岩絵具
「頼むから二人とも落ち着いてくれーーっ!!」
僕は自分の動揺を無理やり抑えながら、二人の間に割って入った。
「ひより!! ちゃんと説明するから! 怪しい生き物だけど、害はないから……たぶん!」
そこから僕は、じーちゃんの遺品整理で見つけたこの絵のこと、そしてアニーとの出会いについて、話せる限りのことを必死に説明した。
僕が説明している間も、ひよりとアニーはバチバチと火花を散らしながらお互いを睨み合い、激しく警戒し合っている。
「……はぁ。で? 結局その緑色の石を砕いて、その大きな絵に塗りたいってこと?」
「そうなんだよ!」
「でも、これ完全なモノクロのデッサン画じゃない。どこが元々何色だったのか、素人に分かるわけないでしょ」
『フンッ、これだから人間は』
アニーが呆れたように鼻を鳴らし、自慢げに自分の首から下げた小さな虫眼鏡を前足でキュッと持ち上げて見せた。
『これを覗けば、全部わかるのよっ!』
「え……?」
僕は屈み込み、アニーが掲げた小さなルーペのレンズを横から覗き込んだ。
「うわぁ……っ!! 本当だ……っ!!」
思わず歓声を上げてしまう。
レンズの丸い枠の中に切り取られた世界だけが、まるで魔法にかかったかのように息を吹き返していたのだ。
白黒の濃淡だけで描かれていたはずのキャンバス。その中で、風にそよぐ鬱蒼とした森の葉の一枚一枚が、濡れたように深く鮮やかな深いエメラルドグリーンに染まっている。遠くに聳え立つ山々の肌には、陽の光を浴びた明るい黄緑色の苔や草木が繊細なグラデーションとなって立体的に浮かび上がり、手前の名もなき小さな野草に至るまで、生命力に満ちちあふれた「緑」だけが鮮明に発色していた。
「え! なになに!? 私にも見せて!!」
僕の反応に耐えきれなくなったひよりが、思わずそのルーペへ手を伸ばそうとする。
『触らないで!! あたしの大切な宝物なんだからっ!!』
「なによケチ!! 減るもんじゃないでしょ!」
アニーにシャウトされて手を引いたひよりは、触れないようにそーっと顔を近づけ、アニーの首元のルーペを片目で覗き込んだ。
「……すご……何これ……不思議……」
ひよりの瞳が、一瞬で引き込まれるように見開かれる。
「……それに、こんなに深くて綺麗で、透明感のある『緑』……見たことない……」
絵描きとしての血が騒ぐのか、ひよりはうっとりとそのレンズ越しの光景に見入っていた。
僕はそんなひよりの横顔を見つめ、意を決して尋ねた。
「ひより……できるか? この石を使って、絵に塗ること……。ハンマーか何かで細かく叩き潰せばいいと思うんだけど……」
「はぁぁぁ!? ちょっと叩くとか正気!?」
ひよりが声を発しながら振り返り、僕に怒弾を飛ばした。
「そんなことしたら、この貴重で綺麗な石が粉々になって部屋中に飛び散って台無しになるでしょ!!
ほんと素人はこれだから困るわ!」
「ええっ……!?」
「ちょっと待ってて! 何年か前に、日本画の講習で『岩絵の具』の作り方を習った時に使った道具一式が、確かうちの物置に残ってるはずだから!!」
完全に『絵描きモード』のスイッチが入ったひよりは、目をギラギラと輝かせながら、バタバタと猛烈な勢いで部屋を飛び出していった。
残された僕とアニーは、呆然とその背中を見送るしかなかった。
「頼むよアニー。ひよりとも仲良くしてくれって〜。せっかく絵に色を入れることができるかもしれないやつが見つかったんだからさ」
嵐のように飛び出していったひよりの後ろ姿を見送りながら、僕はベッドの端に腰を下ろして、床に佇むアニーに語りかけた。
『フン! あたしはあの粗野な女、絶対に認めないわよ』
アニーはプイッとあからさまに横を向き、小さな鼻を鳴らしてみせる。
(……けどさ)
ふと視線を下げると、彼女の小さな身体の後ろで、ふさふさの尻尾がゆら〜り、ゆら〜りと隠しきれない期待を表すようにご機嫌に揺れていた。
口では生意気なことを言って突っぱねていても、アニーもずっとあの灰色の世界に「色」を取り戻したかったのだ。ひよりのあの本気な眼差しと、自分たちの世界を救うかもしれない「絵描きとしての手腕」に、本当は期待を膨らませているに違いない。
「……わかりやすい奴」
『なにか言った!?』
「ううん、何も! 早く帰ってくるといいなーって思ってただけ!」
僕は思わず口元を緩めながら、アニーの頭を優しく撫でた。今度は嫌がる素振りも見せず、アニーは気持ち良さそうに目を細めて僕の手の温もりに身を委ねていた。




