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(17)水神の戯れと、背負う覚悟

 冒険者ギルドの喧騒を背に、石畳の緩やかな坂道を下っていく。

 朝の涼やかな風が、王都アラストリアの街路を通り抜けていった。



「……あの、フィオラさん。さっきの依頼のことなんですけど」


 健斗は、隣を歩くエルフの横顔を盗み見た。

 陽光を透かす銀髪が、歩調に合わせてさらさらと揺れる。


「どうして、わざわざ『どぶ掃除』を選んだんですか? フィオラさんなら、もっと……こう、魔物退治とか、格好いい依頼も受けられたんじゃ」



 健斗の問いに、フィオラは足を止めることなく、いたずらっぽく微笑んだ。


「ふふ、ケント。冒険者にとって一番大切なのは、剣の腕前だと思ってる?」


「えっ、違うんですか?」


「それも大事だけど、一番は『信頼』よ。昨日のケントの働き、役人の人がすごく感謝してたでしょ? 指名に近い形で依頼が出るなんて、新人の頃は滅多にないことなんだから。こういう縁を大切にして実績を積めば、ギルド内での評価も上がるし、結果的にもっといい仕事に繋がるの」



 諭すような優しい声。

 元・社畜の健斗には、その「地道な信頼構築」という理屈が痛いほどよく分かった。


 派手な立ち回りよりも、まずは足元を固める。

 異世界でも仕事の本質は変わらないらしい。



「……なるほど。勉強になります」

「いいのよ。それに、ケントと一緒に仕事をするのが楽しいから、っていうのもあるかな。さあ、着いたわよ!」





 現場の住宅区に到着すると、そこには昨日と同じ、隈のひどい若手の役人が立っていた。

 彼は健斗の姿を認めると、今にも崩れそうだった表情をパッと明るくした。



「ああ、ケントさん!今日も 来てくれたんですね……! 昨日は本当に助かりました。今日も200チルトルほどお願いできればと思っていたのですが……」


 役人が申し訳なさそうに指差す先には、昨日の続きから商業区へと長く伸びる、ヘドロの詰まった石積みの溝が続いていた。


 すると、健斗の隣でフィオラがすっと前に出た。


「役人さん。今日は私が彼のパートナーとして来ました。200チルトルと言わずに、この区画の終わりまで、午前中のうちに終わらせてしまいましょう」


「えっ……全量を、午前中にですか?」



 役人が絶句する中、フィオラは意気揚々と胸を張った。


「ええ。私、これでも水魔法が得意なんです」


 健斗も、彼女の自信に満ちた表情に背中を押され、持参した清掃用ブラシを強く握りしめた。




 ***




 健斗が手早く作業着に着替え、溝の傍らに立つ。


 フィオラが静かに目を閉じ、細い指先をどぶの濁った水面へと向けた。



「――『清らかなる流れよ、不浄を排せ』」


 彼女が短く呟いた、その瞬間。

 健斗の目の前で、物理法則を無視した「絶景」が展開された。



 どぶの中の汚水が、まるで意志を持つ生き物のようにうねり、自ら渦を巻き始めたのだ。


 水流は急激に加速し、こびり付いた黒いヘドロを根こそぎ剥ぎ取ると、そのまま弾丸のような勢いで下流へと押し流していく。


「すごい……。水が、意思を持って動いているみたいだ」


「ふふ、水の精霊さんに少しだけお手伝いしてもらったの。ケント、今のうちに石の隙間に残った汚れを掻き出して! 精霊さんも、道が綺麗になるのを喜んでくれてるわ」



 健斗は魔法の激流が通り過ぎた後、露出した石の隙間をブラシで力一杯擦った。


(……これ、動画で見たら『神CG』とか言われるやつだ。水の粒子がキラキラ光って、フィオラの銀髪と重なって……最高に映えてる)



 胸元の隠しカメラが、その圧倒的な光景を記録している。


 フィオラは杖を操りながら、楽しそうに健斗の作業を見守っていた。


「ケント、そんなに必死にならなくてもいいのに。でも、あなたのその丁寧な仕事ぶり、私、嫌いじゃないわよ」


「ありがとうございます。せっかくフィオラさんが道を拓いてくれたんだから、完璧に仕上げたいんです」




 ***




 太陽が真上に昇り、王都が最も輝く正午。


 商業区まで延々と続いていた石積みの溝は、まるで新品のように磨き上げられ、透き通った水が静かに流れる美しい水路が出来上がっていた。



「ありがとうございます! 本当に、本当に助かりました!」


 役人がピカピカになった水路を交互に見やり、健斗とフィオラの手を交互に握りしめた。




 役人に何度も頭を下げられた後、二人は爽やかな顔で役人を見送った。



「お疲れ様、ケント。ちょっとじっとしてて」


 フィオラが杖を振るうと、温かな水の玉が健斗の体を包み込んだ。

 どぶの臭いも、泥の汚れも、魔法の洗浄によって一瞬で消え去り、爽やかな石鹸のような香りが鼻をくすぐる。



「感謝されるのって、やっぱり悪い気はしないわね」


「そうですね。あの役人さん、昨日より顔色が良くなった気がします。……フィオラさんの魔法のおかげです」


「ケントの頑張りがあったからよ。さあ、ギルドに報告に行きましょう!」




 ***




 冒険者ギルドへ戻ると、受付嬢が驚愕の声を上げた。


「全て、完遂……ですか!? まだお昼ですよ?」



 報告を受けた彼女は、慌てて奥の金庫から報酬を取り出した。

 依頼主からの絶賛を受け、手渡された袋には「色」が付けられていた。


「依頼主の役人様から、特別ボーナスの申請が届いています。合計で5,000ガルです。ケントさん、お疲れ様です!」



 袋の中には、ずっしりとした重み。

 昨日の報酬が200ガルだったことを考えれば、跳ね上がり方は尋常ではない。



「フィオラさん、これ。半分……いや、魔法を出してくれたフィオラさんが七割、受け取ってください。僕、ほとんど磨いてただけですし」


 だが、フィオラは差し出され報酬の袋を、優しく健斗の方へ押し戻した。


「いいえ、それは全部ケントが持ってて」


「えっ、でも」


「私の取り分は、また今度、もっと難しい依頼で稼げばいいわ。それより、今のケントには必要なものがあるでしょ?」



 フィオラは、健斗の地味なベージュのシャツと、腰に下げた心許ないサバイバルナイフを指差した。


「そのお金で、自分の装備を整えなさい。私たちは『パーティー』なんだから、ケントが強くなることが、私にとっても一番のメリットなのよ」





 健斗が感謝を口にしようとした、その時。

 背後の酒場スペースから、昼間からエールを飲んでいる冒険者たちのひそひそ話が耳に飛び込んできた。


「そういえばよぉ、あのフィオラ嬢に捨てられたパーティー、今朝『亜竜退治』に街を出たそうだな」


「マジかよ。魔法使いの支援なしで亜竜に挑むとか、自殺行為だろ……」



 その言葉に、フィオラの肩がビクッと跳ねた。

 彼女は振り返り、弾かれたように冒険者たちのテーブルへと詰め寄った。


「ちょっと、それどういうこと!? あの人たち、亜竜の討伐依頼をキャンセルしてなかったの!?」


 血相を変えたフィオラの剣幕に、冒険者たちはたじろぎながら酒杯を置いた。



「お、おう……今朝、リーダーの奴が血走った目で街の門の方へ走っていくのを見たぞ……」


 そこに、カウンターの奥から受付嬢が深刻そうな表情で歩み寄ってきた。



「……本当です、フィオラさん」


 受付嬢は、申し訳なさそうに視線を落とす。


「昨日の騒動の後、私はリーダーの方に『フィオラさんが抜けた体制では厳しいから、一度キャンセルすべきだ』と強く忠告したのですが……彼は聞く耳を持たず、『あんな女いなくてもなんとかなる』と吐き捨てて……。まさかもう出発しているなんて……」




 フィオラの表情が、みるみるうちに凍りついた。


 フィオラが、絞り出すような声で「……そんな」と呟いた。

 その瞳には、強い後悔と焦燥が滲んでいる。



「今朝街を出たのなら『タックル』で飛ばせば、まだ……まだ間に合うかもしれない」


「フィオラさん?」


「……ケント、ごめん。私、行かなくちゃ」


 彼女は健斗の手を離し、駆け出そうとした。



「あのリーダーは、本当は自分のパーティーの力量をちゃんと把握していたわ。メンバーのことも大切にしていた。だから、私が抜ければ、意地を張ってても依頼は諦めてくれると思っていたのに……私のせいだわ。私が、彼らのプライドをあんな形で傷つけたから……!」


 フィオラは唇を噛み、健斗を真っ直ぐに見据えた。



「自分のせいで人が死ぬところを見たくない。ケント、あなたは街に残って。これは私の個人的な、過去の落とし前なの。……一人で行かせて」




 彼女が背を向けようとした瞬間、健斗はその細い腕をしっかりと掴んだ。


「――何言ってんだよ。俺たちは『パオムの縁』、パーティーだろ?」


「……ケント?」


「フィオラさんが一人で背負う必要なんてない。行くなら俺も行く」


「ダメよ! 相手は亜竜なのよ!? 私がいなきゃ、ケントなんて一瞬で……死ぬかもしれないのよ!?」


 フィオラの叫びに、健斗は息を呑む。


 だが、健斗の瞳に迷いはなかった。



「わかってます。危険なのは、百も承知です。でも、相棒が泣きそうな顔して一人で行くのを、見送るような無責任なことはできない。……覚悟は決まってます」



 健斗の力強い視線に、フィオラは一瞬、呆然と立ち尽くした。



 やがて、彼女は小さく震える息を吐き出すと、力強く頷いた。


「……わかったわ。死んでも、離れないで。――行くわよ、ケント!」




 二人は王都の門へと向かって全速力で駆け出した。

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