夢の始まり
「大河……」
膝を付き項垂れる泣き顔の大河の正面。
地雷天使レナは身を屈め膝を抱えてその顔の高さを合わせる。
「いろんなことがいっぱい、急にぶつかってきて……きっと今とても辛いんだよね? 造物主さまの知ってる事、知らない事。大河だけにしかわからない事、大河でもわからなかった事、たくさんあったね?」
その声はまるで、泣いている子供をあやしているような。
宥めているような。
優しい声。
「でも、大河は立ち止まっちゃダメだよ」
一転、その穏やかな言葉の語気が若干強まる。
「日記、読んだでしょう? 造物主さまの最後の願い、知ったでしょう?」
大河は虚ろで定まらない瞳をふるふると震わせながら、その顔を見る。
整った端正な顔立ちは、きっと彼女がNPC故の作られた美しさ。
天使のイメージに違わない、完成された美がそこにある。
だけど、そのまつろわない決意の瞳に、芯の通った強さが見える。
眩いばかりに輝く、希望に満ちた光が見える。
「大河の大事な大事な、臆病な新條綾が、死の恐怖に震えながらそれでも最後まで戦い抜いた事、知っちゃったでしょう?」
「あ──あ、お、お前、お前は……」
震える唇で、ゆっくりと。
大河は言葉を形作る。
「お、お前は……アイツの、俺たちの……味方、なのか……?」
第一の質問。
意図せずして口に出した軽率なその質問に対して、レナはにっこりと笑みを浮かべる。
「最初の質問の答え。大事な事だよ。ちゃんと聞いてね?」
両手を伸ばし、大河の両頬を優しく挟んで、レナは目を閉じ、そしてその赤いリップが塗られた瑞々しい唇を揺らした。
「残念だけど、ウチはこの世界と巡礼者──どちらかに天秤を傾けて贔屓できるようには造られていない。それは他のシステム天使も同じ。だけど大河、ウチはこの世界が大嫌い」
大河の頬に添えられた冷たく、しかし優しい手がゆっくり動く。
さわさわと、触れるか触れないかの際どい距離を保ち、大河の肌を撫でる。
「造物主さまが本来望んでいた姿とは全く違うこの世界が大嫌い。そんな世界を守っていかないといけない自分が大嫌い。造物主さまの大好きな大河を傷つけ、意地悪をするこの世界が大嫌い。造物主さまの大事な物を全部奪っていった女神が大嫌い。偉そうな事を言うくせに、自分の事を棚に上げてルールを破る女神が大っっっっ嫌い。でも──」
身体を傾けるように、ゆっくりと近づいてくるレナの顔。
そしてコツンと、大河の額とレナの額がぶつかった。
「貴方が必死に生きて、必死に守って、必死に駆け抜けてきたこの世界は──大好き」
じんわりと、額から熱が広がっていく。
それはレナの体温か、大河の体温か。
血管を通る血液の様に、額からゆっくりと身体中を巡り、そしてまた額へ。
得体の知れない、しかしどこか優しい熱が、大河の身体を内側から暖めていく。
「だから最初の答え。ウチは大河の味方で居られない。大河の敵でも無い。だけどウチは──造物主さまの願いと想いの味方」
接触している額と額が、夏の熱気のせいか汗ばんできた。
「あ、アイツの……願い……想い……」
「そう、造物主さまがこの世界を最初に頭の中で創造した時の、一番初めの、一番純粋な願い。そして死ぬ間際まで胸に秘めた、貴方や他の人たちへの想い」
耳をくすぐるレナの優しい声に、大河はゆっくりと目を閉じる。
そして思い出す。
この世界の成り立ち。
一番最初に大河に教えてくれた時の、綾の言葉と表情を。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
『でね!? ここがボスモンスターの部屋でね!?』
『まってよ綾。いきなり言われても俺わかんないってば』
『凄かったんだよ!? お父さんの動き! こうグルンって背中に回って! ボスモンスターがブンっておっきい剣を振った時を待ってさ! グサって!!』
『そんなに面白かったの? おじさんが買ってきたゲーム』
『めちゃくちゃ面白かった!! タイちゃん僕、僕ね!?』
『うん』
『いつかタイちゃんがめちゃくちゃ面白いって言ってくれるような!! そんなゲームを自分で作ってみたいんだ!!』
『俺? なんで俺?』
『だって、タイちゃんあんまりゲームやらないでしょう?』
『うん』
『そんなタイちゃんが面白いって言ってくれたらさ! それって凄い面白いゲームって事にならないかな!?』
『なるのかな?』
『なるよ!! 今ね! じゆうちょうに大人になったら作りたいなって考えてるゲームのアイデアをいっぱい書いてるの!! もう少ししたらタイちゃんにも見せてあげるね!?』
『綾の事だからまた文字をびっしり書いてくるんだろ? 俺読めないよそんなに……』
『ちゃんと絵とかも付けるから大丈夫だってば!! ね、タイちゃん!!』
『なんだよ』
『僕が作ったゲーム、一番最初に遊んでくれるの。タイちゃんだからね!』
『遊ぶって……大人になったらの話でしょう? すっごいいっぱい後の話じゃん。俺忘れちゃうよそんなの』
『いいの! うんって言って!!』
『なんだよ。なんで綾、今日はそんなに元気なの?』
『うんって言ってってば!!』
『あーもう! わかったよ! うん!!』
『タイちゃん、約束だからね?』
『はいはい、約束ね』
『うふふ、えへへ……』
『あっ! 綾、もうすぐ夕方のアニメ始まっちゃう!! 今日はどっちで観る!?』
『僕の家行こ! お父さんがおみやげでおいしいプリン買ってきたの! ちょっと高いヤツなんだって! 残り少ないから僕らで食べよ!!』
『え、それ俺食べていいの? 綾乃姉ちゃん怒るんじゃない?』
『いいの!! お姉ちゃんこっそり昨日のお風呂上がりに二つ食べたの、僕知っているんだから!! 早く早く! お姉ちゃんが帰ってきたら、先に食べられちゃう!!』
『あ、待ってよ綾! 綾ってば!!』
『タイちゃん!! 早く!!』
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「約束……そうだ。アイツの作ったゲームは……俺が、誰よりも……先に……」
虚ろな瞳に、光が戻る。
身体に伝わるレナの熱が、それを呼び起こす。
憎悪も怒りも勿論ある。
だけどそれ以上に、約束がある。
かけがえの無い親友と交わした、最初の約束。
大河にとっては記憶の片隅に埋もれるほど小さな小さな約束だった。
だけどあの日記に書かれていた通り、綾は忘れてはいなかった。
この『東京ケイオス・マイソロジー』は、その約束を起源として形作られた世界。
年月を経て変化していっただろう。
きっといろんな事を取り入れて、取り込んで、成長して。
変えなかった部分もある。
変えた部分もある。
自分でも馬鹿みたいだと笑い飛ばした設定があった。
自分でもやり過ぎだと呆れた設定もあった。
全てをゲームとして取り込めば、破綻もあったし矛盾もあった。
だけど一番最初の約束だけは、忘れていない。
最初に作る夢のゲームは、大河に最初にプレイして貰いたい。
それを夢の軸として、この世界は動き出したのだ。
「アイツの──アイツが死んだ事は……無駄じゃ、無かったよな……?」
第二の質問。
感情から来るその言葉に、計画性も思惑も一切含まれていない。
三つしか問いかける事ができないという縛りすら、今大河の脳裏には残っていない。
だけどコレを聞かなければ、きっと大河は再び立ち上がれない。
「無駄じゃないよ。無駄なんかじゃなかった。届くんだよ。造物主さまがその命を賭けたからこそ、大河の剣は──女神に届く可能性が生まれたんだから」
その言葉に大河が、そしてレナがゆっくりと瞼を開く。
「俺は女神を、殺せるのか……?」
「殺せるかどうかは、断言できない。きっとそれはとても難しい事……だけど、道は繋がった。今日ようやく、その可能性に手が届いた」
最後の質問。
今この世界の今後を決める大事な大事なその問いかけが行われた。
その光景を悠理が、廉造が、海斗が、愛蘭が、建栄が、香奈が瞳が郁が、そして子供達が見守っている。
「大河なら、きっと届く」
全ては、ここから始まるのだ。




