現実世界へ!
置かれた大剣全体の匂いを丁寧に嗅いでいくアニー。柄から刃先へと進み、ある場所でピタッと足を止めた。
『ここよ!! これよ!! 赤の鉱石!!』
アニーが前足で示したその先には、剣の柄の部分にひとつ、真っ黒な石がはめ込まれていた。アニーに合わせてしゃがみ込んだ姿勢のまま、僕は恐る恐るゼインを見上げた。
「あの……これ、外しても……?」
「はぁ……仕方ない、構わん」
ゼインは溜息交じりに首を振った。
「あの、これを外したら……ゼインさんの力が弱くなったり、戦いに支障が出たりしませんか……?」
(もし先ほど感じたあの圧倒的な威圧感や強い力が、この鉱石の影響だとしたら……)
僕の心配を余所に、ゼインは不敵に鼻で笑った。
「フッ、我が力がその程度の小石ひとつで揺らぐと思うのか?」
「い、いえ、そんなことは……!」
お言葉に甘えて、僕は黒い鉱石をつまんで外そうと力を込めた。だが、がっちりと固定されていてびくともしない。それを見かねたメアリーが「ちょっと貸して」とそっと手を伸ばした。
バキッ!!!
あっけない音とともに、メアリーの指先によって鉱石が簡単に外された。
『……馬鹿力』
肩の上でアニーがポツリとボソボソ呟いた。
「こらっ、聞こえるだろ!」
僕は焦って静かに制止する。メアリーはアニーの呟きなんてまったく気にする様子もなく、可憐に微笑みながら、目をキラキラと輝かせて外した鉱石を僕の手の上に載せてくれた。
「これで、また『赤』の色が戻るかしら……?」
(いやもう、あなたの可愛さは色なんてなくても痛いほど伝わってきますよ!!!!)
心の中で盛大に叫びながら、僕は力強く頷いた。
「うん! きっと!!」
僕は皆に別れを告げ、一旦元の世界へ戻ることにした。
「我が一番好きな色は赤だ。色を取り戻せたなら、何か褒美をくれてやろう」
ゼインが不敵に口元を緩め、低い声で呟く。
(え、そうなんだ。黒じゃないんだ。あんなに真っ黒な髪と服を着ているのに……)
僕が心の中でツッコミを入れていると、こちらの思考を読み取ったかのようにゼインが言葉を続けた。
「鮮血の赤の美しさといったら……どんな血の色が美しいかと言うとだな——」
「え! いやいやいや!! そういう理由ならいいです、聞かなくて……っ!!」
思わず大声で制止し、冷や汗を拭いながら皆に改めて別れを告げる。
「ちゃんと戻ってこいよ!」
「楽しみに待ってるわ!」
口々に声をかけられながら、僕とアニーは黒い城を後にした。
城の外、静かな場所まで移動すると、アニーが僕の肩からひらりと飛び降りた。
『勇斗、いくわよ……!』
アニーがピンと尻尾を立て、カッと目を大きく見開く。その瞬間、アニーの瞳の「紫」と「緑」が先ほどまでとは比べものにならないほど強く、幻想的な光を放ち始めた。
まぶしい光が僕たちを包み込んでいく。視界が真っ白な光に染まり、浮遊感とともに意識がすーっと遠ざかっていった。
◇
「……ん……っ」
ふっと身体が重くなり、僕はまぶたを開けた。
目に入ってきたのは、見慣れた自分の部屋の天井。だが、今朝この世界へ旅立った時には窓から差し込んでいた爽やかな朝の光は消え去り、部屋の中は暗闇に包まれていた。
慌ててデスクの上の時計を見ると、針はすっかり夜の時間を指している。
「朝出かけたのに……もう夜になってるのか……」
向こうの世界で過ごした時間と、こちらの世界の時間の進み方は違うのか、それとも同じくらい経っていたのか。静まり返った自室で、僕は手の中に握りしめられた「黒い鉱石」の冷たい感触を確かめながら、ぽつりと呟いた。
部屋の中を見回すと、何も片付けずに家を飛び出した惨状がそのまま残されていた。デスクの上には前回使った「緑の鉱石」の残りが転がっており、実験や作業に使った道具すら散らかったまま放置されている。
視線を台所に向ければ、洗うのを後回しにした食器類が山のように積まれていた。異世界での命がけの連続から帰還した途端、一気に押し寄せてくる圧倒的な現実感。
「はぁ……」
重い溜息が漏れ、どっと全身の疲労が噴き出してきた。肩からふわりとベッドの上へ飛び降りたアニーも、限界を迎えたように小さな前足で眠そうにゴシゴシと目をこすっている。
『勇斗……あたし……もう無理……むにゃ……』
あんな恐ろしい黒の城でゼインに睨まれ、メアリーの怪力に驚き、死にもの狂いで逃げ帰ってきたのだ。体力も精神力も完全に底をついていた。
僕は着替えろという脳の命令を無視して、そのまま吸い込まれるようにベッドへバタンと倒れ込んだ。
「……あ……そういえば……」
まぶたが鉛のように重くなり、意識がどんどん暗闇へと溶けていく。
(赤の色……塗らなきゃ……。『緑』の時みたいに……ひよりに連絡して……塗ってもらわなきゃ……)
手に握りしめた「赤の鉱石」の冷たさすら徐々に感じなくなっていく。
スマホを取り出す気力すら湧かず、僕は頭の中でそんな決意とも呟きともつかない思考を巡らせながら、抗えない睡魔に身を任せてそのまま深い眠りへと落ちていった。




