第56話: 帝都強襲――空を焼く漆黒の雨
「……嘘。私たちの、家が……」
魔導馬車の窓からリリアーナが目にしたのは、白銀の結晶が輝くはずの美しい帝都クリスタル・パレスの、無残な変貌だった。
北極星のように高く聳えていた主塔は、どす黒い雲に覆われ、そこから「漆黒の雨」が絶え間なく降り注いでいる。その雨が触れるたび、ジークフリートが数年かけて編み上げた絶対不可侵の氷壁が、まるで熱湯をかけられた雪のように、どろどろと溶け落ちていた。
「……ありえない。パレスの結界は、概念レベルで『静止』を定義しているはずだ。……それを物理的な雨が溶かすなど……」
ジークフリートが、感覚を失った右手をマントの下で固く握りしめる。
右手の魔力回路が死んでいるせいで、帝都全体の結界強度が目に見えて低下しているのだ。それは皇帝としての権能が、彼の存在そのものと共に削り取られている証左に他ならなかった。
「旦那様、もう隠さないでください……!」
リリアーナが、ジークフリートの左腕に縋り付く。
その瞳には、隠しきれない涙が溜まっていた。
「その腕が温かいのは、私に合わせたからではないのでしょう? ……私の運命を書き換えた代償が、貴方を壊している……。そうでしょう!?」
「……リリアーナ」
ジークフリートは、一瞬だけ痛みに顔を歪めたが、すぐに鉄のような無表情を取り戻した。
彼はリリアーナの額に優しく唇を寄せると、そのまま馬車の扉を蹴り開けた。
「……代償など、いくらでも支払ってやる。……だが、私の帝国を汚したことだけは許さん。……エリアス! リリアーナを頼む!」
「言われなくても! ステラ、僕から離れるなよ!」
エリアスが黄金の焔を爆発させ、馬車から飛び出す。
ジークフリートは空中に左手で巨大な魔法陣を展開した。右手が死んでいるならば、残った左手に全魔力を注ぎ込めばいい。狂気にも似た判断だった。
「……概念の侵食には、さらなる上位の概念をぶつけるのみ。……凍れ。……因果も、法則も、降り注ぐ絶望さえも……!」
ジークフリートが吼えた。
瞬間、彼の左手から放たれた白銀の衝撃が、空を覆う黒雲へと突き刺さる。
漆黒の雨は瞬時に空中で凍りつき、真っ黒な「氷の棘」となって逆に空へと跳ね返っていった。
――ズガガガガガガッ!!
空を焼く赤い光が、一瞬だけジークフリートの冷気に押し戻される。
だが、その代償はあまりにも重かった。
ジークフリートの右肩から先が、今度は白く透き通り、実体を失い始めたのだ。
「旦那様!!」
「……来るな! まだだ……まだ、この程度では私の独占は終わらん……!」
ジークフリートの絶叫が響く中、溶け落ちたパレスの門から、ブリギッテがボロボロになりながら駆け出してきた。
「閣下……! 戻られましたか……! ですが、手遅れです……パレスの玉座の間が……何者かに占拠されました……!」
「……何だと?」
「……雨が降る直前、パレスの内側から『影』が湧き出したのです……。それは、皇后様と全く同じ顔をした……」
その言葉を聞いた瞬間、リリアーナの背筋に氷のような寒気が走った。
カエン大陸で消えたはずの「偽物」。
彼女は退いたのではなく、ジークフリートの魔力の綻びを突き、最短距離で彼らの「家」へと先回りしていたのだ。
空からは再び、先ほどよりも激しい漆黒の雨が降り始める。
その一滴一滴が、リリアーナの耳には「かつて生贄として死んでいった聖女たちの啜り泣き」に聞こえていた。
「……私を、呼んでいる……」
「行かせないよ、ママ!」
エリアスがリリアーナの手を強く握る。
しかし、ジークフリートの足元からは、パレスの影が意志を持つかのように伸び、彼の影を侵食し始めていた。
聖域は陥落した。
愛する家族の居場所は、今や最大の戦場へと変わろうとしていた。
第56話、お読みいただきありがとうございました。
帝都クリスタル・パレスの陥落、そしてジークフリート様のさらなる弱体化……。
「右手がダメなら左手で」という閣下の執念が凄まじいですが、代償は容赦なく彼の存在を削り取っていきます。
* 「閣下、そこまでしてリリアーナ様を守る姿……もう涙なしでは読めません!」
* 「偽リリアーナ様、先回りして玉座を奪うなんて、なんて悪趣味な……!」
* 「エリアス君がパパの代わりに家族を支える柱になりつつあって、頼もしすぎます」
と感じてくださった方は、ぜひ【ブックマーク】の継続、そして第3部への熱い【評価】をお願いします!
皆様の「★」が、溶け始めたパレスを再び白銀に凍らせる力となります。
次回、第57話「玉座の影――失われた記憶の断片」
霧島 結衣でした。




