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ノスタルジア・パレット 〜白黒の絵と、僕らの異世界色集めの旅〜  作者: VANRI


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海と氷の国

 森を抜けると、そこは別世界だった。


 暗いと思っていた空は、どこを見渡しても灰色の分厚い雲に重苦しく覆い尽くされている。日差しは完全に遮られ、空間全体が立ち込める薄暗闇と絶望感に包まれていた。


 かつては波が打ち寄せていたはずの海沿いの道。しかし今は、海全体がカチコチに凍りつき、どこまでが陸地でどこからが海なのかすら判別がつかない。時折、突風のような強い風が吹いて肌を刺し、ゴーゴーと風の音が耳を塞ぐ。

 足元は一面のツルツルとした氷で覆われ、一歩踏み出すごとに滑りそうになる。


 フランやアーシュ、カイトたちはこうした過酷な旅に慣れているのだろう。風を切り、足元を確かめながらサクサクと前へ進んでいく。カイトも風が強くなってきたため、ドレイクをしっかり胸元に抱き抱えて歩いていた。


 一方の僕はといえば、一番後ろを必死についていくのが精一杯だった。


「うわっ……!?」


 足を取られ、派手に尻もちをつく。痛むお尻を押さえながら、なんとかまた滑らないように立ち上がろうとした時、胸元からアニーが顔を出した。


「勇斗、大丈夫……?」


 心配そうな瞳で、胸元からじっと見上げてくる。


「うん……大丈夫だよ」


 強がって答える。ここで弱音を吐くわけにはいかない。みんなは僕を守るために命がけで戦ってくれているんだ。僕まで足手まといになるわけにはいかない。


 ……でも、現実は容赦なかった。


 膝を立てて立ち上がろうとするのに、靴底が氷の上を滑ってツルツルと滑り、何度も体勢を崩してしまう。立ち上がるどころか、四つん這いのまま一歩も前に進めない。


 灰色の雲から落ちる影と吹き荒れる風の向こうへ、みんなの背中がどんどん小さくなっていく。

 ビュービューと吹き荒れる風の音にかき消され、僕が転んだ音にも、遅れていることにも、前を行くみんなは気づかずに遠ざかっていく。


(待って……置いていかないで……!)


 叫びたいのに、喉がキュッと縮こまり声が出ない。みんなの背中が、風と吹雪の向こうへと少しずつ小さくなっていく。


 自分だけが何もできず、歩くことすらまともにこなせない。今まで「守ってもらっている」だけだった自分の無力さが、冷たい氷の冷気と一緒に胸の奥へとしみ込んできて、心臓が握り潰されるような猛烈な焦燥感に襲われる。


 焦れば焦るほど足元は滑り、膝がガクガクと震えて力が入らない。自分がみんなの足を引っ張っているという不甲斐なさと、一人取り残される恐怖で、視界がじんわりと滲んでいく。

 一人で必死にあがき、冷たい氷の上でもがいていた、その時——。


 吹き荒れる凄まじい風の音を切り裂くように、背後から小さく、けれどはっきりと通る女の声が聞こえた。


「お兄ちゃん、大丈夫?」


 声のした背後を、僕は反射的にガバッと振り返った。


 そこには、一人の小さな女の子がポツンと立っていた。

 色彩を失ったほぼモノクロの世界の中で、その子は光を弾くような真っ白な髪をしていて、白い着物とワンピースを合わせたような不思議な服を纏っていた。上半身は着物のような重ね合わせになっているのに、裾はふんわりとしたスカート。そして、思わず目を疑ったのはその足元だった。


(は、裸足……!?)


 凍てつく氷の上に、小さな裸足でそのまま立っている。まるで、童話に出てくる小さな雪女のようだ、と僕は思った。


 僕の胸元から顔を出しているアニーも、相手が小さな子供だからか怯える様子は見せず、興味津々な瞳でその女の子をじっと見つめている。


「え……っ!  大丈夫?  って、君の方こそ大丈夫なの!?  こんな小さな子が、こんな暗くて寒い中で……しかも一人で……!?」


 自分の転んだ痛みも焦りも一瞬で吹き飛び、僕は慌てて氷の上を這うように近づくと、女の子の目の前に膝をついて目線を合わせた。自分が羽織っていたコートを脱いでかけてあげようかと焦る僕の前で、その女の子は怯える素振りを一切見せない。

 それどころか、くりっとした瞳で僕の顔をじっと見つめ返し、どこか堂々とした風情で真っ直ぐに視線を向けてくるのだった。


「お父さんやお母さんは!?  寒くないの!?  よかったら、大きいけど僕のコートと靴も……っ!!」


 僕は自分の寒さも忘れて、着ていた大きなコートを脱いで彼女にかけてあげようと慌てて手を動かした。

すると女の子は、小さな手を伸ばして僕の手の上にそっと重ね、動きを制止させてきた。


 触れられた瞬間、まるで氷を直接押し当てられたかのような激しい冷気が手首から伝わってくる。


「ふふっ……」


 女の子は口元に小さな手を当て、クスクスと可愛らしく笑い出した。


「そんなことしたら、お兄ちゃん死んじゃうよ?」

「いや……でも、君が……っ」


 僕が言いかけたその時、女の子はすっと手を離すと、笑みを浮かべたまま凍てつくような冷たい視線で僕の瞳を真っ直ぐに貫いてきた。


「ふふっ。じゃあ、私のためなら死んでくれるってこと?」

「え……し、死ん……?」


 冗談とは思えないゾッとする冷気が背筋を駆け抜け、僕は息を飲んで固まってしまった。


「勇斗ーーー!!」


 遠くからフランの切迫した声が響き、僕はハッと我に返った。反射的に振り返りながら、ガバッと立ち上がる。吹雪の向こうから、フランが必死な足取りでこちらへ向かって走ってくるのが見えた。


「お前っ!!  どこで立ち止まってんだよ!!  心配したじゃないか!!  ……まあ、後ろを見ないでどんどん歩いて行っちゃった僕たちも悪いんだけど……っ」


 フランは僕の無事を確認すると、胸を撫で下ろしながらぱっと自分の後ろを振り返った。


「勇斗いたよー!  こっちだった!!」


 遠くのアーシュやカイトへ向かって大声で呼びかけている。


「ごめん……転んじゃって、なかなか立ち上がれなくて……。それより!  この子を見てくれよ!!  一人でこんな暗くて寒いところにいたんだ!!」


 僕は慌てて、さっきまで目の前にいた白い服の女の子の方を指さした。フランが僕の指さした方向へ視線を向ける。


「え?  どこ?  『この子』って……?」


 フランは何も見当たらない様子で、疑問の表情を目一杯浮かべて僕を見つめ直した。


「え……!?」


 僕が急いで女の子が立っていた場所へ目を向けると——そこにはただ、吹き荒れる風と凍りついた真っ白な大地が広がっているだけで、女の子の姿は跡形もなく消え去っていたのだった。




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