際のイベント内容や取得した情報は、協力関係のクランに全て開示して頂けると助かります」
これも、強制力の働かない言わばお願い事である。
廉造曰く、『どういう契約内容にしようと、自分たちで情報を独占しようとすれば好きなだけ隠蔽できちゃうから、あんまり意味が無い』らしく、たとえばその情報が他のクランとの勢力争いから一歩先を行けるような内容だった場合、情報を秘匿するクランはどうしたって現れる。
これはいずれ絶対に起こりえるだろうと、廉造は考えている。
誰だって、他人より優位に立ちたいと考えてしまうものだ。
「うん……うん、うん」
愛蘭の言葉に何度か頷き、瑠未は振り返って護衛の男性二人を見る。
神妙な顔の男性二人は、一度コクンと頷いたまま押し黙った。
「えっと、この場で即決できるような話では無い事だけは理解したわ。申し訳ないのだけれど、一度クラン幹部とこの情報を共有し、話し合う時間が欲しいの。問題ないかしら」
瑠未は再び愛蘭へと向き直る。
「うん、事が事だけにそう簡単に決められないだろうって最初から分かってたから大丈夫だよ。私達も池袋に一泊しても良いように色々準備して来てるから」
返事を返したのは、いつの間に椅子から立ち上がって大河の背中を撫でていた悠理だった。
「ありがとう、助かるわ。じゃあ、また明日──えっと、午前中までに纏めるようにしておくから、また正午にここに来て貰えるかしら」
「あ、ああ。分かった」
ようやく落ち着きを取り戻せた大河が、恥ずかしくて耳まで真っ赤にしながら瑠未に顔を向けた。
「ふふっ、じゃあまた──明日ね?」
大河の心境を知ってか知らずか──いや、きっと知った上で、瑠未はどこか嬉しそうに笑った。
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「んじゃ、泊まるとこどこにする?」
物珍しそうに池袋の街並みをキョロキョロと見渡して、先頭を歩く香奈が問いかける。
「前に私と大河が泊まったとこで良いんじゃないかな? 駅向こうになっちゃうけど」
大河と腕を組んで歩く悠理が、そんな香奈へと言葉を返す。
「駅向こうって、こっち? 池袋駅の中を通り抜けられるの?」
「そう、地上階は普通に通り抜けられるの。ただワンフロア地下に降りちゃうともうダンジョンだから、階段付近には気をつけてね。モンスターが飛び出してくるかも」
「おっけー。それにしても、池袋もまた偉い広くなったわねぇ。あの駅前のロータリーなんて、拠点のグラウンドの三倍ぐらいあるんじゃない?」
都市解放後も少しずつ微細な変化があるらしい池袋は、例えば誰かがどこかで小さいイベントをクリアする度にビルが増えたり、公園ができたりする。
瑠未曰く駅前の変化はもう落ち着いて来ているようだが、まだ郊外には全容が判明していない箇所もあるらしい。
「ハァ……緊張したぁ……渡辺さん、なんだか凄い人だったわね……」
悠理と反対側の大河の隣を歩く愛蘭が、器用に全身を弛緩させて肩を落としている。
「そうだな。なんか前より、迫力っていうか、威厳みたいなモノが増してたような気がする」
「大きなクランを運営できる人って、やっぱどこかああいう空気を纏っているんでしょうねきっと」
「俺や愛蘭さんも他の人から見たらああ見えてたりするのかな」
「きっとそうだよ。大河や愛蘭さんだって立派にケイオスを運営してるもん」
「無いでしょ。無理無理。ウチなんかじゃどう頑張ってもあの人みたいな感じは出せそうに──おっと、メッセが入った」
「俺もだ」
「私も?」
なんてことの無い雑談に興じる三人のスマホが、一斉に着信通知音と震動を鳴らした。
それぞれしまっていた場所から取り出して、画面を起動する。
届いたメッセージは二件。
一件目は廉造。
二件目は郁だ。
「私の方にも来てるー」
少し離れた場所で香奈がスマホの画面を見せつけながら手を振った。
どうやらそれぞれが似たようなタイミングで、ケイオス全体にグループ発信をしたようだ。
「あちゃー、廉造達の方は交渉決裂だったみたいだな。このまま練馬峡谷でしばらくレアアイテムを狙って狩りをするってさ」
その文面から過剰に申し訳なさを滲ませた廉造のメッセージには、詳細こそ省かれているがかなり揉めた事が想起できる。
大河は苦笑いを浮かべて、『気にするな。気をつけろよ』とだけ返信した。
「きゃー! みんな見て見て! 郁さん、おめでただって!!」
「え!? マジ!? 凄い凄い! 帰ったらお祝いしなきゃ!!」
「あ、でも郁さん……かなり調子悪そうだったよね。あれ、もしかしなくても悪阻だったんだ」
「じゃあ、体調が戻り次第ちょっとしたパーティーでもしますか」
「悪阻ってどんくらい続くの?」
「それはちょっとわかんないなぁ……ウチ、妊娠した事無いし」
「親戚のお姉さんが妊娠した時は、確か一ヶ月くらいずっと調子悪いって言ってた気がする」
「うげ、そ、そんなに?」
「た、大変ね……あ、赤ちゃん用のお洋服とか用意しといた方がいいわよね!?」
「哺乳瓶とかも!」
「お洋服に関しては瞳さんが【裁縫】のアビリティ持ってたから、布さえ用意できれば買うより安くなるかも……」
「病気に罹りにくくなる効果とか、もしかしたらあるかもしれないわよね」
「ありそう! そうと決まれば今日はこのままショッピングに──!」
「香奈ストップ、一応予算決めておかなきゃ。でも赤ん坊が身に付けるモノはできるだけ良い物を用意してあげたいわよね……廉造にも相談して、予算多めにしよっか」
「そういえば、病院も産婦人科も無い今の東京じゃ、助産婦さんだってそう簡単に見つからないよね……どうする?」
「うーん、どっかで医療経験者とか元医者だったりする人、余ってないかしら」
「念のため、どっかの図書館か本屋さんに寄ってお産に関する本を手に入れようよ」
「あ、陣痛に【手当】って効くのかな?」
「わかんないけど……もしもの為に考えておくよそれ」
お互いのスマホの画面を見ながら、女性三人が円となってわいわいと騒ぐ。
あれよあれよと話は進み、何が必要か、何が不足しているか、問題点が次々に出てきた。
こういう時、女性は強いなと大河は関心する。
女性の出産に関する知識なんぞ毛ほども知らないから、その話し合いにどこか入り辛い。
「……あんまり口を挟まない方が良いか──ん?」
メッセ画面を開きっぱなしにしていたスマホに、また新しい通知が届いた。
差出人は、リミだ。
今度は他の三人には届いておらず、大河だけに送られていた。
女性三人は未だ話し合いに夢中だ。
割って入るのも野暮かと思い、大河は黙ってリミのメッセージを開いた。
「──あ?」
その文面に、大河は思い切り首を傾げた。




