創世の女神③
それは、暗闇の中から現れた。
青空に走った大きな亀裂を割り、その内側で渦巻く紫色の濃い雲の中からゆっくりと。
首を出し、キョロキョロと周りを見渡して、そして鋭く血の様な真っ赤な目で大河とレナを捉える。
「クァアアアアアアッッ!!」
一度大きく嘶いて、その巨体を捻り空の亀裂から這い出るように。
その真っ白な巨体をまるで見せびらかすように現れた。
「あ、あれは……っ!」
海斗が腰に刺さったハヤテマルの鞘から刀身を抜き取り、身構える。
「で、でかい……」
身が竦んで動けない廉造が、震える声で呟いた。
「真っ白な……烏……朱音さんが言ってた……」
その光景に思考がついて行けず呆ける悠理が、遅れて感じた恐怖を抑える為に口元を抑える。
「け、建栄さん! 子供達を!」
「任せろ! だ、だがアレ相手になにが出来るか……」
愛蘭や子供達を背に、建栄は慌てて顕現させたビッグシールダーを地面に突き刺した。
子供達の表情は引きつり、奥歯を小刻みに鳴らしながらガタガタと震えている。
それは一目見ただけでわかるほど──邪悪だった。
邪悪で、巨大で、強大で、不遜だった。
大きく真っ白な翼を一度羽ばたかせる度に、突風が周囲の空間を揺らす。
大河をまっすぐに見つめ、そして海斗、廉造、悠理、建栄に愛蘭に子供達、香奈やケイオスのメンバーらを鳥特有の首の動きで素早く見比べ、まるで鼻で笑うかのように短い息を吐き出す。
バサリ、バサリと悠々と翼を動かしながら、その〝真っ白な烏〟は下降を始める。
大河が壊した公園の瓦礫を飛び散らせ、残った大きな銀杏の木の枝葉を掻き鳴らし、そして静かに、地雷天使レナの背後に降り立つ。
「……ついてきちゃったよ」
心の底から不快そうに顔を歪めて、レナはその烏の頭部──を超えて、背中付近を見る。
「こいつ……っ!」
慌てて災禍の牙を手に戻し、両手で握り直して、大河は烏をきっと睨み付ける。
「──慌てないでよ。戦う為にここに来たわけじゃないんだ」
烏の背後から聞こえたその声に、大河は目を見開いた。
聞き覚えのある声。
耳に馴染む、懐かしい声。
唯一この場で──この場に居る巡礼者の中で、大河だけがその声を知っている。
声変わりを終えてもほぼ変化しなかった事を嘆いていた、高い声。
「──なにやらそこのシステム天使筆頭がさ。面白い事を言っていたから、ついつい好奇心に負けて出てきちゃっただけなんだ」
烏の背中からふわりと、人影が宙に浮かび上がる。
白い烏は恭しく頭を下げて、嘴の下──顎を地面にぺたりと付けて身を伏せた。
その人影はまるで当然の様に、烏の頭の上に乗って、眼下の大河と──そしてレナを見比べる。
「やぁ、暇をしているみたいだね。システム天使統括──地雷天使レナ?」
「……まぁ、ウチの妹ちゃんと仲間たちがとっても優秀なのでぇ。誰かさんと違って口だけ挟んであーだこーだ難癖付けたり、その癖になんも改善案を出さずに丸投げするような子は一人も居ませんからぁ」
レナの声色には明らかに刺々しいニュアンスが含まれている。
さっきまで大河に語りかけていたような、優しさや愛おしさ、親愛に属する感情はそこに一切存在しない。
「それがキミらの仕事だろうに。まぁいいや。さて、初めましてだね? 常磐大河」
「あ、ああぁ、おおおお、おまえ……」
大河は見開いた目を更に限界まで開き、語りかけてくるその姿を凝視した。
わなわなと嘶く心と身体に、抑えがたい衝動。
その姿に、声に、心の底から総毛立ち、血が沸騰する感覚を覚える。
「し、新條く……ん?」
パクパクと口を動かして、悠理は恐る恐る、その名前を口に出す。
「いや、この姿は確かに新條綾──彼の姿だけど、『僕ら』は彼じゃない。あの日記を読んだキミなら理解できるだろう? ねぇ、常磐大河」
その笑みはまるで勝ち誇ったかのように、悠理の言葉に返答した〝ソレ〟は大河を見下ろしながら腕を組んだ。
肩口で遊ばせるままに伸ばされた色素の薄い栗色の髪は、いつか悠理が見せてくれた写真の様な染めた後ではなく、本来の新條綾が生まれながらに持つ髪色。
猫っ毛のくせっ毛でボサボサな筈なのに、その幼く見える容姿からとてもまとまって見える。
平均的な高校生男子よりもかなり低い身長は、一見して小学校高学年にも間違われる──彼のコンプレックスの一つ。
真っ白い布に金色の刺繍が施された、どこか荘厳な雰囲気を持つ服──法衣とも形容すべき一枚布を身に纏い〝ソレ〟は楽しそうに、嬉しそうに大河を見ている。
「この姿は、この廃都を形作る時にさ。創造主である『彼』の存在の要素が無いと上手くまとまってくれなかったから、仕方なくこうしているんだ。本来なら完全に取り込んだ『彼』を使って、『僕ら』にある程度の余力を残したままこの世界を観察したかったんだけどさ。ほら、『彼』──」
右手をそっと持ち上げ、見せびらかすように人差し指を立たせて。
愉快そうに笑いながら〝ソレ〟は公園の奥に鎮座する一本の銀杏の木──『おばけいちょう』を指さした。
「──無駄な事、しちゃったからさ」
「──おぉおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
地面を抉るほどの力を込めて、大河は跳躍した。
ギチギチと筋肉が軋むほどに強く握った災禍の牙を上段に振り上げ、血走った目を見開いて〝ソレ〟を凝視し、そしてギリギリまで肉薄したその身体を全て連動させて──今持てる全ての力を用いて、振り下ろす。
「──ダメだよ」
鼻の先ギリギリ、そこまで迫った災禍の牙の刀身。そして遅れて襲いかかる斬撃結晶の追加攻撃。さらには空震によって剣の特性を拡大解釈した不明な属性攻撃──結晶柱の攻撃。
それらを瞬きすらせず悠然と見つめながら〝ソレ〟は笑みを絶やさず微動だにしない。
「ぐぅううううううっ!!!」
「今のキミじゃ『僕ら』に触れることすらできない。要因はいくつかあるけど、分かりやすく言えば一つ目はシンプルに、レベルが低すぎる。30ちょっとなんて今の巡礼者達から見たら高い部類だけど、ゲームバランスで言えばまだ初心者──いや、中堅の巡礼者の入り口に立っただけ」
災禍の牙の攻撃を防いでいるのは、目に見えない謎の力場。
それは色も無く、形も無く、実体も持たないそこに存在しない筈の力。
だが確かに災禍の牙の刀身をそこに押しとどめ、そこから先に毛ほどの影響も与えていない。
「次にフラグ。『僕ら』じゃなくて、こっちの白烏の方ね? コイツは『僕ら』のお気に入りでさ。小賢しく、傲慢で、残酷で、そして力に従順だ。だからこうして『僕ら』に忠誠を誓い、本来の上位存在であるシステム天使達の命令権限を無視して『僕ら』に従ってくれる。コレでも歴としたイベントボスでさ。こんなフィールドで戦えるような雑魚じゃないんだ。ちゃんと手順を踏んで攻略しないと、コイツは倒せないよ」
とんとんと、右足でリズムを刻むように。
大河の目から視線を逸らす事無く〝ソレ〟は、烏の頭を軽く叩く。
「最後に、そもそもキミら巡礼者──いや、人間と『僕ら』じゃあ生命体としての次元が一つも二つも違う。肉の身体に定命と言う限界を持ち、全では無く個の集合体として群れる事でしか生きることのできないキミらと、全であるが故に個と成り、『ただそこに存在する』と言う概念があれば無限とも言える時間を活動できる『僕ら』とじゃ、存在の格が違いすぎるんだ。残念だけど、キミらに『僕ら』を殺すという手段は存在しない。『概念を消去する』と言う『概念』にキミら人類は至れていない」
「ぐううううぅうううっ!!」
歯を食いしばっても、脳の血管がはち切れんばかりに力を込めても、その刀身はそこから先に一ミリも進んでくれない。
「烏」
「クァアアアアアアッ!!」
名を呼ばれてすぐに、白烏は頭部を動かさず翼だけを羽ばたかせた。
「ぐっ! がぁっ! ぐぁあああっ!!」
そこから飛び出す無数の羽が、大河の身体に何本も直撃する。
一つ一つの羽が大河の二の腕ほどの大きさで、そしてとても堅く、鋭利だった。
たまらず大河は弾き飛ばされ、地面にその身体を叩きつけて転がっていく。
「大河ぁ!!」
「くっ!! 全員散開!! 建栄さんと愛蘭、香奈と郁さんは子供達を連れてゆっくりと下がれ!!」
大河に駆け寄る悠理。
皆に指示を出し、決して白烏から目を逸らさず素早く回り込んで、大河の前に躍り出る海斗。
身が竦んでぎこちない動きの廉造が、慌てて海斗の後を追う。
子供達を庇いながら、建栄と愛蘭、香奈と郁はじりじりと後退を始めた。
「だからぁ……戦いに来たわけじゃないんだ」
やれやれと呆れたように、新條綾の姿を模した〝ソレ〟は首を横に振った。
「良いかい? キミらを殺すのに、わざわざここに出向く必要なんてないんだよ。本来の『僕ら』の力であれば、望むだけでキミらは存在を否定され消滅する。でもそれじゃ面白くないだろう? せっかくこんな楽しい舞台を、手間暇かけて作り上げたんだ。ならキミらも、死ぬんだったら『この世界』に殺されてくれなきゃ、興醒めだ」
腕を組んで大河を、そして他の皆を見下ろす〝ソレ〟の視線には、明らかに侮蔑と失望、そして傲慢が見て取れる。
「さて、話を続けようか。じゃあシステム天使統括──地雷天使レナ? さっき言ってた続きをどうぞ?」
冷ややかな視線を送ってくるレナに対して、〝ソレ〟は楽しそうに、嬉しそうに話の続きを促す。
「『僕ら』に彼らの剣が届きうる手段──それは一体、どんな方法なんだい?」
「クアックァックアッ!!」
公園に高らかに響く白烏の鳴き声は、明らかに嘲笑の色が含まれていた。




