技術的シンギュラリティの足音
――だが、フラグとは回収されるためにあるものだった。
その数日後。温泉郷から王都の工房へと戻った一行だったが、よりによってその直後、ヒナがうっかりカノンとルカの前でスマホを取り出してしまったのだ。
二人の鋭い職人の目は、ヒナの手元にある、見たこともない圧倒的に洗練されたガラスの板――スマホを捉えて離さなかった。
「見たこともない材質ね。魔導端末にしては異様すぎる加工精度……一体どこで手に入れたの?」
逃げ場を失ったヒナがオロオロとする間もなく、カノンの手によってスマホはあっさり回収されてしまった。
現代地球のオーバーテクノロジーの結晶であるスマホの電源が入り、画面が鮮やかに発光した瞬間、工房の空気がピリリと張り詰めた。画面に表示された高精細なUI、滑らかに起動するカメラ機能、膨大な思い出が詰まった写真フォルダ。さらに、写真フォルダを覗き見たルカが、保存されていた一つの「動画ファイル」を再生してしまった。画面の中では、日本にいた頃の何気ない日常や、レイジと一緒に映っている少し恥ずかしいプライベートな映像が鮮明に流れている。
「あ、わっ! それ、見ちゃダメなやつだから……!」
ヒナが慌てて顔を真っ赤にして制止しようと手を伸ばすが、時すでに遅い。
「ふーん……レイジのこんな姿、私たちも見たことないわね」
「非常に興味深いデータです」
冷や汗が止まらないレイジと、絶体絶命のピンチに陥ったヒナ。
(やばい! このままじゃ写真も動画も全部隅々まで見られちゃう……! なんとかして二人をこの端末の画面から引き離さなきゃ……っ!)
頭をフル回転させたヒナは、ふとある秘策を思いついた。
レイジがかつてこの端末に施した、あの奇妙な霊力加工のことだ。周囲20メートル以内であればトンネル以外はほぼ確実に電波が繋がり通話できるという、あの驚異的な「トランシーバーアプリ」の存在を。
(そうだ! あの通信機能を見せつければ、二人の興味はプライベートな写真からそっちに逸れるはず……! というか、この未知の電波技術の凄さを目の当たりにさせたら、きっと驚いてそれどころじゃなくなるハズよ……っ!)
プライベートな映像を見られる羞恥心から何としても逃れたい一心と、彼女たちを圧倒してみたいという悪戯心が入り交じり、ヒナは意を決してポケットからもう一台の端末――レイジに渡すはずだった『予備のスマホ』を力強く取り出した。
「も、もう一台あるんだからね……! こっちの機能の方がもっとすごいのよ!」
ヒナは半ばやけくそになりながら、自らの手でしっかりとトランシーバーアプリのアイコンをタップし、起動させた。
「えーっと、こうすればいいんだっけ……。あ、もしもし? テスト送信、音声聞こえてますかー?」
ピピッ、と無機質な電子音が響き、通信が繋がったことを示すインジケーターが光る。どこからも魔力供給を受けていないはずの端末が、空間を伝えて音声をやり取りする瞬間だった。
「なっ……? どこからも魔力供給を受けていないのに、空間を伝えて別の端末と通信している……? 信じられない……!」
カノンとルカのエンジニアとしての探求心と知的好奇心は、プライベート写真の件など一瞬で吹き飛ぶほどに、一気に最高潮へと達した。
レイジは「やばい、終わった……技術的シンギュラリティが起きちまう……!」と青ざめながら、二人がすぐにでもドライバーを手に持って精密機械をバラバラに破壊・分解し始めることを覚悟した。
――意外にも、カノンとルカはすぐに分解しようとはしなかった。
「待ってルカ。下手に手を出すのは危険だわ。この未知の構造、少しでも回路を傷つけたら二度と元に戻らないかもしれない……!」
「ええ、同感です。まずはあの手この手で、外部からの波長と解析から入りましょう。内部構造の全容を推測してからでも遅くはありません」
下手に分解して壊れてしまうリスクを極度に恐れた二人は、慎重かつ狂気的なまでの執念で、まずは非破壊での電波解析とデータ傍受の実験へと乗り出すのだった。
「おい、ヒナ……」
カノンとルカが魔導計測器を引っ張り出して熱狂的な解析作業に入っている隙を突き、レイジはヒナの肩を掴んで低い声で問い詰めた。
「ちょっと待て。お前、なんでよりによってあのトランシーバーアプリの画面を開いたんだよ」
ヒナは気まずそうに目を泳がせ、人差し指を立てながら答えた。
「だって、そりゃあ恥ずかしい動画や写真は見られたくなかったからだよ! だからレイジも、エロエさんには見られると『絶対に見せるな』って釘を差したんだよね?」
「……は?」
レイジは一瞬フリーズし、盛大に声を裏返して叫んだ。
「おい、ちょっと待て! 誰だそれ! そもそも『エロエさん』って誰なんだよ!」
工房の片隅で、そのやり取りを聞いていたエレナが、ピクッと耳を反応させて小首をかしげた。
「え……? 私ですかー?」
「お前じゃねえよ!!」
レイジは全力でツッコミを入れながら、どっと疲れたように額を押さえた。
傍らでは、リリアーナが腕を組んでフンと鼻を鳴らしている。
「ふはは! 『エロエ』とやら、なかなかに怪しい名前ではないか!」
「怪しくねえよ! こいつがおかしいだけだ!」
さらに、少し離れた場所でシオンが上品に紅茶のカップを傾けながら、微笑ましそうに二人のやり取りを見守っている。
「あはは、皆さん相変わらず賑やかですねぇ。……それにしても、あのガラスの板、本当に不思議な魔道具ですね」
クロエは冷や汗を流しながら、カノンとルカが異様な熱気でスマホを解析している様子を遠巻きに眺めていた。
「……あの二人、もう完全に職人のスイッチが入ってるわね。止めに入るのも命がけよ……」
二人は早速、王都の工房の敷地内と外部に分かれ、どれほどの距離まで通話が届くのかを検証し始めた。ヒナが予備のスマホを手に工房の中に残り、カノンがメインのスマホを持って外へと歩き出す。
「聞こえますか、ヒナさん。こちらカノンです。現在、工房の扉を抜けて大通りに出ました。音声の明瞭さに変化はありません」
『あ、聞こえてますよー! こっちはお菓子食べながら余裕でーす!』
「……空間を伝播する波長のロスが全く見られない。魔力を媒体にしていないとすれば、一体どのような法則で空間座標を固定しているというの……?」
ルカは魔導計測器の魔力反応の数値と首をひねりながら、電波の減衰データを狂ったようにメモし続けている。
レイジは遠ざかる電波実験の様子を見ながら、頭を抱えて深い溜息をついた。
「おいおい、あいつら本気で検証する気だぞ……。あの調子じゃ、今夜あたり基地局の概念まで自力で到達しちまうかもしれないぞ……」




