第一の配色〜緑〜咲かない花園
アニーを肩に乗せ、僕は灰色の森の中へと足を踏み入れた。
木々も、葉も、足元の土でさえも全てが濃淡の灰色で埋め尽くされている。色彩がないというだけで、見慣れた樹木の造形までが不気味な怪物の手足のように思えてくるから不思議だ。風で葉が擦れ合うカサカサという音すら、命の通っていない乾いた無機質な響きに聞こえた。
『勇斗、あっち! あっちから匂うわ!』
肩の上でアニーがぴくぴくと大きな耳を動かし、ひくひくと鼻を鳴らしながら小さな前足を伸ばす。
アニーの突然の叫び声にドキッとしたのを隠し、慎重に声を出す。
「分かった……あんまり急かすなよ」
警戒心を研ぎ澄ませながら、一歩一歩慎重に進む。
歩を進めるにつれて、妙な感覚が胸を侵食し始めていた。
あまりにも完璧な白黒の世界を見続けていると、次第に僕たちの存在の方が「間違い」で「場違い」な異物のように思えてくるのだ。
自分の着ている青いパーカーや肌の色が、この世界の静寂を乱すみにくい塗料のように感じられる。ふと見ると、アニーの右前足だけが綺麗にモノクロへ染まっていた。……この世界の景色に溶け込んでいるその足が、一瞬、羨ましく思えてしまうような変な錯覚に襲われる。
(……ダメだ、引きずられるな。色彩感覚がおかしくなりそうだ)
頭を振って変な思考を追い払い、アニーの指示する方角へ向かって枝を掻き分けていく。
どれくらい歩いただろうか。鬱蒼とした灰色の樹海を抜けると、突然視界がパッと開けた。
「……っ!」
僕は思わず息をのんだ。
そこは、一面の野原だった。
白黒の世界とはいえ、そこには明瞭なグラデーションが存在する。深い黒や、透き通るような薄い灰色の花弁を持った無数の花々が、風に揺れて咲き誇っていた。色こそないものの、それがかつてどれほど色鮮やかな美しい花畑だったのかは一目で理解できた。
あの金の額縁の中にあった、絵の景色がそこに広がっていた。
だが——僕が言葉を失ったのは、その一面の花々に感動したからではない。
野原の真ん中、まるで無数の花々に抱かれるようにして、ひとりの少女がちょこんと座っていたのだ。
ふんわりとした幻想的なドレスを纏い、背中まで届く柔らかな長い髪。
こちらの足音に気づいたのか、彼女はゆっくりと顔を上げ、大きな瞳を僕たちへと向けた。
色彩を奪われたこの世界だからだろうか。
上空からの光を浴びて淡く輝く彼女の姿は、まるで真っ白な天使のように見えた。
僕たちに気づいた瞬間、少女の大きな瞳がさらに丸く見開かれた。
彼女はガバッと勢いよく立ち上がる。膝の上に摘み集めていたのだろう灰色の花々がポロポロと周りに飛び散ったが、少女はそれすら気にする様子もなく、足早にこちらへ駆け寄ってきた。
「……っ!?」
あっという間に距離を詰められ、ぐっと両腕を掴まれる。
至近距離でまっすぐに見上げられ、僕は息をのんだ。
「あなた……!? どうして色があるの!? あなたは何者なの!? 異世界人!?」
矢継ぎ早に繰り出される問いかけに、思考がフリーズする。
……そっか。僕がこの絵の世界に来たってことは、この世界の住人から見れば、僕自身が「異世界人」になるんだ。
「そ、そ……そうなのかもしれない……」
思わずたじろぎながら、声の裏返った返事を絞り出す。
少女は長いまつ毛をパチパチと瞬かせながら、穴が開くほど僕の顔を見つめてきた。腕を掴む指先はとても細く繊細なのに、振り払えないほどしっかりとした強さがある。
(……白黒でもわかる。この子、めちゃくちゃ綺麗だ……)
年齢は僕より少し下、17か18歳くらいだろうか。透き通るような肌の質感、輝く髪、至近距離で見つめられる圧迫感に、胸の奥でドックンドックンと心臓がうるさく鳴り響く。
すると、少女の視線がふっと僕の右肩へと移動した。腕から手が離される。
「可愛いフェネックもいるのね! おいで! あなたも色がついていて、とっても綺麗ね!!」
『フンッ!!』
パッと顔を輝かせて手を伸ばした少女に対し、アニーは大きく鼻を鳴らしてそっぽを向いた。アニーは露骨に不機嫌な顔で翼をバタつかせている。
「あはは、嫌われちゃったかな? ……すごーい、背中に羽まで生えてるのね!」
少女は嫌がるアニーを見ても怖がる様子すらなく、無邪気に目を輝かせている。
(……へぇ、やっぱりこの世界の人は、羽の生えた喋るフェネックを見ても『異世界の珍しい生き物』くらいで、そこまで驚かないんだな……)
僕がパニックになったあのリアクションとの違いに、どこか感心してしまう。




