焦げつく指先と歪んだ覚醒
「……ただし、俺の領域には入るな。それと、その無意味に魔力を垂れ流す癖を今すぐ直せ。空気が震えて、俺の神経に障る」
エレナは、パッと顔を輝かせ、弾むような声で返事をする。
「はい! ありがとうございます、レイジさん! ……あ、でも、難しい言葉はなしですよ? 意味が分からなくて、頭が熱くなっちゃうので」
「……努力はするが、期待はするな。それと、教えるのは、明日からだ。そのための準備をする必要があるからな。それに、あの清鳴草はどこかに卸すんじゃないのか?」
「ですね。今日中に卸します。きっと馴染みの店主さんも、最高の出来になったんで喜ぶと思いますよ」
(まずは、彼女の出力を俺が直接制御するための『中継器』を作らないと)
東京でエラーとして弾かれた男。彼がこの異世界という名のシステムに、本格的な「定住拠点」を確保した瞬間だった。
翌朝、エレナは硬いベッドの上で、重い瞼をこすりながら身を起こした。
(……結局、なんにもなかった)
寝返りを打つたびに、薄い壁の向こうから聞こえてくるはずの「何か」を期待して、耳をそばだてていた自分を思い出し、顔が熱くなる。同じ屋根の下、男の人と過ごす初めての夜。少しはこう、物語にあるような、あるいは本能的な何かが起きるのではないかと身構えていたが、現実は無機質な静寂に包まれていた。
彼女は寝間着のまま、恐る恐るリビングを兼ねた作業場を覗き込む。
「……あ。起きたのか」
レイジは、昨夜と同じ丸椅子に座っていた。机の上には、どこから持ってきたのか、細かく砕かれた魔鉱石の破片と、銀色のナイフが転がっている。
彼の目は赤く充血し、フードの下の肌は寝不足で青白い。
「レイジさん……。もしかして、一晩中起きてたんですか?」
「……環境が変わると、処理がうまくいかなくてな」
(夜這いなんて、この人には一生縁がないのかも)
エレナは残念そうに溜息をついた。
「あの、レイジさん。その、昨日の約束覚えていますよね? 正直、まだ霊力というものが、まだ良く理解出来てませんが。……やっぱり、その魔力とは違うんです?」
「明らかに違うな。だから、無理かもしれないぞ?」
「……だけど今のままじゃ、レイジさんが隣にいないと、私はまた、あのスカスカな魔法しか撃てない。もう嫌なんです、それ。……いや、ずっと嫌でしたけど」
レイジは、エレナの言葉を咀嚼するように、数秒間沈黙した。
「……とりあえず、感覚で魔法を撃つのをやめろ。これから教えるのは、現象の『実行手順』を直接上書きする論理だ」
レイジは、机の上に転がっていた小さな銀の指輪を手に取った。それは、エレナの部屋の隅に捨てられていた、魔法もかかっていないただの安物だ。
「これは、俺の霊力で『変換回路』を焼き付けてある。あんたの魔力がこの指輪を通る時、強制的に周波数を絞り込み、指向性を持たせるようにする。……いわば、魔法の『照準器』だ」
レイジは、指輪をエレナに放り投げた。受け取った指輪は、彼女の魔力に反応して、まるで生き物のように不気味な青い光を放っている。
「それを嵌めて、それに意識を向けて、何かに向かって魔力を放出してみろ」
エレナは言われるまま、震える指に指輪を嵌めた。
指輪を通じて、自分の魔力が強引に吸い取られ、一点に「圧縮」される感覚。掌から体温が奪われ、代わりに得体の知れない妙な感覚が流れ込んできた。
青白い光が、細いレーザーのような一本の筋となり、対面の壁に小さな焦げ跡を作った。
「なにこれ……。自分の力なのに、自分じゃないみたい。頭の中を、知らない誰かにかき回されてるような、嫌な感覚……」
エレナは得体の知れない拒絶感に指先を震わせた。
「……これで、あんたは俺がいなくても『失敗』はしなくなる。だが、俺の作ったシステム(枠組み)の外側には一生行けなくなるぞ」
――数時間後。
「……っ、あ。今の、感覚」
エレナは指先の熱を、自身の魔力ではなく「異物の流れ」として捉え始めていた。レイジの作った回路に振り回されるのではなく、その冷たいレールの継ぎ目に自分自身の熱を滑り込ませる感覚。
彼女は、部屋の隅に置かれた空の瓶に狙いを定めた。以前なら、数分かけても生温くなる程度だった殺菌魔法が、今は指輪を意識した瞬間に、空気の振動を鋭い一点へと収束させる。
「エレナ。調子に乗るなと言ったはずだ。出力を安定させろ。あんたが不用意に周波数を上げれば、俺が組んだ回路の耐久値が削れる。予備の石も、回路を焼き付けるための霊力もタダじゃない。リソースを浪費するな」
「わかってます。でも、さっきから指輪が指に吸い付くみたいに馴染んで……。自分の意思で『道』を広げられる気がするんです」
指輪が強制的に絞り込もうとする魔力に対し、さらに外側から自身の魔力を覆いかぶせるように叩きつける。
ギチッ、と指輪の金属が悲鳴を上げ、エレナの指の付け根に熱い刺突のような痛みが走る。
(……拒絶されてる? でも、ここを押し通せば――)
回路が焼き切れる直前、彼女の魔力が「レイジの論理」を一時的にオーバーライドした。
指輪から放たれたのは、細い光条ではない。
レイジが設計した「効率的な熱」を核にしながら、その周囲をエレナの剥き出しの魔力が荒々しく旋回する、歪な、だが圧倒的な破壊力を持った「質量」としての熱波。
瓶が砕ける音すらなかった。
ガラスは瞬時に蒸発し、棚の木材が熱を浴びて黒く変色する。
エレナは焼けるような指の痛みと、脳を刺す過負荷に顔を歪めながらも、確かに笑った。
「……また、回線が通った」
エレナは、机に並べられた五つの魔導ランプを、視線だけで次々と点灯させていった。
魔力の奔流を指輪の狭いポートへ流し込む際の、あの嫌な摩擦熱が消えている。自分の神経が、指輪の金属結晶の隅々まで物理的に侵食し、一体化したかのような気味の悪い滑らかさ。
彼女の右手の指先は、絶え間ない魔力摩擦によって皮が剥け、赤く硬く変質していた。
「エレナ、もういい。一旦出力を落とせ。あんたの脳の処理限界を超えている」
「大丈夫です。まだ、指先が熱いだけですから」
エレナは振り向かずに答えた。視界の端がチカチカと白く明滅し、奥歯がガタガタと震える。魔力の逆流を防ぐために、全身の筋肉を硬直させている。彼女は、自身の魔力の「波形」を、レイジの霊力回路が好む形へと、強引に適合させていた。
レイジは、エレナの背中を、言葉を失ったまま見つめていた。




