第6話 星ふる夜と温かさ
ルークの番です
昼休み。
書庫近くの談話室で、リゼリアは本を読んでいた。
テーブルの上には紅茶が置かれている。だが、手はほとんどつけていない。ページをめくり、時折ユリウスの問いに答えているうちに、紅茶はすっかり湯気を失っていた。
ルークは少し離れた席から、それを見ていた。
「紅茶、温めてもらってこようか?」
会話の邪魔にならないよう、控えめに声をかける。
リゼリアは顔を上げた。
「ありがとうございます。でも、そのままで大丈夫です。お手間をかけたくありません」
「姉上は、いつもそうです」
隣にいたユリウスがため息をつく。
「本に夢中になると、飲み物の存在が消えます。従者が何度も温め直すのを気にして、そのまま飲んでいらっしゃるんです」
「冷めても飲めますから」
ルークは一度、冷めた紅茶を見た。
それから立ち上がる。
「だったら、俺が温めてもらってくる。戻ったら、本を置いて、一緒に飲もう」
「すみません。私が飲めばよかったのです」
「気にしないで。ずっと座っていたから、少し歩きたいんだ」
ルークはティーポットを持ち、カフェテリアのキッチンへ向かった。
陶器のポットには保温機能も少しある。だが、時間が経てば冷める。
その場で温められたらいいのに。
ルークはそう思った。
歩くのが面倒なわけではない。
ただ、リゼリアが誰かの手間を気にして、冷めたものをそのまま受け入れてしまうのが気になった。
◇◇◇
夜の九時半を過ぎる頃、寮は静かになっていた。
生徒達は自室で本を読んだり、課題を進めたり、眠る準備をしたりしている。
リゼリアも机に向かっていた。
けれど、同じ一文を何度も読んでいるのに、内容が頭に入ってこない。
飛竜事件の調査。
授業の復習。
参考資料。
それに、最近増えた視線と言葉。
王太子が自分に話しかけることが増えたせいか、一部の令嬢達の牽制は前より少し強くなっている。
気にしていない。
けれど、棘が刺さらなかったことにはできなかった。
リゼリアは本を閉じた。
窓の外を見ると、夜空には星が澄んで輝いていた。
月の光もやわらかく、庭を照らしている。
「少しだけなら、いいわよね」
リゼリアは小さな敷物を手に取り、部屋を出た。
星や月が綺麗な夜に、たまに訪れる、お気に入りの場所がある。
騎士科棟の近くにある小さな森。
そのそばを流れる細い川。
近くには授業で使う薬草が植えられているだけで、普段は人が訪れない。
一人になりたい時、リゼリアはそこへ行くことがあった。
◇◇◇
同じ頃。
ルークは騎士科棟の訓練場で、体術の型を繰り返していた。
夜の静けさは、五感を研ぎ澄ませてくれる。
ゆっくりとした動き。
けれど、芯はぶれない。
足を滑らせるように運び、腕を流し、呼吸に合わせて重心を変える。
しなやかで、無駄のない動きだった。
軽く汗ばんだ頃、森の方へ向かう気配に気づいた。
警戒して視線を向ける。
月明かりの下に、知っている姿が見えた。
「リゼ」
思わず声が出た。
リゼリアはびくりと肩を揺らし、振り返る。
「びっくりしました。誰かがいるなんて思いませんでした。ルークでしたか」
「どうしたの?」
「星を眺めに行こうと思いまして。こちらは訓練場だったのですね」
「俺も行く。一人は危ない」
リゼリアは申し訳なさそうに眉を下げた。
「急な予定を入れさせてしまい、申し訳ありません」
「リゼに偶然会えて、俺は嬉しい」
言ってから、ルークは耳を赤くした。
「すぐ準備してくる。待っている間、訓練場の入口に管理者がいるから、その人の近くにいてくれると安心だ」
「わかりました」
ルークは本当にすぐ戻ってきた。
ラフなシャツに着替え、手には小さなバスケットがあった。
「お待たせ。案内してくれる?」
いつものようにルークの歩く速度は彼女に合わせてゆっくりだった。
森を抜けると、細い川が見えた。
水面には星が映っている。
月明かりが川を照らし、薬草畑の葉が夜風に揺れていた。
「こんな場所があったんだ。綺麗だね」
ルークが静かに言う。
「はい。星が綺麗に見えるので」
リゼリアは敷物を広げようとした。
その前に、ルークがバスケットから大きめの布を取り出す。
「こっちを使って」
「ブランケットですか」
「地面は冷えるから」
敷物の上に厚手のブランケットが重ねられる。
「ミルクを持ってきたんだ。良かったらどう?」
ルークは小さな瓶とマグカップを二つ取り出した。
「ミルク?」
「昼に思ったんだ。紅茶を毎回運んで温め直すのは大変だろうから、飲み物くらいなら、その場で温められないかって」
ルークはマグカップにミルクを注ぐ。
そして、片手をかざした。
手のひらに淡い火の魔力が集まる。
少し赤みがかった半透明の炎がルークの手から生じている。
優しく熱だけを、少しずつ移すかのようにかざしている。
「綺麗ですね」
リゼリアが炎を見て言った。
ルークは少しはにかんだような笑顔を向けるも、再び表情は真剣に戻った。
熱くなりすぎた。ミルクが下から泡立ち、ふわりと盛り上がってきた。
「おっと、これは俺のミルクだな。熱くなりすぎた。」
「難しそうですね」
「気が抜けないし、思った温度と実際が違うのかも。」
それでもルークは楽しそうに次のマグカップにミルクを入れて再挑戦した。
「人肌よりちょっと熱いくらいだと思う。調整してほしい時は言ってね。どうぞ」
リゼリアはマグカップを受け取る。
両手で包むと、ほどよく温かかった。
「ちょうどいいです」
ルークはほっと息を吐いた。
「よかった」
その表情があまりに真剣で、リゼリアは少しだけ胸が温かくなる。
「私のために考えてくださったのですか」
「うん」
「ありがとうございます。とても、嬉しいです」
ルークは固まった。
そして、夜でも分かるほど耳が赤くなる。
「……それなら、よかった」
二人は並んでミルクを飲みながら星空を眺めていた。
夜風は少し冷たい。
ルークはもう一枚のブランケットを出し、リゼリアの肩へかける。
「寒くない?」
「ありがとうございます。」
リゼリアはミルクの温かさとルークの優しさでいつもより自然に微笑んでいた。
ルークはその笑みを見て目を奪われた。
慌ててミルクを飲む。
熱かった。
しばらく、二人は星を見ていた。
リゼリアがぽつりと呟く。
「星の光には、力があります」
ルークは彼女を見る。
「星の力?」
「はい。星それぞれに、役割と異なる力があるのだと、母は言っていました。」
リゼリアはマグカップを両手で包む。
「私は、星や月の光を浴びると、少しだけ力が満ちます」
ルークは黙って聞いていた。
急かさない。
驚いても、否定しない。
だから、リゼリアは続けられた。
「このことを知っているのは、家族と、陛下と、殿下だけです」
「俺に話していいの?」
「ルークには、知っていてほしいと思いました」
ルークの呼吸が止まる。
嬉しいと思った。だけど、それをいうには胸がいっぱいで言葉にならなかった。。
リゼリアは両手を星明かりへ差し出す。
指先に、小さな光が集まった。
星の欠片のような、白く淡い光。
それはやがて、小さな形になる。
手のひらに乗るほどの、小さな女の子が白くきれいな花を持っている。
ふわりと揺れ、リゼリアの手の上で瞬いた。
「この子が、ノアです」
ノアは声を出さない。
けれど、まるで挨拶をするように花の光を揺らした。
ルークは目を見開いた。
それでも、剣には手をかけなかった。
ただ、静かにノアを見ている。
リゼリアは少し安心したように言う。
「ノアは、私の思いを汲んでくれます。でも、何ができるのか、私にもまだよく分かっていません。人前で使ってはいけないと、ずっと言われていました」
ノアがリゼリアの手から飛び降りる。
薬草の葉の上を歩くと、そこに小さな光が道を作った。
夜に眠っていた葉が、すっと背を伸ばす。
弱っていた茎が、しなやかに上へ伸びた。
次にノアは川の上を渡った。
水面がきらきらと光る。
少し濁っていた川の流れが、月明かりを映して澄んでいく。
「浄化……?」
ルークが小さく呟く。
「そう呼ぶのかもしれません。でも、私もよくわかりません」
ノアはくるりと回り、今度はルークの頭の上に乗った。
「……俺?」
ノアの持っている白い花が淡く光る。
その瞬間、訓練で重くなっていた体がふっと軽くなった。
呼吸が深くなる。
汗の熱も、筋肉の疲れも、静かに感じなくなっていった。
ルークは驚いてノアを見上げた。
「疲れが取れた」
リゼリアも少し驚く。
「ノア、そんなこともできるのですね」
ノアは得意げに光った。
声はない。
けれど、少し誇らしそうだった。
ルークは小さく笑った。
「すごいな」
ノアがさらに花を光らせる。
リゼリアはその様子を見て、そっと微笑んだ。
「内緒ですよ」
ルークは彼女を見る。
星明かりの中、リゼリアの髪が淡く光っている。
夜に溶けるような、やわらかな光だった。
「誰にも言わない」
いつもと同じように優しく真っすぐな瞳のルーク。
ノアのことも静かにみてくれた。
私の秘密も受け入れてくれた。
それがリゼリアには嬉しかった。
怖い秘密を見せたはずなのに。
「ありがとうございます」
リゼリアは小さく言った。
ルークは赤くなった顔を隠すように、マグカップへ視線を落とす。
「ミルクが冷めたら、俺が温める」
「だから急がなくていい」
少し冷えた夜風の中で、自然と二人は肩が触れる距離で座っていた。




