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東京ケイオス  作者: 不確定 ワオン
吉祥寺《はじまりのまち》

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256/279

帰宅


 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 吉祥寺駅を出発して、途中の国道沿いで夜を凌いで翌日。


 大河と悠理は二人だけで、半壊した二階建ての一軒家の前に立っていた。


 庭と駐車スペースを持つ、平均的な一般家庭よりも裕福と思われるその家こそが、悠理の生家である。


 円筒状にデザインされたモダンなその家は、おそらく有名建築家による独特なシルエットを持っていて、高級そうな戸建てが並ぶこの周辺でもとりわけ目立つ家だった。


 だが今は無残にも、破壊され踏み荒らされ、コンクリートとガラス片が散乱するただの廃墟と化している。


「……ただいま」


 そんな懐かしの我が家を、悠理は潤んだ瞳で見つめて呟いた。


「悠理、俺が先に──」


「ううん、一緒に行く。私の家だもの」


 その壊滅的な様子から、家の中も相応の酷い有様だと予想した大河の提案に、悠理はすぐに首を横に振った。


「本当に……大丈夫か?」


 大河の鼻が感じ取った、錆びた鉄のような酸っぱい匂い。そして腐臭。

 それはこの近くで誰かが大量に出血し、その遺体が放置されている事を示す。


 開け放たれた玄関の先からその匂いが漂ってくると言うことは、それすなわち──屋内で、誰かが死んでいる。


「大丈夫……もしパパやママだったら、ちゃんとこの目で見届けたいから」


 この中で両親が無残な姿で居るかも知れない。

 それは悠理も理解している。


 どんな形であれ──それがいかに凄惨な死に様であろうとも。

 肉親の死を見届けられる者は自分しか居ないとすでに覚悟を決めている。


「そっか……」


 静かに頷いて、大河は悠理が動き出すのを待った。


「うん」


 悠理は小刻みに震える脚になんとか力を入れ、一歩踏み込んで家の敷居を跨ぐ。


 ケイオスの皆は近くの公園に待機して貰っている。


 愛蘭からは戻りの時間は気にするなとも言われている。


 だから焦ることも、急くことも無い。


 だけど時間を掛ければ掛けるほど、肉親の死を受け止めると決めた覚悟が揺らいでいく気がしたから、悠理は自らを奮い立たせて、見慣れた形の玄関を抜け、そしてキッチンへと続く廊下へと土足で踏み込んだ。


 散乱しているガラス片やコンクリート片で、足の裏が傷つくかも知れない。

 だから靴は履いたまま、破片を避けながら奥へと進む。


 大河はそんな悠理の後を、決して離れないよう続く。


 もちろん災禍の牙はすでに顕現してあり、周囲の索敵は抜かりなく行っている。

 大河の知覚能力の及ぶ範囲に、巡礼者(プレイヤー)と思われる存在は感知していない。

 ここ一帯をうろうろと彷徨うモンスターが数体だけだ。


 つまり、生きている人間は一人も居ない事を示している。


「パパ、ママ……」


 悠理は微かな希望に縋って、その震える口で両親を呼ぶ。


 もしかしたら、通路のすぐ隣にあるキッチンから、母が顔を出してくれるかも知れない。

 家の奥の書斎から、父が眠そうな目を擦って出てきてくれるかも知れない。


 今し方踏みしめた小さなマットレスは、あの異変が起こる二週間ほど前に母が百貨店で購入してきた物だ。


 アラビアン調の細かいデザインを気に入った母が、嬉しそうに話していたのを覚えている。


 悠理の記憶ではまだ新品で、使われている色の数さえ分からなかったほど色鮮やかだった筈なのに、今では降り積もったコンクリートの粉末や埃で乳白色に近いくすんだ見窄らしい色へと変わり果てていた。


 キッチンに踏み込む。


 対面式のIH。

 カウンターには両親の結婚記念にと送られた夫婦湯飲みが大きい物と小さい物が並んでいる。

 隣接するダイニングには、六人掛けのテーブル。


 三人家族が使うには大きすぎるが、たまに来訪してくる祖父や祖母、親戚や母の友人などが座るとすぐに席が足りなくなった。


 そんなテーブルは、今は見るも無惨に真っ二つに割られていて、備え付けてあった同じデザインの六脚の椅子も破壊されていたり、遠くに吹き飛ばされいたり。


 かつて家族の憩いの場であった面影は、もう残っていない。


 もう少し奥に進むと、くの字型に広がるリビングがある。


 大きく分厚いカーペットの上に、四人掛けと一人掛けのソファが、低いテーブルを取り囲む様に設置されている。


 部屋の角には映画やドラマ鑑賞が好きな母の為にと、父が奮発して購入した壁掛け式の85インチの大型液晶テレビ。


 お昼時ともなれば、四人掛けのソファに腰掛けた母が紅茶を飲みながら、このテレビで好きな映像を楽しそうに眺めていた。


 そんなテレビも、今は派手に割られている。


「ここに……居ない……じゃあ……」


 ふらふらと、どこか覚束ない足取りで。


 悠理はリビングを戻りダイニングを抜け、廊下へと出た。


 目の前にある階段を手すりに捕まりながら、ゆっくりと昇っていく。


 到着した二階には一本の通路が通っていて、その左右に複数の部屋がある。

 一番手前は、悠理の部屋だ。

 数ある部屋の中でも一番日当たりが良く、また階下に声が届きやすいとこの部屋があてがわれたのは、まだ悠理が赤ん坊の頃である。

 寝ている悠理の泣き声にすぐ対応できるようにしていたのだろう。 


 対面する部屋は母の衣装部屋で、その隣が父の趣味用の物置。

 間に来客用の部屋が二つあり、そして一番奥に両親の寝室がある。


 そしてその扉は、開け放たれていた。


「ママ……?」


 家の基礎が歪んでしまっているのか、廊下を歩く度に床が軋む。


 悠理はそんな廊下を、壁に手を付きながら進む。

 

 大河はいつでも悠理を支えられるようにと、災禍の牙を持っていない左手は常にその肩に置かれていた。


 両親の寝室は、この家の中で一番荒れていた。


 ベッドフレームが砕かれ、マットレスが破られ、羽毛布団が裂かれたその部屋の中はあらゆる物で散乱している。


 木くず。

 布にスプリング。

 布団に詰められていた羽。

 コンクリートの破片に、ガラス片。


 悠理の母は、そして父は──その二人と思われる白骨化した遺体は、部屋の奥のクローゼットの扉にめり込んだ状態で横たわっていた。


「──パパ、ママ……ただいま、私……帰ってきたよ」


 骨だけとなった両親の身体は至る所が砕け、もはや人体としてのパーツが幾つか不足していた。

 ただ身につけた衣服の残骸が、女性物と男性用で見分けが付く程度。


 おそらくこのワイシャツとスラックスの様な物を身につけているのが悠理の父親で、ゆったりとした紺色のワンピースらしき物を纏っているのが、悠理の母親なのだろう。


 じっくりと腐敗していったであろうその遺体が横たわっているフローリングの床は、茶黒く変色していた。


 露出した骨の色も埃や粉塵で薄汚れており、どれだけの期間ここに放置されていたかを如実に現している。


 悠理はそんな二人の側に膝を付いて、力の篭もらない右腕を伸ばし、母の頬であろう箇所を触れる。


「痛かったよね……寂しかったよね……怖かったよね……ふっ、ぐぅっ、わ、わたしのことっ、心配してくれてたんだよね……っ」


 母の横に置かれている、画面が割れたスマートフォン。

 もう起動しないであろうそれは、手の位置から察するに死ぬ間際まで握られていたのだろう。


 きっと連絡が付かない一人娘の身を案じて、通話アプリが消失し鳴るはずの無い着信を信じていた筈だ。


「お、おそくなって……ごっ、ごめんねっ……た、たいがが、ここまで、おくってくれたのっ……うぅっ、ふぅうううっ」


 その声はもう届かない。

 話しかけても、返事は来ない。


 分かってる。

 だけどきっと、大事な娘がどうやって戻って来れたのかを二人は知りたい筈だからと、悠理は涙と嗚咽を堪えて話しかけ続ける。


「た、たいへんだったけどっ、たいががっ、わたしのすきなひとがっ……ま、まもってくれたから……パパとママのところにっ、かえってこれたよ……っ」


 大河は膝をついて悠理の背中にそっと左手を添える。


「パ、パパはいやがってたけどっ、ママはかれしができたら、ちゃんとしょうかいしてねって、いっ、いってたよね?」


 二人から決して顔を背けずに、悠理の右手は後ろに座る大河の手を探す。

 大河は災禍の牙を床にそっと置いて、その右手をしっかりと掴んだ。


「このひとがっ、わ、わたしのたいせつなひとです……」


「……初めまして。常磐、大河です」


 物言わぬ二つの死体に、大河は恭しく頭を下げた。


「と、とってもつよくてっ、たよりになってっ、でもときどきむちゃをしてっ、しんぱいをかけてくるけどっ」


 胸元にたぐり寄せた大河の手を、強く強く握る。


「あ、あんしんしていいよっ。わたしたちふたりでっ、しっかりいきていけるっからっ」


 娘を案じる親の心配を、少しでも和らげようと。


 もう呂律も回らない声で、瞬きもせず両親を見つめて。


「だ、だから……ゆっ、ゆっくり……ふたりでなかよく、みまもっていてね?」


 目に溜まった大粒の涙を拭うことすら厭わず、悠理は無理矢理作った笑顔で、愛する家族へと最後の言葉を告げた。


「ふぅうっ、ふぅうううううっ……うううううっ、うぇえええええ……」


 そしてそこで、張り詰めていた気持ちの糸が切れる。


「パ、パパっ……ママぁ、ひぐっ、ぐぅうううっ……うぁあああああああああああああっ!!」


 思わず抱きしめた大河の胸にしがみつき、大声で。


 沢山の優しい思い出が詰まった、この家で。


 最愛の家族を失った子供の悲痛な泣き声が、しばらく響き続けた。

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