第四の配色
「氷の世界だと思ってたけど……あの切り立った崖や道は、暴風で巻き上げられた海の水しぶきや巨大な波が、一瞬で凍りついて出来たものだったんだね……。
青を取り戻したなら、あの氷も全部溶けて、元の豊かな海に戻ったのかな?」
絵本に描かれた鮮やかなコバルトブルーの海を見つめながら、僕は呟いた。
「早く中に行こう!!」
「うん!! アーシュたちがどうなったか心配だわ!!」
アニーも僕の肩の上で身を乗り出す。そんな僕たちを見て、筆を置いたばかりのひよりが目を丸くして驚いた。
「え!? もう行くの!? 今帰ってきたばっかりなのに……っ!?」
「うん! 向こうで仲間が大変な目に遭ってたんだ!! 僕たちを命がけで助けてくれた大切な仲間が……!! みんなが今どうなったかすごく気になるし、無事なのか確かめたいんだ!!」
「そう……分かった……。気をつけてね……!」
ひよりは寂しそうにしながらも、僕たちの決意を感じ取って力強く頷いた。
そして、ひよりは宝物の虫眼鏡をキュッと握り直し、深呼吸をしてから魔法の絵本の端にそっと指をかける。
ペリ……ペリペリ……っ
静かな部屋に紙がめくられる音が響き、ゆっくりと次の「4ページ目」が開かれた。
そこに描かれていたのは——空は澄み渡る青、周りの木々は生き生きとした緑なのにもかかわらず、地面全体だけが寒々しいグレー一色で塗られた不思議な風景だった。
「おかしいな……。周りの木は緑だし空も青なのに、草原だけがグレーなんて……。緑じゃない草原ってことなのかな……?」
首をかしげる僕に、ひよりが「ちょっと待ってね」と虫眼鏡をそっと絵の上に翳してくれた。
ひよりと一緒に虫眼鏡のレンズを覗き込んだ瞬間、僕とアニーは思わず息を呑んだ。
レンズの向こう、グレーに塗りつぶされた密な線の奥から浮かび上がってきたのは——まるで秋の熟した稲穂のように、夕日を受けて果てしなく輝く『黄金色の草原』だった。
風に揺れる金色の波が、どこまでもどこまでも広がっている。
「すごい……っ。次は『黄色』なんだね……」
あまりの美しさに見惚れながら、僕たちは新たな冒険の予感とアーシュたちへの思いを胸に、絵本の中へと再び意識を沈めていった。
手に残っていた青の鉱石を、テーブルのプラスチックケースの中へと大切に納めた。その美しい輝きが、小さなケースの中で静かに光を放っている。
ケースのフタを閉めると、僕は再び壁に飾られた絵本へと向かい合った。
背後から、ひよりの視線を感じる。寂しそうで、そして今にも泣き出しそうなほど心配そうな瞳。
「……戻ってこられなくなったり、しない……?」
今回向こうにいた時間がいつもより長かったこと、そして僕の右腕の大きな怪我やアニーの瀕死の話を聞かせたことで、ひよりを心から不安にさせてしまったのだ。
僕は自分の不注意を反省しながら、ひよりに向き直ると、落ち着かせるように優しく微笑んだ。そして、不安げに固結びされていたひよりの手を、僕の両手でそっと包み込んだ。
伝わってくるひよりの手は、少しひんやりとしていた。自分の温もりを分けるように、包み込んだ手に自然と力を込める。
「大丈夫。どんなことがあっても、僕は必ずここに戻ってくるよ。……約束する」
「……うん。信じてる……」
まだ少し不安そうに眉をひそめるひよりに、僕の肩に乗っていたアニーがフンと鼻を鳴らして、自慢げに胸を張った。
「大丈夫よ、ひより! 私がついているんだから! 私、こう見えてもすっごく強いんだからね!」
そう言って小さな前足でポーズをとってみせるアニー。ひよりは思わずクスッと笑うと、「ふふ、アニーちゃん、頼りにしてるね」と表情を和らげ、固くなっていた手の力を抜いてくれた。
「うん! 信じて待ってるね!」
「行ってくるよ!」
気を取り直し、僕は再び絵の前へと向かった。メアリーにもらった衣服を整え、大きく深呼吸をして心を静める。
そして、絵本の横に嵌め込まれた、あの不思議な『宝石』へとそっと右手を伸ばした。
ふわりと指先が宝石に触れた瞬間——
シュワァァァァァ……ッ!!
光の渦に包まれ、僕とアニーの身体は再び、青を取り戻した本来の美しい『海と氷の国』へと吸い込まれていったのだった。
宝石から溢れ出した柔らかな光が、僕と肩の上のアニーを優しく包み込んでいく。全身の重力がふっと消え去り、意識がぐにゃりと歪んだ絵本の中の世界へと吸い込まれていくあの独特の感覚。
周りの景色が激しく流れ去り、光の渦を抜けた次の瞬間——
「うわっ……!?」
足元に感じたのは、凍てつく氷の冷たさではなかった。代わりに届いたのは、ザザーッ……と絶え間なく響く心地よい波の音と、頬をなでる温かな潮風の匂い。
目を開けると、そこには——
先ほどまで僕たちを苦しめていた恐ろしい吹き荒れる吹雪も、刺さるような鋭い氷の絶壁も、跡形もなく消え去っていた。
頭上には見渡す限りの透き通るような青空が広がり、足元には、太陽の光を受けてキラキラと宝石のように輝く、果てしない「コバルトブルーの海」が波打っていた。
「ここ……さっきの『海と氷の国』……だよね?」
僕とアニーは、青を取り戻して本来の美しさを取り戻したその素晴らしい景色に、思わず呆然と立ち尽くした。




