突然の訪問者
玄関のモニターをそうっと覗き込む。
そこに映っていたのは——見覚えのある一人の女性の姿だった。
(……なんだ、ひよりかよ……)
「はぁ……マジで警察かと思って焦った……」
安堵の溜息をひとつ吐き、僕は鍵を外してドアを開けた。
ガチャッとドアを開けると、そこには黒髪の長い髪を後ろで低めに結んだ、見慣れた顔が立っていた。
「はいこれ、ウチの親から。勇斗に渡してきてって」
返事も待たずに、ひよりは手にしたずっしり重い保冷バッグを掲げて、そのまま部屋の中へ上がり込んできた。
「ちょっとひより、勝手に入るなよ……」
「なに今更? いつものことじゃん。今日さ、ウチのお母さんと一緒に、勇斗のおじいさんの蔵の掃除手伝いに行ったんだけど、勇斗とすれ違いになっちゃってさ。お母さんが『勇斗くん一人暮らしで絶対まともなもの食べてないから持っていきなさい』って」
「あ、そうだったんだ……サンキュ」
ズバズバと遠慮のない言葉を投げてくるところは昔から変わらない。
彼女の名前はひより。母親同士が親友で、家も近所だったため幼い頃から一緒に育った腐れ縁だ。
「よし、冷蔵庫に入れて……って、なにこれ!?」
保冷バッグを置こうと部屋の奥へ進んだひよりの視線が、壁に立てかけてあったあの大きな「金色の額縁」でピタリと止まった。
「あ、それ……!」
「へぇ……凄いじゃんこれ。骨董品? 線の書き込みも細かいし、光と影の陰影表現がめちゃくちゃ綺麗。モノクロなのに、なんだか奥行きがすごくて吸い込まれそう……」
指先でそっと額縁のふちに触れながら、ひよりが美術家のような真剣な目つきで絵を見つめる。
その真剣な横顔を見て、僕の頭の中でパッと電球が灯った。
(……そういえば!! ひよりって中学、高校とずっと美術部だったな……!!)
しかも地元ではかなり有名で、コンクールで何度も賞を取るほどの腕前だったはずだ。
僕みたいな素人が下手に絵に粉末を塗り込もうとしたら、せっかくのじーちゃんの絵を台無しにしてしまうかもしれない。だが、絵の具の扱いに慣れているひよりなら……!
「……ねえ、ひより!!」
「ん? なに?」
「……この絵に、色を乗せることってできるか?」
「は? 色を乗せる? これ、完成された白黒のデッサン画でしょ? 下手に色塗ったら台無しになっちゃうよ?」
「いいんだ。どうしても、この絵に『緑』を塗りたいんだよ。頼む、ひよりの力を貸してくれ!!」
「はぁ? 意味わかんないんだけど。で、あんたがその手に握り締めてる怪しい黒い石は何なのよ?」
「これを砕いて、あの絵に塗るんだよ!」
「正気!? 石を砕いて塗るって……日本画の『岩絵の具』みたいなこと言ってるの!?」
(え……? 岩絵の具……? そんなのがあるのか。よく分からないけど、まあ似たようなものなのかもしれないな……)
ひよりの専門的なツッコミに僕が考え込んでいた、その時だった。
「えっ……!? ちょっと待って、これ何!?」
ひよりが急にパッと目を輝かせ、ベッドの方へ歩み寄っていく。
「あ……っ!!」
僕が止める間もなく、ひよりはベッドの上ですやすやと丸くなって眠っていたアニーを両手でひょいと抱き上げてしまった。
「ぬ、ぬいぐるみだよそれっ!!」
「え? ぬいぐるみ……?」
ひよりが胡散臭そうな目を僕に向けてくる。
「嘘でしょ、ちょっとこれ見てよ!」
ひよりはアニーの小さな前足を引っ張り、ぷにぷにとした肉球を僕に見せつけてきた。
「ぬいぐるみにしては精巧すぎるでしょ! 爪も肉球もあるし、なんかズッシリ重いし……これ、ぬいぐるみっていうより『剥製』じゃない!? しかも……なんか異様に温かいんだけど。リアルすぎてちょっと気持ち悪——」
(やばいやばいやばい!! 頼むからそのまま『精巧なぬいぐるみ』で納得してくれ……!!)
汗を大量に吹き出しながら、必死に言い訳の言葉を脳内で探す。
「え、あ、あのさ! それは……えっと、ほら、最新のテクノロジーが詰まった、リアルなAIロボット的な……」
『うっせえブス! さっさと手ぇ離せよ!!』
僕の苦しい言い訳を切り裂くように、アニーの紫と緑の瞳がカッと見開かれた。
「キャッ!?」
突然喋り出した毛玉に驚き、ひよりが慌てて手を離す。
宙に放り出されたアニーだったが、くるりと空中回転して身を翻すと、猫のように見事な着地を決めて床に降り立った。
アニーはふんわりとした毛並みを逆立て、ひよりを鋭い目つきで睨みつける。
『気持ち悪いって何よ!? あんたの方がよっぽど気持ち悪いのよ!! 人の部屋に勝手に上がり込んでおいて!!』
「な……なになになに!? 喋った!? っていうか、いま私ブスって言われた……!?」
「あわわわわ……っ!!」
おでこに青筋を立ててブチギレるアニーと、開いた口が塞がらずただただ呆然と腰を抜かしそうになっているひより。
二人の板挟みになった僕は、ただおろおろと手を右往左往させることしかできなかった。




