異世界へ!?
「え……なんで、じーちゃんが死んだって分かるんだ……?」
『あたしを絵の中から呼び出すことが出来たのは、義郎だけだった。それが、他の……義郎の血を引くあんたに出来るようになったってことは……』
「そっか……そうなんだ……」
言葉が詰まる。やっぱり、じーちゃんはこの不思議な生き物と「何か」を共有していたんだ。僕は目の前に座るアニーの姿を、まじまじと見つめた。
「君とじーちゃんは、何をしていたの? 何のために君を呼び出していたの?」
『……わからない。思い出せないの』
アニーは紫と緑のオッドアイを揺らし、深く息を吐いた。
『あの日、突然絵の中から色が消えた日……あたしの右前足もこうなって。なぜか足以外は無事だったんだけど……。義郎って名前と、絵から呼び出す方法と、昔あんたが義郎と絵を見に来たことは覚えてる……でも何か大事なことが、思い出せないのよ』
「勇斗ー? 上でなにしてるのー? 埃っぽいんだから早く降りてきなさいー」
1階から、突如母さんの呑気な声が響いた。
「っ!?」
跳ね上がる心臓を押さえ、僕は慌ててアニーの口を両手で塞いだ。アニーが『むぐっ!?』と丸い目を白黒させる。
「あ、いま降りる! ちょっと昔の物探しててさ!」
大声で階段の方へ返しながら、背中に冷や汗が流れる。母さんが上がってきて、僕が翼の生えた喋るキツネと喋っているところを見られたら大問題だ。
『……ちょっと少年、息ができないんだけど』
「悪い……で、どうすればいいんだよ? その、色を取り戻すとか、君の記憶とか……」
『んー、絵の中に散らばった【鉱石】を探せば、絵に色が塗れて元の世界に戻せると思うんだけど……とにかく異世界に行くしかないわね。この絵の額縁、上の真ん中に大きな宝石が埋め込まれてるでしょ?』
アニーが指さしたのは、ところどころ青錆が浮いた、古びた金の額縁だった。その中央に、確かに握り拳ほどもある大きな漆黒色の宝石が埋め込まれている。
「これか?」
『そう。あたしを抱っこした状態で、その宝石にタッチするとね——』
アニーが言い終わらないうちに、僕は反射的に右手でその宝石にポンッと触れてしまっていた。
——ズンッ!!
視界が激しく歪み、足元の床が抜け落ちるような猛烈な浮遊感が襲う。
『あ、バカ! まだ説明の途中——!!』
「うわあああぁぁぁっ!?」
目の前が眩い光に包まれ、僕とアニーの身体は一瞬で影の中に吸い込まれていった。
◇
「ごほっ、ごほっ……! う……土……!?」
気がつくと、僕は冷たい地面の上に倒れ込んでいた。
荒い息を吐きながらがばりと起き上がり、周りを見回した瞬間——僕は言葉を失った。
「な……んだ、これ……」
眼前一面に広がっていたのは、完全な「白黒」の世界だった。
足元の枯れ草も、遠くに見える樹木も、不気味に立ち並ぶ尖った岩肌も、見上げる空と雲さえも。あらゆる色彩が消やされ、ただ下塗りの白と、煤けた灰色、闇のような黒のグラデーションだけで塗り潰されている。
光の当たり方で影はできているのに、色だけが存在しない。
まるで、自分が古い時代遅れのモノクロ映画の中に飛び込んでしまったかのような、強烈な目眩と浮遊感に襲われる。
ふと自分の手元に目を落とす。
着慣れた青いパーカーとジーンズ、肌の血色。抱きかかえたアニーの薄黄色の毛並みと、輝く紫と緑のオッドアイ。
僕たちだけが、このモノクロの世界で異物のように鮮やかな色を保っていた。
(……なんだこれ。まるで、白黒のキャンバスの上に、カラーの僕らだけを切り貼りしたみたいだ……)
圧倒的な違和感と気味悪さに、ぞくっと背筋が凍りつく。
『……だから言ったじゃん! まだ説明の途中だったのに!』
腕の中から飛躍したアニーが、空中をバタバタと飛び回りながらキーキーと怒鳴り散らす。僕も着袋を払う余裕すらないまま、がばりと起き上がって叫び返した。
「だったら最初に『触るな』って言えよ! 準備する間もなく飛ばされただろ!? 食料とか水とかどうすんだよ!? このままだと餓死するじゃないか!!」
『あんたが勝手に触ったんでしょーが! 少しは人の話を最後まで聞きなさいよバカ!!』
「ちゃんと順序立てて説明しなかったお前が悪い!!」
白黒の静寂に包まれた異世界で、僕と一匹の不毛な大喧嘩が木霊していた。
息を切らして散々怒り散らしたあと、僕ははぁはぁと肩を上下させながら、頭を抱えて地べたに座り込んだ。
怒ったところで、もう現実世界の蔵には戻れないのだ。
「……はぁ。怒るだけ怒って虚しくなってきた。……じゃあ、結局僕らはまず何から始めりゃいいんだよ……」
『ふんっ、最初から素直に聞きなさいよ』
アニーは空中で腕(前足)を組み、ツンと鼻を鳴らすと、首から下げた真鍮の虫眼鏡をちょんと前足で叩いた。
『まずは【緑の鉱石】を探すの。この白黒の世界のどこかに落ちてるか、眠ってるはずだから』
「緑の鉱石……? なんでそんなピンポイントで緑だって分かるんだよ?」
『これのおかげよ』
アニーは胸元の虫眼鏡を持ち上げ、自慢げに紫と緑のオッドアイを輝かせた。
『さっきあんたの服の中に隠れてる時、この虫眼鏡で絵の表面をじっくり覗いておいたの。この特殊なレンズで見るとね、失われた色の脈動……つまり「次に探すべき色の道しるべ」が浮き出て見えるわけ』
「へぇ……伊達に重そうなもん首から下げてないんだな」
『失礼ね! これがないとあたしたち、永遠に広大な白黒世界で迷子になっちゃうんだから感謝しなさい!』
アニーは空中から僕の目の前に降りてくると、虫眼鏡の柄を僕の手に押し付けるように示してきた。
『緑の鉱石を見つけて、この世界に「緑」を塗ることができれば、世界に少しだけ命が戻る。そうすれば次の色の手がかりも、自ずと虫眼鏡に浮かび上がってくる仕組みってわけ』
「なるほど……。でも、広大な世界の中からどうやってその【緑の鉱石】を見つけるんだ? 手がかりなしで探すなんて無理だろ」
『ふふん、甘いわね少年。あたしのこの大きな耳と鼻は飾りじゃないのよ?』
アニーはふわりと浮かび上がり、ぴくぴくと大きなお耳を動かしたあと、鼻先をくんくんと鳴らした。
『この世界にある鉱石はね、かすかに固有の「色の匂い」がするの。緑の鉱石は、雨上がりの草木みたいな、すーっとする匂いがするのよ』
「匂い……? マジで……?」
『ほんとよ! 緑の気配と匂いは……。
……あ! あっちの灰色の森の方から漂ってくるわ!』
アニーがピシッと右前足(白黒に変色してしまった足だ)で指し示した先には、色彩を奪われ、まるで鉛色に固まってしまったかのような不気味な森が広がっていた。
(……なんだかんだ文句言ったけど、闇雲に探さなくていいのは助かるな。案外、頼りになるバディなのかもしれない……)
心の中でそう呟きながら、僕は仕方なく覚悟を決め、灰色の草を踏みしめて歩き出した。
「よし……行くか、アニー! 絶対に鉱石を見つけて、元の世界に帰るぞ」
『任せなさーい! あたしの身体がぜんぶ白黒になる前に、パパッと集めちゃうわよ!』
モノクロームの風が、僕たちの頬を撫でて吹き抜けていく。
僕と一匹の、「色を取り戻す旅」が今、始まった。




