第29話 いのりの先
遅くなりすみません。さて始祖とは、いのりとは
『始祖のいのり』を読み終えたガイウスは、本をテーブルの上に置くと、
ゆっくりと話し始めた。
「この本は、帝国に残る最古の絵本の一つだ。おそらく、子どもにも伝わるように作られたのだろう。詳しく書かれていない分、専門家の解釈はいくつもある」
ラインハルトは、しばらく本に視線を落としていた。
「これは、今の神官儀式とは違うな。祈って許しを得るためのものでも、力をねだるためのものでもない」
ガイウスは頷いた。
「そうだ。感謝の気持ちが、どうか届きますように。そう願う、もっと原始的で温かな祈りだ。月光花は供物だという者もいれば、祈りを運ぶ器だという者もいる。創造神へ人の思いを届けるための目印だと考える者もいるな」
リゼリアは、表紙に描かれた小さな人物を見つめた。
「ノアの持つ花は、月光花のようですね。それに……その表紙の女の子も、ノアに似ています」
そこには、月光花を手にした小さな人物が描かれていた。
銀のような淡い髪。
やわらかな光をまとった姿。
優しく笑う表情。
リゼリアは、思わず息を呑んだ。
「昨夜、ノアが俺にくれた光には、普通の魔力とは違う気配があった」
ガイウスは、自分の手を軽く握ったり開いたりしながら続ける。
「魔力を増やしたというより、体の中の巡りを整えられたようにも感じる。魔力よりも古い、大地や命の源に近い力。あるいは、神の力。そう考える専門家もいる」
「魔力よりも、古い力……」
リゼリアが小さく呟く。
「原始の力の一部が、後に魔力として体系化されたのではないか。そういう説もある」
そこで、ゼノスが口を開いた。
「ガイウスの魔力量は、昨日より少し増えているように見える。回復というより、扱える力が増えたというべきかもしれんな」
ゼノスは腕を組み、少し考えるように目を細めた。
「ノアが始祖に関係するものだとしても、始祖自身なのか、積み重なった長年の祈りなのか、神の使いなのか、血統とどう関わるのかは分からん」
「確かに、血統といっても、僕は魔力以外の力を扱えるわけではありませんしね」
ユリウスが静かに言った。
姉だけが特別な力を持ち、不安を抱えている。
そのことが、ユリウスには申し訳なかった。
ルークはリゼリアの方を見た。
「分からないことは、まだ多い。だけど、分かったこともある」
リゼリアが顔を上げる。
「ノアは、悪いものや怖いものじゃない。もっと優しい存在だと思う。魔法や手足みたいに自由に使えなくても、問題ないよ。リゼ」
ルークの笑顔は、いつもより少し柔らかかった。
リゼリアは、その表情を見ていると、胸の奥が温かくなるのを感じた。
カイルが、手元の帳面に視線を落としながら言う。
「存在自体は優しく、害のないもの。問題は、それを誰が狙い、どのように使おうとするか、ですね」
空気が少し引き締まった。
ガイウスも、表情を真面目なものに戻す。
「リゼリアには話したが、帝国はこの世界で現存する最古の国だ。そして初代皇帝は、始祖を守った騎士だと伝わっている。始祖を大事に思い、その教えを広めた。後に、始祖の血族が建国したのが聖王国だ」
ラインハルトの目が鋭くなった。
「聖王国の血統主義につながるな」
彼はリゼリアを見た。
「もしリゼリアの力が血統に由来するものであった場合、彼らはその力がどのように使われてきたのかを知っている可能性がある。そして、その力が王国の王家に近づくことを、良くは思わないだろう」
リゼリアは、王太子ラインハルトの婚約者候補である。
その事実が、今さらながら重みを持つ。
ラインハルトは、リゼリアの置かれている状況が、想像以上に危ういものだと認識した。
「そうだ」
ゼノスは短く頷いた。
「俺はリゼのそばにいて守りたい」
ルークが力強く言い切った。
その目元は、優しいままだった。
「私も、リゼリアが危険にさらされることのないよう徹底する」
「姉上。僕も、そして皆もついています」
「私も力になりたいです」
ラインハルト、ユリウス、そしてカイルが続けて言った。
ガイウスは、リゼリアをまっすぐに見る。
「リゼリア、俺も協力する。そして、お前も強くなれ」
ゼノスが豪快に笑った。
「はは、心配するな。皆、俺の訓練に参加して強くなれ」
「そうだな、ゼノス殿。リゼリアも最強になるべきだ」
ガイウスが笑いながら言った。
ラインハルトは、この内容を国王に伝えるため、あらかじめ面会の予定を立てていた。
カイルと共に、国王のもとへ向かう。
夕暮れだというのに、すでに外は暗くなり始めていた。
「リゼリアたちも、一緒に出掛けるか?」
ガイウスが不意に言った。
「ガイウス殿下は、今から市政調査という名目で王都へ出る予定です」
ローザが淡々と補足する。
「一般的な食事処で賑やかに食べたい。俺の顔など、王都では知る者もほとんどいないだろう。せっかくなんだ」
やりたいことはやる。
自由な帝国第三皇子は、少し悪い顔で言った。
「リゼリアはどうしたい?」
「行きたいです」
リゼリアは、はっきりと答えた。
「よし。ユリウス、ルークは?」
「行きたい」
「姉上が行くなら、僕も行きます」
「ローザ、あれを頼む」
「承知しました」
ローザがガイウスに手を伸ばし、軽く振りかざす。
すると、ガイウスの髪の色が落ち着いたブラウンに変化した。
それだけではない。
心なしか、存在感まで薄くなったように感じる。
「これは? 無詠唱ですし、すごいですね」
ルークが興味深そうに尋ねる。
「殿下はお忍びのお出掛けが多いので、髪の色を変える魔法と、認識を薄くする魔法を使用しています」
ローザは、ははは、と苦笑した。
「殿下付きになると苦労が絶えませんので、魔法も護衛技術も磨かれていきますよ」
「皆がよければ、ローザにかけてもらおう」
ガイウスがにこりと声をかける。
「お願いします」
皆が一斉に頭を下げた。
銀髪のユリウスとリゼリアは、落ち着いたネイビーの髪色に。
オリーブブラウンのルークは、深みのある緑色の髪色になった。
いつもと違う自分の姿が新鮮だった。
これから王都へ出掛けるという非日常感に、胸が少し弾む。
先ほど、危険が伴うという話を聞いたばかりだ。
だからこそ、このような機会が訪れたことに、嬉しさと不安が入り混じっていた。
それを察したのか、ガイウスが言う。
「細心の注意を払っていこう。何、一般人に紛れて食事をするだけだ。もし敵がいようとも、周囲の目がある分、動きにくいだろう。護衛も最強だ」
「衛兵の詰め所近くの酒場に行く予定です。衛兵も仕事終わりに来ていますし、人も多いですね。念のため、解毒効果のあるブレスレットを着けておきますか?」
「遊びに行く皇子への対応が完璧ですね、ローザさん」
「もう慣れております。万が一がないようにも尽くしたいですしね」
「よし、行くぞ」
☆☆☆☆☆
週末の夜の王都は賑やかだった。
リゼリアにとって、夜の王都を訪れるのは初めてといっていい。
昼には親しみのある街並みも、夜はまるで別の世界のように見える。
人々の笑い声が聞こえる。
喧騒に満ちたこの雰囲気すら、愛しく、楽しいものに感じられた。
「いらっしゃい」
忙しそうにしていた店の従業員が、こちらに気づくとすぐにやってきた。
「予約していたローザだ。人数が増えてすまない。五人だが、大丈夫だろうか」
「はいよ、五人ね。問題ないよ。こっちは客が増えて嬉しいだけさ」
「助かる」
「おとなしいお連れさんたちだね」
おそらく、認識阻害で気配が薄まっている分、そう感じるのだろう。
ローザの魔法はすごく便利だと、リゼリアは実感した。
「最高だろう。うちのローザと魔法は」
ガイウスが、はは、とにこやかに笑った。
「かんぱーーーーーーーーい、というのだそうだ」
店一番人気のエールを頼み、すっかりご機嫌のガイウスは、飲み物が届くと皆でグラスを合わせた。
ルークは成人しているものの、何かあった時のことを考え、皆は同じ果実水を頼んでいた。
この店は串焼きの肉が有名らしい。
気取らない、一般の人々に人気の店である。
いろいろな肉が串に刺さっており、たれと塩焼きがあるようだ。
もちろん焼き野菜もあり、当然のごとくローザはそれも頼んでいる。
「リゼリア! ここでは串からかぶりつけ! なぜか、串から取って食べるより、かぶりついた方がうまく感じる」
「ガイウス殿下。令嬢にかぶりつけとは、ちょっと無理な話ですよ」
ローザが呆れた顔で言った。
「いえ、試したいです。教えてくださり、ありがとうございます」
「ガイウス殿下、ラレド公爵に叱られますよ」
「ははは。悪い兄貴だと思ってかまわない。毎日やれと言っているわけじゃない。いろいろな経験をしてほしい。それだけだ。ユリウス、お前もだぞ」
「おいしいよ、リゼ、ユリウス」
ルークはすでに、塩焼きにかぶりついていた。
「姉上、試してみましょう。食べ方で味が変わることはないでしょうが、楽しそうです」
ユリウスも、きらきらした目でたれの串焼きを手に取った。
リゼリアは手で串を持ち、そのまま口に運ぶ。
肉とたれの香ばしい匂いが、なんともいえない。
一切れを口で咥えて、ゆっくり串を引き抜く。
噛み応えがあり、濃い味が口いっぱいに広がった。
「美味しいです」
皆がにっこりと微笑んだ。
「ガイウス殿下は、こうやってよく街に出かけるのですか?」
ユリウスが尋ねる。
「ああ、そうだ。帝国でも、視察先でもな。今回は王国のドラコという町にも行ったぞ。魔牛を食したが、美味かった」
ガイウスは続けざまに二本の串を手にし、豪快に口へ運ぼうとしていた。
「ドラコの魔牛を食べたんですか? あれはラインハルトと俺たちが討伐に出向き、試験的に実食を始めたものです。うまいですよね」
ルークが言った。
夏の海の保養地に向かった際、依頼された討伐の話らしい。
「そうだったのか。良い考えだな。今度、魔獣の食材適応について知っていることを教えてくれ。あれは帝国でも広めたい」
「国が絡みそうな話だから、ラインハルトも交えてぜひ」
「そうだな。そういえば、ドラコには始祖関連の話があるぞ」
ガイウスは話し終えると、ローザの方を向いた。
ローザは頷き、人差し指を立て、低く呪文を唱える。
「ローザに遮音魔法をかけてもらった。始祖の話は慎重にな」
「ありがとうございます」
リゼリアが礼を言う。
「ドラコの町はな、かつて俺の先祖と始祖が火竜と話をして、人々を見守ると約束をしてもらった土地だ」
「ラインハルトが話していました。もう少し聞いておけば良かったです。火竜がいて、本来なら魔獣の被害は少ないはずなのに、なぜか人里に被害が出るようになったそうです」
「そうだったのか。帝国には、いくつか竜が治める場所がある。水竜、氷竜、地竜、風竜だな。竜関連で何か問題が起きていないか、帝国の情報も確認してみる必要があるな」
「ローザ、遮音は解除だ。すまなかった。楽しい時間に、つい話を逸らしてしまった」
「はい」
「よし、肉を追加しよう」
「ガイウス殿下、お野菜を」
「いらん」
「ルークもお野菜を食べましょう」
「……リゼが食べさせてくれるなら、食べようかな」
「ルーク、調子に乗らないでください。僕が一本丸ごと食べさせてあげましょうか」
「ははは、ルーク頑張れ。俺は応援しているぞ」
楽しい時間は、あっという間に過ぎていく。
皆で店を出た時、ルークは自然とリゼリアのそばにいた。
「リゼ、人が多いから手を貸して」
「ありがとう、ルーク」
ルークは、そっとリゼリアの手を取った。
「そばにいるから、安心してほしい」
少し顔が赤くなっているのが、自分でも分かった。
今日聞いた話では、リゼリアには危険が伴っている。
自分がいるのだと、少しでも安心してもらいたかった。
そんな気持ちからの行動だ。
いや、それだけではない。
そばにいたい。
手をつなぎたい。
そんな気持ちも、確かにあった。
「しょうがないですね」
ユリウスは、誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。
ルークがリゼリアの手をつないだのは見えている。
しかし、リゼリアは拒まない。
危険が近くにあると知ったリゼリアには、不安な気持ちもあるだろう。
そして、ルークに惹かれているようにも、少しずつ見える。
ならば今は、何も言わない方がいい。
ユリウスは小さく息を吐き、二人の少し後ろを歩いた。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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