第70話: すべての愛が還る場所――氷の皇帝と太陽の皇后
世界の果て、終焉の大陸。
そこは、灰色の霧が漂い、時間さえもが死を待つ静寂に支配された場所だった。
だが、その不毛な大地を踏みしめるジークフリートの足元からは、漆黒の氷ではなく、淡く輝く「虹色の氷晶」が道となって伸びていた。
『……おぉ、呪わしき不具合品どもよ。……神に背き、世界の寿命を奪った罪を、ここで償うがいい』
霧の中から現れたのは、かつてリリアーナを競売にかけた教皇の亡霊。
それはリリアーナの心に深く刻まれた「売られた記憶」そのものの具現だった。
リリアーナの体が、一瞬だけ硬直する。
だが、その震えが波及する前に、ジークフリートの温かく、そして力強い右手が彼女の視界を優しく遮った。
「……リリアーナ。……汚らわしいものを見るな。……私の瞳だけを見ていろ」
「……旦那様」
「……教皇、と言ったか。……貴様がリリアーナにつけた『価格』は、銀貨数万枚だったな。……笑わせるな。……私の魂を、私の帝国のすべてを差し出しても足りぬ至宝に、そんな安値をつけた罪……万死に値する」
ジークフリートが指先を鳴らす。
瞬間、大陸全体を覆っていた灰色の霧が、一瞬にしてダイヤモンドダストへと変わり、教皇の亡霊を美しく、残酷に粉砕した。
呪いは終わった。
リリアーナを縛っていた過去の鎖は、今やジークフリートの冷気によって甘やかな飾りへと変えられたのだ。
一行は大陸の中心、母の思念が眠る「生命の樹」へと辿り着いた。
「……。……リリアーナ。……さあ、そのクリスタルを捧げろ。……君を縛るシステムの最後の一欠片を、私の氷で封印し、永遠に終わらせる」
リリアーナは頷き、琥珀のクリスタルを樹に触れさせた。
黄金の光が溢れ出し、死にかけていた世界に、本物の「春」が訪れる。
天空の大陸が光の粒子となって溶け、それが地上へと降り注ぐ。
それはかつて「生贄」を求めた神の裁きではなく、すべての命に等しく与えられる「祝福」の雨だった。
「……終わったのだな」
ジークフリートが、リリアーナを正面から抱きしめる。
「……あの日、地下室で君を買った時。……私は、自分の氷を維持するための道具を手に入れたと思っていた。……だが、今、確信した。……私は、自分の凍りついた心を溶かすための、唯一の太陽を探していたのだと」
「……旦那様……。……私も、売られたことを感謝しております。……そうでなければ、私は貴方の温かさを知ることも、エリアスに出会うこともありませんでしたもの」
リリアーナは、彼の胸に顔を埋め、深呼吸した。
かつて冷酷公爵と呼ばれ、誰も寄せ付けなかった男の胸からは、今、世界で一番甘く、優しい鼓動が聞こえてくる。
「……リリアーナ。……改めて言わせてくれ。……政略結婚の契約期間は、今、この瞬間を以て終了だ」
リリアーナの心臓が跳ねる。
ジークフリートは、彼女の腰を引き寄せ、耳元で低く、熱い吐息と共に囁いた。
「……これからは、ただの男として、君の愛を乞わせてもらおう。……死が二人を分かつ時まで。……いや、死んだ後も、君の魂は一欠片たりとも誰にも渡さん。……永遠に、私のものだ。……いいか?」
「……。……はい。……喜んで、旦那様。……いえ、ジークフリート様。……私も、貴方以外の誰も、私の心に触れることを許しませんわ」
二人の唇が、重なり合う。
氷神の冷気と、太陽の熱。
相反する二つの力が溶け合い、世界で最も美しい、永遠の春が始まった。
「……。……。……あーあ。……パパもママも、世界が新しくなったっていうのに、相変わらずだね」
離れた場所で、エリアスがステラの肩に手を置き、呆れたように、けれど幸せそうに笑っていた。
アイスベルク帝国に、二度と冬は来ない。
そこには、世界で一番不器用で、世界で一番愛し合っている、一組の夫婦の笑い声が、いつまでも響き続けていた。
皆様、これまで『冷酷皇帝の独占欲――生贄の聖女は、氷の腕の中で愛を識る』を最後までお読みいただき、本当に、本当にありがとうございました!
「契約」から始まった二人の物語が、こうして「永遠の誓い」へと辿り着けたのは、皆様の温かな応援があったからこそです。
リリアーナ様が最後に見せた幸せな涙と、ジークフリート様のどこまでも深い(そして重い)愛。
二人の未来には、きっとエリアス様やステラちゃんと共に、笑顔の絶えない毎日が待っていることでしょう。
本編はここで完結となりますが、二人の愛は、私の、そして皆様の心の中で永遠に溶けることなく輝き続けます。
最後に、これまでの旅路への【ブックマーク】の継続、そして完結記念の【総合評価(★★★★★)】をいただけますと、作家としてこれ以上の幸せはございません。
皆様の応援が、私の次なる物語を紡ぐ「熱源」となります。
またいつか、新しい愛の物語でお会いしましょう。
霧島 結衣でした。




