過去の暴走、あるいは専用ハードウェアの覚醒
(……ありえない。最適化プロトコルの理解に、最低でも数ヶ月はかかるはずだ。なのに、こいつは……)
レイジは、自分の掌を見つめた。
彼が「ゴミ」と捨てられ、孤独に磨き上げ、誇りとしていた唯一の「ハッキング技術」。それが、目の前の少女の圧倒的な「適応能力」という暴力の前に、ただの便利な踏み台として使い潰されていく。
「……っ」
レイジの視界が、不意に熱く歪んだ。
悔しさではない。あるいは、情けない敗北感ですらない。
自分が誰にも理解されず、電子の海に捨てられた「自分だけの聖域」を、土足で踏み荒らされ、それでいて完璧に補完されてしまったことへの、耐え難いほどの虚無と、皮肉なまでの充足感。
彼の目尻から、一筋の滴がこぼれ落ちた。
それは、東京の路地裏でどれほど打ちのめされても一度も流れなかった、システムの「崩壊」を告げるエラーログだった。
「レイジさん……? どうしたんですか、そんな顔して」
エレナが、達成感に満ちた、だが少しだけ不気味な瞳で彼を振り返る。
レイジは、ぐちゃぐちゃになった感情を隠すように、フードを深く被り直し、震える声で吐き捨てた。
「……まぶしすぎるんだよ、そのランプが。……出力過剰だ、馬鹿」
彼は涙を拭うこともせず、逃げるように壁際へと椅子を向け、冷えた丸椅子に背を丸めて座り込んだ。
「……そういえば」
焦げた空気の匂いを吸い込みながら、エレナは右手の指輪をさすった。赤く腫れた指先の節々が、自身の拍動に合わせてズキズキと痛む。
「私、幼い頃に一度死にかけてるんです。変な好奇心を出して、自分の『気』と『魔力』を無理やり混ぜ合わせようとしちゃって。その時だけ、今のレイジさんの術に近いような、魔法とは違う力が少しだけ指から出たんです」
レイジは壁を向いたまま、止まっていた思考回路を強制的に再起動させた。
「……すぐに使えなくなりましたけど。そのせいで、私の魔力は歪んじゃって、普通の魔法も不器用になったみたいなんです。でも、今の特訓で感じている感覚……あの死にかけた時の『冷たい手応え』に、すごく似ていて」
レイジの脳内で、バラバラに散らばっていた実行ログが、一本の論理回路となって収束した。
訓練所で彼女が放った、あの芯のない火球。
あの異質な「冷たい風」。
魔法使いとしては致命的な「出力の不安定さ」。
(……繋がった。こいつの不器用さは才能の欠如じゃない。過去の暴走で、OSのカーネル層に物理的な傷が残っているんだ)
彼女の魔力が「スカスカ」だったのは、傷口からエネルギーが常にダンプされていたからだ。レイジが焼き付けた回路は、偶然にもその「傷」をバイパス(回路迂回)して、眠っていた独自の処理系統を呼び覚ましていた。
レイジはゆっくりと椅子を回した。涙で赤くなった目をフードの影に隠し、冷徹な解析官の顔を無理やり取り繕う。
「エレナ……あんたは、幼少期に自分自身を『改造』して、魔法という既製ソフトが走らない、専用のハードウェアに作り変えちまったんだ。今の特訓で上達が早かったのは、壊れた回路の使い道を、俺が上書きして教えたからだ」
エレナは、自分の掌を見つめ、指先を小さく曲げた。
皮の剥けた指が、鈍い音を立てて擦れ合う。
自分が感じていたあの「不気味な馴染み」は、かつて自分を焼き殺しかけた、死の残り香。それを、目の前の男が、生きるための「牙」へと作り替えてしまった。
「……それならそれで、いいです」
レイジはそんな彼女を見つめ、自分が触れてしまった「不具合」の正体が、想像以上に巨大なシステムのバグであることを悟り、再び胃の奥を焦がすような熱い悪寒を感じていた。
翌日。
朝の陽ざしが差し込む路地裏で、レイジは深い溜息をついていた。昨夜の特訓の疲労が抜けないのか、それとも隣を歩くエレナの危うい足取りに呆れているのか、彼の顔には深い疲労の色が浮かんでいる。
二人が今後の身の振り方を相談していると、足元に一匹の野良猫がすり寄ってきた。
「あ、猫ちゃん。遊んでほしいのかな?」
和むエレナの足元に、猫は口に咥えていた見慣れない小さな球体をポトリと落とした。
それは、微量の魔力を流すと淡く光る安物の子供用玩具「魔導ボール」だった。エレナがしゃがみ込もうとした瞬間、レイジが横からそれを素早く拾い上げる。
彼の目は、玩具としての用途ではなく、その「材質」に向けられていた。
(……粗悪な魔導合成樹脂か。だが、その辺の石ころよりははるかにマシだ)
レイジは、自身の能力を使う際の複雑な演算を一時的に保存しておく「キャッシュ(外部ストレージ)」を欲していた。エレナの家には乾燥させた薬草や研磨途中の鉱石などが散乱していたが 、それらは有機物であったり、元から天然の魔導回路を宿していたりと、純度の高い霊力を定着させるには不純物が多すぎた 。対してこの安物ボールに使われている樹脂は、ほんの僅かな魔力を流すためだけに作られた人工的で均一な「空っぽの器」だ。彼の論理コードを焼き付けるためのフォーマットとして、これ以上都合の良い素材はない。
レイジはシステムの隙間を突き、この世界には存在しない彼独自の拡張子である「霊力」をボールへと流し込んだ。管理者権限の付与――マーキングだ。
「……ちょうどいいUSBメモリ(外部記憶装置)が手に入ったな」
レイジはボールの表面に薄く走った回路の光を確認し、満足げにそれを地面に置いた。
だが、その瞬間。
「ミャアッ!」
猫が再びボールを咥え、「遊んでくれるの!?」と言わんばかりの勢いで猛ダッシュで逃げ出してしまった。
逃げた先は、街の裏手にある『旧魔晶石鉱山』だった。
「チッ、俺のデータが!」
舌打ちするレイジの耳に、路地の入り口から泣き声が聞こえてきた。
「僕のボール……猫に取られちゃった……」
泣きじゃくる少年の前には、偶然通りかかったらしい魔導師の姿があった。彼は少年を慰めるどころか冷笑を浮かべていた。
「諦めな。あの旧鉱山は未発掘の魔力石のクズが散乱していて、『魔力の環境ノイズ』が酷すぎる。俺たちの高位探知魔法でも真っ白になるんだ。たかが安物のおもちゃを探すために、足元も見えない死地に入る馬鹿はいない」
その言葉を聞いた瞬間、お人好しのエレナが動いた。
「私が探してくる!」




