1割から5割への進歩!
(やはり社長は義理堅い……。こうして多忙な中でも足元を固め、恩人への礼を欠かさず、俺に『商売の基本と人に尽くす心』を実践で学ばせようとしてくれているんだ……!)
シオンはここでも盛大に勘違いを深め、尊敬の眼差しをギラギラと輝かせた。もはや彼にとって、リリアーナの言動すべてが「深遠な教え」に変換される強固なフィルターが完成してしまっている。
物陰から、そのやり取りをひっそりと窺う人影があった。
「……あんな子供のパシリみたいなことさせられて、何がそんなに嬉しいのよ」
シオンを尾行してきたクロエは、呆れたようにため息をつく。
だが、同時に彼女の目は鋭く光り、工房内を観察していた。
「でも……あの商会、やっぱりただの成金じゃないわね。あのポンコツそうな社長、一体どんなカラクリであのシオン君を心酔させてるのかしら」
クロエは物陰から歩み出ると、意を決して工房の扉を叩いた。
「ごめんください。リリアーナ社長、ですね?」
「む? 何やつだ!」
突然の来訪者に警戒するリリアーナの前に、クロエは王都で有名な高級亭の『特製折詰め』をすっと差し出した。
「Cランク冒険者のクロエと申します。こちらのシオン君の腕を見込んで、本日の討伐依頼にどうしてもお借りしたく……ほんの気持ちですが、ご挨拶の品です」
「ほほう……!!」
高級なお菓子がぎっしり詰まった折詰めの芳醇な香りに、リリアーナのドヤ顔が途端に緩み、瞳が星型に輝いた。
「ふははは! なかなか礼儀を弁えた優秀な冒険者ではないか! よかろう、我が愛弟子の実力を借りたいというその熱意、特例として認めてやるのだよ! 行ってこいシオン! 存分に我が教えの成果を見せつけてくるのだ!」
「えっ、しゃ、社長!? ……はいっ! 与えられたこの実地試練、必ずや乗り越えてみせます!」
数時間後。王都近郊の森。
「ブゴォォォォッ!」
鬱蒼とした木々の間から、筋骨隆々で巨大な体躯を持つオークの群れが次々と姿を現した。その数、十体以上。冒険者のパーティーでも連携が必須となる手強い相手だ。
「行くわよシオン君! 前衛は任せたわ!」
「はいっ!」
シオンは深く息を吐き、体内での『気』と『魔力』の周波数を慎重に同調させる。
かつては「1割の不発」か「10割の自爆」しか出せなかった彼だが、工房での狂気的な研磨作業とリリアーナとの修行の末に掴んだミリ単位の出力調整により今では、1割から5割の範囲であれば安定して自身の魔力と気の共鳴を維持できるようになっていた。
(一気に削るんじゃない……まずは3割の出力を維持して、ぶつける!)
ダンッ!
シオンの足が地面を抉り、鋭い踏み込みと共にオークの懐へと潜り込む。
「はぁぁっ!」
放たれた拳が、オークの分厚い腹に叩き込まれた。
ドグゥッ!
鈍い衝撃音が響き、巨体が後方へよろめく。
(よし、ちゃんとコントロールできてる……!)
だが、倒し切るには至らない。オークの強靭な脂肪と筋肉の鎧が、3割の打撃をギリギリで耐え凌いでいたのだ。
「ブギィィィッ!!」
激怒したオークが、丸太のような剛腕を力任せに振り下ろす。
「くっ……!」
シオンは咄嗟に出力を5割へと引き上げ、両腕を交差させて防御した。ギシィッ、と骨が軋む音が鳴り、凄まじい質量に押し込まれて足元の土が深く削れる。
(重い……! やっぱり、Eランクの魔物とは基礎の耐久力とパワーが全然違う……!)
「シオン君、囲まれる前に動いて!」
背後からクロエのレイピアが鋭く突き出され、隙を見せた別個体の急所を的確に穿つ。
「は、はい! ――出力を4割に固定、少しずつ確実に削り切る!」
だが、奮闘もそこまでだった。
倒しても倒しても、鬱蒼とした森の奥から後続のオークが次々と姿を現す。
シオンは出力を維持しながら戦い続けていたが、やがて激しい息切れを起こし始めた。
「ダメね、数が多すぎる! シオン君、一旦引くわよ!」
「すみません……っ!」
二人は連携してオークの足を止めると、すぐさま森を離脱した。
王都への帰路、シオンは自身の力不足に唇を噛み締め、クロエもまた険しい表情を崩さなかった。
――カノンの工房。
「ふはははは! 逃げ帰ってきたかシオン! 我が試練を前にして、無様に泥を舐めたようだな!」
泥だらけで帰還したシオンと、付き添ってきたクロエを待ち受けていたのは、リリアーナの容赦ないドヤ顔と高笑いだった。
「も、申し訳ありません、社長……! 出力調整はできたんですが、共鳴を維持するための体力が持たなくて……」
深く頭を下げるシオンに対し、リリアーナは腕を組み、偉そうにふんぞり返った。
「当然なのだよ! お前は魔力と気を共鳴させることで、周囲の『魔力』を集めることには成功している。だが、その集められたエネルギーは、魔力と気を共鳴させるためのリソース不足を補うため『だけ』に使われてしまっているのだ!」
「っ……! 確かに……!」
「いいかシオン。なら、魔力だけでなく、周囲にある『気』も同時に引き寄せ集めて自身の糧にしたら良いのだ! 現代において『気』は技術的に廃れており、空間に漂う気も魔力の影に隠れて目立たない。だが、確実にそこにある! 魔力と気を共鳴させ、周囲の魔力と気、その両方を引き寄せて自身の糧としながら、出力をさらなる高みへと引き上げるのだ!!」
ビシィッ! とシオンに指を突きつけ、完璧な理論を展開するリリアーナ。
シオンは「はっ……!!」と雷に打たれたように目を丸くし、またしても猛烈な感動の波に呑み込まれた。
「周囲の……気と魔力の両方を……! さすが社長、そこまで見えていたんですね……!」
だが、その感動的な師弟劇の背後から、レイジの極めて冷ややかな声が響いた。
「おい、ポンコツ。お前、それさっき俺が説明してやった受け売りを、一言一句違わずそのまま喋っただけだろ」
「ギクゥッ!?」
リリアーナの背筋がピンと伸びた。
レイジは呆れ果てた顔でレンチを弄りながら、深くため息をつく。
「お前、『気が廃れてる』なんて歴史的背景、知らなかったくせになんでそんな偉そうなんだよ……」
「う、うるさーい! 社長の知恵は商会の知恵! レイジの知識は私の知識なのだよ!」
顔を真っ赤にして地団駄を踏むリリアーナだったが、すぐにコホンと咳払いをして威厳を取り繕った。
「だ、だがあんな高度な技、未熟なシオンにいきなりやれというのは少々難易度が高いだろう! だから……レイジ、渡してやれ!」




