そして……②
「どこに行くの。しー姉」
白み始めた空に彩られた、静寂の街。
かつては昼夜問わず看板が眩しかったこの池袋も、今ではまばらに点在する数少ない街灯の心許ない光だけが照らしている。
ここは西口。
凶悪なダンジョンの入り口と化した池袋駅の地下街へと続く階段、そこに足を踏み入れようとしていた椎奈を、圭太郎が呼び止めた。
ゆっくりと、しかし揺るがず、怯まず。
椎奈は振り向く。
その視線の先には、幼少期から当たり前の様に見てきた、愛すべき従兄弟が居る。
ガードレールと車道の先、元々は駅前のファーストフード店だった所。
今はもう破られて見るも無惨なシャッターが、蛇腹のように折りたたまれて店内も廃墟同然と化したそんな店の中で、圭太郎が壊れかけの椅子に座って椎奈を見ている。
「けー君……今日はずいぶん早起きだね」
その表情は一見して穏やかに見える。
だがその瞳の奥にギラつく──静かに燃える鈍色の光が、その少女の並々ならぬ決意を如実に現していた。
「誰かさんがこそこそと泥棒みたいに出て行くからさ。気になって目が覚めちゃったよ」
「そっか……うん。そっか」
圭太郎の声に何度か頷き、椎奈は遠くの空を仰ぎ見る。
そして、沈黙。
言葉に詰まっているようにも、確かに感じる圭太郎の怒りに怯えているようにも見えない。
ただ黙して語らず。
少女はただ、もうすぐ夜明けを迎える空をじっと見ている。
まるで感慨深そうに、名残惜しそうに。
「──地下水脈に一人で降りちゃ行けないって、瑠未姉と約束しただろ?」
焦れたのは、圭太郎の方だった。
ゆっくりと椅子から立ち上がり、車道を横断し、ガードレールを軽快に飛び越え、階段を降りる姿勢のまま立ちすくむ椎奈へと歩み寄る。
池袋の各所に存在する地下街への連絡口。
ここは西口の百貨店のすぐ側に在り、本来ならば池袋から様々な方角へと向かう各種在来線の改札口へと降りる場所だ。
しかし都市解放イベントを経て、現在は地下に存在するダンジョン──通称『地下水脈』へと繋がっている。
鍾乳洞や地底湖、地底河川などが連なって構成されている、未だに全容が掴めていない広大かつ深淵なダンジョンだ。
「……」
「──地下で目白草原に続く新しい道が見つかった時から、いつかこうなると思ってたんだ」
未だに押し黙る椎奈の眼前で歩を止めて、まっすぐにその無表情な顔を見る。
「あの道を使えば、豊島台地の険しい山を降りなくて済む。しー姉が一人で池袋を出るのであればきっとここを使うだろうなって。だからこうして、夜から張ってた」
「……気づいて、たんだ」
「気づくよ。晩飯の時も、寝る前もあれだけ上の空だったんだから」
先週新たに発見した、この池袋と言う都市と周囲を取り囲むセイレーン湖が丸々乗っている豊島台地、その麓の目白草原に直通する鍾乳洞。
険しい山肌を苦労して降りずとも、なだらかな道を下れば辿り着けるという効率的なそのショートカットは、現在クラン『太陽の家』の管理下の元で調査中であった。
椎奈が目指しているのは、恐らくその通路。
しかしそこに辿り着くためには地底湖を迂回し、鍾乳石の迷宮を突破し、魚人の古代神殿遺跡の裏手にある庭園から派生した難易度の高い地下森林を越えなければならない。
充分に人数を揃え、アイテムを活用し、満足に休息を取りながら進んだ場合でも二日は掛かる道のりだ。
これが単騎──しかも魔法職である椎奈が一人で行くのであれば、その危険度も行程も増す。
冷静な思考の持ち主であれば、まず一人で向かおうとはしないだろう。
「どうしても行かなきゃダメなの?」
薄い日光と月明かりに照らされた椎奈。
その表情からは、感情が読み取れない。
「……」
「強くなりたいなら、ここでみんなと──オレと一緒に頑張っていけばいいじゃないか。一人だけで池袋の外に行けば、ちょっとのミスで簡単に死んじゃうんだ。誰も助けてあげられない。フォローしてあげられない。オレの手だって……届かない」
「……」
「しー姉、ちゃんと考えてみてよ。一人じゃどう考えたって限界があるんだ。今の東京の戦闘システムは、一人よりもパーティーを組んで戦った方が成長しやすい。そういう風にできてる。無理だし遠回りだし、なにより強くなる前に死んじゃう可能性の方が高いんだってば。もう何回も説明しただろ?」
「……」
「それに、本当はしー姉だって気づいてるはずだ。あの時、大河兄が陽子姉を殺したのは──」
「夢を見るの」
「──仕方がなかっ……夢?」
圭太郎の声を遮るように椎奈が小声で呟く。
その視線は、今も遠い空の向こう。
もうすぐ消えて見えなくなる、星々の光を見つめている。
「そう、夢。けー君、ボクね? アイツが陽子姉を殺したあの日から、ずっとずぅっと強くなろうって、力が欲しいって頑張ってきた」
か細い、しかしはっきりとしたその声に、圭太郎は得体の知れない不安を掻き立てられる。
「だけど今の池袋は、陽子姉が生きていた頃に比べて──あまりにも満たされてる。ご飯にも困らないし、助けてくれる大人だって沢山増えて、瑠未姉も前より楽そう」
その目に、圭太郎は写っていない。
大事な大事な、心の拠り所としていた筈の従兄弟の姿が、まるでそこに在って、そこに無いような。
そんな希薄な存在感でここに立っている。
「このままここに居続けていても、きっとボクは強くなれない。アイツを殺せるような力は、永遠に手に入らない。でも一人じゃ外の世界で生きられない。それぐらい、ボクだって理解しているの」
ようやく、椎奈はその両の瞳で圭太郎を見た。
鈍色の光は絶えず燃えている。
それは憎しみか、それとも決意か。
圭太郎には分からない。
「ずっとどうしていいか分かんなかった。強くなる為には今のままじゃいけないって理解しても、今と違う環境に行けば強くなる前に死んじゃう。陽子姉の仇を、取れなくなっちゃう」
あの日、大河が水野陽子を殺した日。
その日から椎奈は、長い髪を三つ編みに結うのを止めた。
セミロングの黒い艶のある髪が、凜と揺れる。
「でもあの通路が見つかった時から、夢を見るようになったの。最初は三日おきで、でもどんどん毎日見るようになって……そして昨日の夜、ボクは確信した」
物怖じし、人見知りの激しかった大人しい女の子──そんなかつての渡会椎奈はもう、どこにも居ない。
「あの夢は、きっと啓示……ううん、弱くて臆病なボクの心が生んだ、ボクの迷いを振り切らせる為に夢として見せてくれたモノ」
「ど、どんな……夢?」
いつの間にか、圭太郎は一歩後ろへと下がっていた。
物心付く前からずっと一緒に居た、大好きな子。
従姉妹としても、女の子としても大好きで、なにがあっても守り抜くと誓った筈だった。
だが今は、その姿に若干の恐怖を覚えている。
掴み所が無い、だけど確かに強く発せられているその圧に負けて、無意識に距離を取っていた。
それがなによりも、悔しい。
「夢の内容はいつも少し違うし、全部を覚えてはいないけど……これだけはしっかりと感じ取れる。ボクは池袋を離れて、新宿を通り過ぎて──」
ふんわりと、花が咲くように。
だけど妖しく、椎奈は笑う。
「──渋谷に、行かないと」
地平線の向こうから、朝日の眩い光が差し込み、池袋の街を目覚めさせる。
その光に反射した椎奈の表情に、圭太郎は若干の恐怖と不安、そして可憐な美しさを見た。
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「朱音!! しーちゃんとけーくんをお願いね!!」
クラン『太陽の家の拠点であるパークレジデンス池袋(仮)の正面玄関。
そこから勢いよく飛び出して行った朱音に向かって、瑠未は声を張り上げる。
「おうよ!! まかセロリ!!」
不安がる瑠未を少しでも安心させようと、いつものように軽口を叩きながら、しかし朱音の心境は焦っている。
早朝、圭太郎からのメッセに気づき、慌てて瑠未を起こして、圭太郎と椎奈が池袋を出る為に二人だけで地下水脈ダンジョンに潜った事を伝えた。
そのまま準備もそこそこに、朱音は二人の後を追うべく走る。
見送りは瑠未一人、子供達との別れを惜しむ暇も無かった。
そこだけが少し残念だが、事は一刻を争う。
「あーのお馬鹿さんたちは!!」
誰にも相談せず、池袋を発った事もそうだが、たった二人だけであの広大なダンジョンを抜けるなんて愚かな考えにまず怒りが募る。
「大河ぁ!! あんたもあん時、これくらい焦ってたのかしらね!?」
かつて存在した湖底迷宮ダンジョン。
その最深部は今の朱音ですら単騎では踏破できない難易度だった。
しかし大河はそれを、たった一人で攻略してみせた。
それはひとえに、瑠未や陽子を案じた焦りからだ。
「今になってアンタの苦労が理解できるなんてっ! 本当にアタシャ大馬鹿だよ!!」
苛立ちと焦りが独り言を大きくする。
パークレジデンスから一番近い地下水脈への入り口。
地下へと続くその階段を、朱音は落下するように飛び込んだ。
着地の寸前に右手に咎人の剣──伏竜を顕現させ、その身に湧き上がる身体能力の力を行使して勢いよく床を蹴った。
「圭太郎がアタシにメッセを送ったって事は! 椎奈を止められなかったから追ってこいって事!! だったらアイツは、少しでも先に進むのを遅らせているはず!! 今ならまだ全然間に合う!!」
かつて大河と共に戦っていた時よりも、レベルは上がっている。
この地下水脈ダンジョンを最初に発見したのは他の誰でも無い朱音であるし、誰よりも多く、誰よりも深く潜っている。
試した事は無いが、戦闘を避け移動にさえ徹すれば、かつての大河のように単騎で攻略する事も可能な筈。
時間の余裕も、遭遇するモンスターの強さも、あの時の大河に比べればなんて事は無い。
「待ってろ圭太郎!! 椎奈!! この朱音さんの説教は滅多に見られない分死ぬほど長いからなぁ!!」
柔らかい光を発する水晶が等間隔で埋め込まれた、地下水脈ダンジョン序盤。
そんな薄暗く狭い通路を、朱音は雄叫びと共に走り抜けていく。
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