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東京ケイオス  作者: 不確定 ワオン
吉祥寺《はじまりのまち》

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255/279

赦し


 思い起こすのは何時だって、あのオレンジ色に輝く大河の笑顔。

 そしてその言葉。


 悠理にとって初恋とは、そして愛情とは。

 あの日あの時のオレンジ色で形作られている。

 

 新宿で再会した時、そして初めて守られた時。

 少しだけ成長しその表情に暗い色が含まれていても、やっぱり常磐大河は常磐大河のままで。


 自覚すら出来なかった淡い恋心が燃え上がるほどの、目の覚めるようなオレンジ色だった。


「大河はすぐに転校していって、結局ちゃんとお話できたのは数えるほどだったけど……だけどこの〝無駄に広くて難しい世界〟で、私と同じように怯えて生きている大河の事を思うと、なんだか一人じゃないって気がして……ギリギリだけど踏みとどまる事が出来たの」


 隣で静かに悠理を見続ける玲奈に向かって、悠理は微笑む。


 大河が中学から居なくなった後も、結局悠理の心境に大きな変化は起こらなかった。


 相変わらず男子は厭らしい目で悠理を見るし、女子の事は信用できないし、野々村月乃のグループと一緒に遊べるほどの勇気も出なかったし、新しい友人が出来ても深く踏み込む事ができなかったし。


 うわべだけを取り繕い、息の詰まるような毎日を耐え抜きながら、もうダメかも知れないと諦め駆けたその時、悠理はあの時の大河をふと思い出すのだ。


 きっとこの世界のどこかで、大河も恐怖に耐えながら歯を食い縛っている筈だと。


 趣味も好きな物も嫌いな物も、日々をどう過ごしているかも何も分からない同年代男子の事を思うだけで、悠理の心に一日を生き抜く活力が戻ってきた。


 今思い返せば、きっとそれを〝恋心〟と呼ぶのだろう。


「正直に言えば、今でも玲奈ちゃん達の事は怖いし、全てを許せているかどうかは……私自身にもわからない」


 受けた仕打ちを思えば、心の底から嫌ってしまう事もできた筈だ。


「でもあの日からずっと、私は玲奈ちゃん達の顔を忘れるくらい必死に生きて来れた。大河があの日、私が本当に欲しかった言葉をくれたから。今の大河が、私の側に居てくれるから」


 悠理はゆっくりと玲奈に近づき、その両肩を優しく掴む。


「だから〝明日から〟の私は、玲奈ちゃんを許そうと思うの」


 そしてそっと、その身体を抱きしめた。


「ちゃんと謝ってくれたから。玲奈ちゃんだって、怖がってた事を教えてくれたから」


「ゆ、ゆうり……ちゃん……」


「これで全部昔の様に元通り……とは、多分ならないと思う。だけどもう、玲奈ちゃんの事を怖がったりはしない。だから玲奈ちゃんも、もう私の事を思い出して怯えなくても良いんだよ」


「うん……うん……」


 思春期の時の思い出は、それがたとえどんな些細な事でも当人の心に深い傷を残す。


 ケイオスが来るまでの吉祥寺で、玲奈は玲奈なりに日々を必死に生き抜いてきたのだろう。

 だがふとした時。

 昔を懐かしむような、そんな余裕が出来た時。


 玲奈の脳裏に必ず蘇るのは、助けを求める悠理の苦しそうな顔と、それから目を逸らした愚かな自分の行いだった。


 頭を掻きむしりたいほどの後悔と、自分への失望で涙した時もあった。


 今日この日、悠理と思わぬ再会をしたあの時。


 激しくフラッシュバックする記憶の波に、玲奈は叫びだしたいほどに翻弄された。


 だけどそんな玲奈をこうして優しく抱きしめ、赦しを与えてくれた悠理の言葉に。


 心に突き刺さっていた鋭い楔が、ゆっくりと引き抜かれていく。


「ごめんね、ごめんね悠理ちゃんっ、ぐすっ、ごめんねぇ」


 悠理の身体を強く抱きしめ、玲奈はついに泣いてしまった。


「うん……うん」


 悠理はその暖かい身体をゆっくりと撫でながら、その謝罪の言葉に耳を傾き続ける。


 かつての友は、そうしてしばしの間抱き合った。


 変わってしまった世界で、変わってしまった自分たちの。


 もう二度と元には戻らない関係を懐かしむように、惜しむように。


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「もう良いのか?」


「うん、時間もかなり押しちゃったしね。愛蘭さん怒ってるだろうなぁ」


 吉祥寺駅東口バスロータリーへの道を、大河と悠理は並んで歩く。


 かつてはそれぞれの友人と歩いた懐かしいこの道が、今では寒々しさすら感じるほどに殺風景に感じられる。


 成人男性が横に並んで七人は通れる筈の道を、たった二人。


 帰宅時間ともなれば数百人は往来していた筈の駅前一等地は、今では廃墟と捉えられてもおかしくないほどに寂れている。


「心配すんな。愛蘭さんには話が長引いて遅れるって連絡しておいたから」


「さすが、ありがとうね大河」


 大河の左腕に自分の腕を絡めて、身体を密着させる。


「どんな話をしたのかは、聞かない方が良いか?」


 悠理と玲奈の話は一時間弱にもおよび、大河はそれを十数メートルは離れた場所のベンチから眺めていただけで、話の内容までは意識して聞かないようにしていた。


「昔の事を謝って貰ったのと、今の吉祥寺でどういう風に生活しているかって事と、あと……玲奈ちゃんのお父さんやお母さん、周りの人たちの考え方に最近ついていけなくなった事、くらいかな?」


「考え方?」


「うん、最初の方はね? 余所から人を攫ってきて売り飛ばすこと、ほとんどの人が反対してたみたいなの」


 悠理は顔を上げ、リピア吉祥寺の建物を見上げる。


「でも時間が経つにつれて、誰も助けに来ないし、食べ物だって自分たちでどうにかしないと手に入らないって理解する内に、ゆっくりとソレを肯定する様になっていって……玲奈ちゃんは、ここでお父さんやお母さんと〝あの日〟遊びに行ったまま戻ってこない弟さんを待っているらしいんだけど……最近じゃご両親もあのディフェンダーズって人たちに協力する様になっちゃったらしくて……それが、怖いんだって」


 自分たちの生き方を、見つけてしまった。


 ケイオスの様に戦うのではなく、ディフェンダーズの様に悪行を行うのではなく、『自分たちはただ生きるために仕方なく』と言う言い訳を建前にして、自ら手を汚す事すら嫌って縋り付いてしまった。


「マトモなヤツほど、ここで生きてくのは辛いだろうな」


 かつて平和だった頃の日本の──東京の一般的な倫理観を持っている者ほど、受け入れる事ができない。

 吉祥寺駅の住人の所業は、そういう物だ。


「玲奈ちゃん達みたいな若い子だけでクランを作って、ここを出て行くことも考えてるみたいだよ。それであの……ヒーラーズライトの事とか、ジョブの事とかある程度教えちゃったんだけど……ダメだった?」


「いや、吉祥寺の外で生きていりゃ自然とヒーラーズライトとかジョブの事は自分たちで辿り着けるだろ。成長条件だって面倒くさいってダケで難易度的にはそこまでだしな。お前の剣は」


 回復魔法による回復を自分を含め巡礼者(プレイヤー)に500回施すと解放されるヒーラーズライトの隠し成長フラグは、それ自体に秘匿するほどの価値は無い。

 

 戦闘の数をこなしていけば自ずと前衛・後衛・回復役に斥候と言う役割分担の重要性に気づくはずだし、そうなればそうと知らなくてもヒーラーズライトの成長フラグを達成できてしまう。


 出し惜しみするまでの情報ではない。


「そっか、良かった……」


 ほっと短いため息を吐いて、悠理は大河の腕に頬を擦り寄せる。


「今日ここを出て行くとして、どこに向かうか決めた?」


「ああ、もう愛蘭さんには伝えてあるよ」


 そう答える大河の視線は、駅を背にしてバスロータリーの向こう側の空に向いている。


「武蔵関方面……大学を超えて、俺の通ってた小学校を目指そうと思う」


 学校型生体管理核──いくみの身体となり得るそれは、大河がかつて親友と共に六年間通学していた、中学なんかよりも沢山の思い出が眠る地。


「……その途中で、お前の家の近くを通るからさ」


 大河の言葉に、悠理の表情が曇る。


「……うん」


 あえて意識しないようにしていた、両親の安否。


 そこに辿り着けばはっきりとしてしまうソレに、悠理の心が締め付けられるように痛む。

 

「俺が、ついているから」


「分かってる。うん、大丈夫。覚悟は……出来てる」


 今まで通り過ぎて来た街で、多くの悲劇を聞き、そして見てきた。


 あの異変は新宿だけでなく、池袋でも、中野でも、そしてここ吉祥寺でも多くの死者を出している。


 親を失った子供、子供を失った親。


 そんな話は、今の廃都にありふれた物だ。


 だからこそ悠理は両親が生存しているというなんて都合の良い夢は、極めて低い可能性でしか存在しないと悟っている。


 大河の右腕を抱く手に、知らず知らずの内に力が込められる。


 大河はそんな悠理の頭を、右手でそっと優しく撫でた。


(そして、その少し先に……アイツの家と、俺の家がある)


 あの日、地雷天使レナが語った『新條綾が遺したモノ』。


 一年と少し、昔の東京からは考えられない移動距離と時間をかけて、ようやく辿り着く。


(綾……お前に何があったか、そこに行けば分かるんだよな……?)


 駅ビルと駅ビルの間を通る温く強い風が、大河と悠理の身体を揺らし通り過ぎていく。

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