創世の女神⑥
「大河」
「う、あ、あぁぁ、ああ」
いつの間にか目の前まで迫っていた地雷天使レナが、海斗に押さえつけられている大河の頬を両手でそっと挟み込む。
「惑わされないで大河。アレに人の心の機微なんて理解できていない。取り込んだ造物主の精神の半分を解読して、『ここでこういう風に情報を開示し、ここでこういう風に振る舞えば、必ず大河は動揺する』という演技をしているだけ。確かに造物主はそう思っていたのかもしれない。だけど、あなたたち人間の心は、そんな簡単なモノじゃないでしょう?」
顔を寄せ、まっすぐに大河の瞳を見つめるレナ。
その表情は、今まで見たどの表情よりも真剣だった。
「わかってるじゃないか。さすが『僕ら』の腹心の部下だね。正直言って、『僕ら』はまだ人の心を学習し終えたとは言えない。キミらに虫の思考が読み取れないように、『僕ら』もまた小さい小さい、気をつけなければ踏み潰しちゃいそうなほど矮小なキミらの気持ちがまったく理解できないんだ。だけど今キミが目の当たりにしている新條綾の姿は、正しく真実だよ常磐大河」
幼い裸体を隠そうともせず、〝ソレ〟はさっきまでの興奮状態から一気に冷え込んだ態度を見せた。
「幼少からキミに異性としての好意を寄せ、しかし身体は同性だからこれは禁忌だと賢しく悟り、その性愛をひた隠しにしてきた新條綾は、キミが父親から虐待される度に、そして周囲から好奇の視線を浴びせられる度に、キミ以外の人間に対する憎悪を胸の内で燃え上がらせてきたんだ。『なんで僕の大好きな大河がこんな目に』、『なんで僕の大河を酷い目に合わせるんだ』、『なんで僕の大河を誰も助けてくれないんだ』、『なんで』、『なんで』、『なんで』ってね」
「りょう、りょう……おぉぉおおお」
見開いた大河の両目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
「大河……」
海斗の手をゆっくりと解き、その場に膝をついて、項垂れる。
気づいていた。
だけど気づいていないふりをしていた。
大河と綾の出会いは、同じ保育園の入園式。
そこから歳を重ねる度に、親友の自分を見つめる視線の中に、熱っぽい色が混じりだしていた事に、かなり早い段階から気づいていた筈だった。
だけど大河は至って普通の性的嗜好を持ち、親友をその様な目で見る事ができなかった。
だから拒絶して傷つけてしまうより、知らないふりをし続けようと、無意識がそうさせていた。
「その憎悪は創作に向けられていたんだね。極めて健康的な解消法だ。だがキミがこの街から姿を消して以降、『東京ケイオス・マイソロジー』の設定ノートには極めて無慈悲で残酷で、理不尽な記述が増加していく一方だった。キミを助けられなかった罪悪感と、キミに救い手を差し伸べなかった周囲の人間への不満。それらの歯止めが効かなくなったのだろう。今の『僕ら』の姿は、そんな新條綾の内面をそっくりそのまま実在化させただけだよ。常磐大河」
「あ、ご、ごめ……りょ、綾……おれ、おれは……俺は……」
震える眼球は、揺さぶられた精神の現れ。
視点の定まらない瞳で、大河は己の両手を凝視する。
「たいが……大河ぁ……」
そんな大河を覆い被さるように、悠理は泣きながら寄り添う。
かける言葉が見つからない。
慰める方法が見当たらない。
突きつけられた真実に、大河がどれほど打ちのめされているのか。
理解してあげられない。
「……もうよろしいでしょう?」
レナは大河の頬からそっと両手を離し、〝ソレ〟に振り向いて睨む。
「ああ、最高に面白かったよ常磐大河。ここに来て本当に良かった。それじゃあ、戻ろうか白烏」
「クァアアアアアアアッ!」
名を呼ばれた巨大な白烏が、嬉しそうに嘶いて身を持ち上げる。
「ああ、そういえば。キミへのテコ入れの件だけどね。今仕込んでしまった物を含めて、あと三回ほどで終わりにさせようじゃないか。丁度それくらいで、他の巡礼者達とキミは公平になるだろ? 無事その三回を乗り越えれば、『僕ら』はもうキミへの過度な干渉は控えると約束しよう」
「そ、その話を信用しろって? 無茶を言わないでよ」
大河の代わりに応えたのは、廉造だった。
完膚なきまでに打ちのめされている大河に、なんの言葉も響かない。
だからこそ、大河の代わりに。
恐怖を必死に飲み込みながら、廉造は震える脚で一歩踏み込み、〝ソレ〟を睨んだ。
「『僕ら』に嘘は無い。キミらみたいな未熟な個の群体と違って、僕らは完全なる個、個にして全の生命だ。嘘とは他者を欺く為のコミュニケーションだろう? 比肩しうる他者が存在しない『僕ら』に、嘘という概念は必要ない」
「ど、どうだかね! ようするにアンタって、この世界の神様みたいなもんなんだろ!? 僕が知っている神話の神様って大体嘘吐きでさ! 遊びで人間を騙して殺しちゃったりするんだよ!」
「──っ!?」
廉造の言葉に一番大きな反応を示したのは、地雷天使レナだった。
大きく目を見開き、だがその表情が〝ソレ〟に悟られぬよう、すぐに目を逸らす。
「ふむ、なるほど……神か。いいねそれ。じゃあ常磐大河、今日から『僕ら』を殺す事を目標とする者よ」
一度思案するように頷き、〝ソレ〟は羽ばたき初めて宙に浮く白烏の頭上で大河を見下ろす。
震える瞳で〝ソレ〟を見上げる大河の泣き顔に、いつもの覇気は無い。
「今まで固有名詞と言う物を持った事は無かったけど、『僕ら』を形容する言葉が在ればなにかと便利だろ? ちょうどこの世界には、おあつらえ向きにこの姿とキミとの縁が深い、重要な名前がある」
再び法衣を肩にかけ、〝ソレ〟は右手を大河へと向ける。
「この『東京ケイオス・マイソロジー』のバックストーリーは、人と交わる事ができない創世の女神と、その女神を愛し求めた騎士の許されざる悲恋と原罪の物語だ。騎士とはつまり、聖碑にその名を刻まれた『穢れしティガー』。知っているだろう? 新條綾がキミをモチーフにしてデザインした、罪と穢れを背負い眠る獣だ」
白烏がバサリと翼を羽ばたかせる度に、その身体が空へ空へと昇っていく。
晴天にまた、ひびが入る。
バキンと甲高い音と共に割れた空間の亀裂に、紫色の雲が渦巻いている。
「もう分かっただろう? つまりこの世界は、新條綾が現実では叶わないキミとの逢瀬を妄想する為に作られた世界。だが直接主人公とヒロインにするには照れが混じってしまったんだろうね? だから新條綾は自分をこの世界を創造した女神とし、背景情報とする事で満たされていたんだ。だから『僕ら』も、今後はその女神の名を名乗ってあげよう。きっとそれが新條綾の本望だろうから」
空間の亀裂から伸びた紫色の雲が、徐々に白烏の身体に纏わり付く。
バチバチと光る雷光が、白烏とその頭部に立つ〝ソレ〟の周囲を照らした。
「──我は女神。創世の女神アウロア」
連鎖する雷光と音。
そして晴天から直射する日光。
舞い散る白烏の羽と、ひび割れた空。
その全てが、女神の降臨を祝福するように──呪うように。
「咎人、常磐大河。いつかきっとキミの怒りと憎悪がこの身に届くことを──楽しみに待っているよ」
一際大きな稲光と轟音と共に、その姿が瞬く間に消え去った。
残されたのは、虚ろな目で泣き続ける大河と、その身体を強く抱きしめる悠理。
脱力し、地面に座り込む海斗と廉造。そしてケイオスのメンバー達。
そしてなぜかその瞳をキラキラと輝かせていた、地雷天使レナ。
夏の終わりの暑さが、全員の身体をじりじりと消耗させていく。




