森の中へ
ガタゴトと揺れる馬車の窓枠に身を乗り出し、僕とアニーは目の前に広がる光景に思わず息を呑んでいた。
白黒の無機質だった光景はどこにもない。ひよりが塗ってくれた『緑』の力が息づいた森は、見渡す限り生命力に満ちあふれている。
陽の光を浴びてキラキラと輝くエメラルドグリーンの葉、しっとりと水分を含んだ瑞々しい苔、そして流れてくる風が運んでくる新鮮な草木の香り。
「すごいな……アニー、見てよ! 本当に木々が生き生きしてる!」
『うん……! あの枯れ木みたいだった枝に、こんなに美しい葉が茂ってたなんて……っ!』
スカーフをキュッと結び直したアニーも、僕の肩の上で身を乗り出し、目を輝かせて窓の外の景色に釘付けになっている。初めて目にする「色彩を取り戻した本物の森」の美しさは、移動の恐怖を忘れさせるほどだった。
御者台ではトニーが手綱を握り、慣れた手つきで馬車をスムーズに走らせてくれている。
ふと視線を車内へ戻すと、対面にあるシートにはメアリーとフランが並んで座っていた。僕とアニーの正面ではなく、意図的に距離を取るように少し離れた位置へ座っている。
……というか、フランが僕とメアリーの間に完璧な壁を作るように割り込んで座り、隙あらば僕を「ジロッ」と牽制するような目で見つめてきているのだ。
「フン……田舎者みたいに窓にかぶりついて。色がついたくらいで騒ぎすぎなんだよ」
フランが腕を組んでプイと横を向く。だが、その瞳もどこか窓の外の「緑」を物珍しそうにチラチラと追っているのを、僕は見逃さなかった。
「もう、フランったら……」
メアリーが呆れたように小さく溜息を吐きながらも、僕たちに向かって優しく微笑みかけてくれる。
「勇斗、アニーちゃん。あなたたちがこの世界に『緑』を届けてくれたおかげで、こんなに素敵な景色が見られたのよ。本当にありがとう」
対面からのメアリーの温かい言葉と鮮やかなエメラルドグリーンの瞳の輝きに、僕の胸がまたキュッと高鳴る。……と同時に、隣のフランからの殺気立つ視線が倍増したのを感じて、僕は慌てて窓の外へ視線を逃がすのだった。
ふとアニーを見て、気になっていたことを思い出す。
「お前、虫眼鏡どうした? 大事なものって言ってたよな?」
『……大事なものだから、置いてきたのよ』
「え?」
『この絵の世界じゃ使わないし、失くしたら大変だし……。それに、ひよりが見たいって言ったから……。あれで覗いて、元の色に近い色が出せるように努力したいって言ってたし……だから……』
アニーは少し気まずそうに目を逸らしながら、ぽそぽそと呟いた。
「……そっか」
ひよりをちゃんと認めて、あんなに大切にしていた虫眼鏡を託してきたんだな。
二人の間にいつの間にか温かい信頼関係が芽生えているのが嬉しくて、僕は思わずふっと顔をほころばせた。
その時だった。
ガタタタンッ!!
突然、馬車が大きく横揺れを起こし、激しい制動音とともにピタリと停止した。
「ッ!?」
フランが素早い動きで馬車の扉を開け、御者台のトニーへ叫ぶ。
「トニーさん!? 何かありましたか!?」
だが、帰ってきたのは返事ではなく、重苦しい沈黙だった。
あの余裕たっぷりだったトニーが、前方の「何か」を一点に見つめたまま、完全に硬直している。
「……なんで……」
トニーの掠れた声を聞いた瞬間、フランの顔つきが一変した。
フランはすぐさま馬車の中のメアリーへ振り返り、切迫した声で告げる。
「メアリーちゃん、ここから絶対に外に出てきちゃダメだからね!?」
そして、僕とアニーを射抜くような鋭い視線でキッと睨みつけた。
「お前らもだ!! 絶対に外へ出るなよ!!」
吐き捨てるように言い放つと、フランは腰の剣を勢いよく引き抜き、扉を蹴るようにして外へ飛び出した。
ガシャン、と重厚な金属音が外から響く。トニーも剣を抜き、御者台から飛び降りたのだと音で分かった。
「外に出るな」というフランの言葉も耳に入らず、僕はアニーと共に急いで馬車の窓から外を覗き込んだ。
すると、メアリーも僕の背中にキュッと体を押し付けるようにして寄り添い、僕のすぐ隣から同じように窓の外を凝視した。
サラリと当たった彼女の美しい髪と、ふわっと鼻腔をくすぐる可憐な花のような甘い香り。思わず心臓が跳ね上がりそうになるが、それどころではない異変が目の前で起きていた。
「……ドラゴンだわ。……なんで……っ!?」
メアリーが不安に震える声で呟く。
「え? ドラゴンって、さっき出るって言っていなかった……?」
「普通はめったに出てこないの! 臆病でおとなしい生き物だから……。卵を割られたり、仲間を殺されたり、そういう相当な理由がない限り、あんな風に怒り狂って襲ってきたりしないはずなのに……!」
窓の向こうには、前回の白黒の世界とは比べものにならないほど『色の濃い』凄まじい巨体がそびえ立っていた。
グォォォォォオオオンッ!!
鼓膜を揺さぶる咆哮とともに、ドラゴンが口から激しいグレー色の炎を吐き出す。背中の巨大な翼をバタバタと猛烈にはためかせ、地面の土煙を巻き上げながら、トニーとフランをめがけて猛然と迫っていく。
ズザザーッ!!
「来い! ! こっちだ!!」
「メアリーちゃんに手出しはさせないぞ!!」
トニーとフランは、ドラゴンが馬車の方へ視線を向けないよう、あえて馬車から大きく離れる方向へと走り、果敢に注意を引いていた。剣を構え、間一髪で炎と巨大な爪を交わしていく二人。
だが、あきらかに異常な怒りを宿したドラゴンの猛攻に、二人とも防戦一方だ。
『勇斗……! あのドラゴン、何かおかしいわ!!』
僕の肩の上で、アニーがスカーフをぎゅっと握りしめながら、危険を察知して毛を逆立てていた。




